01
微笑む理由も涙する理由もすべて貴方絡みだ、なんて
うとうとと重いまどろみからマリアが目を覚ますと、体のほうはだいぶ楽になっていた。
ミホークはいないらしく、部屋の中に気配は無い。
薬のおかげで気だるさが薄れた体を起こし、マリアは浴衣を羽織ってトランクのそばへ歩いていった。
疲れがなくなった今、女としてはむしろ体の汚れのほうが気になる。早めに風呂を借りて清めてしまいたかった。
未だ気分は落ち込んだままだったけれど、無人の部屋に一人こもっていても、余計なことばかり考えそうだった。
トランクから着替えを取り出したとき、ふと電伝虫をくるんでおいた包みに目が向いた。
何となく、自分の包み方とは違う気がしたのだ。
「………まさかね」
電伝虫が勝手に動くわけはないし、ミホークだってマリアの荷物に興味など無いだろう。
気のせいだろうと割り切って、マリアは着替えを持って廊下へ出た。
宿の風呂は桧風呂で、ほんのり甘い木の香りがした。
あまりゆったり風呂に浸かれることなどないから、いい気分転換になったようで、沈みきっていた気持ちもほんの少し、楽になる。
部屋まで戻って、マリアがふすまを開けると、ミホークが振り向いた。
マリアがいつの間に戻っていたのだろうなどと思って立ち尽くしていると、ミホークがふっと息を吐いて言った。
「…どこへ消えたかと思った」
「あ……ごめんなさい、お風呂に行きたかったから」
「そうか」
落とすような言葉に、本物の安堵が見えたような気がして、マリアはどきりとする。だがこれは、自分の望みが見せる夢幻にすぎないのだろうか。
そのとき、ミホークがそっとマリアに歩み寄り、頬に手を伸ばす。
さわ、とまるで壊れものでも扱うかのような、遠慮がちにさえ見えるささやかな仕草で、ミホークの手がマリアの頬をなで、髪に少し触れてすぐに離れていった。
てっきり抱き寄せられでもするのかと思っていたマリアは拍子抜けしてしまう。
そしてわずかでも期待してしまった自分が、猛烈に嫌になった。
「………」
抱きしめてくれたら……などと、もう思うわけにはいかないのに。
自己嫌悪のままにうつむくと、ミホークが静かに言った。
「もうすぐ、刀の手入れは終わる」
「え……!?」
あわてて顔をあげると、ミホークが何とも形容しがたい表情でマリアを見おろしていた。
いつも傲然としていて何事も見逃さないような、引き締まった顔をしているのに。
「……どこか、行きたいところがあるなら連れて行くが」
「あ………」
そういえばマリアには足がない。ミホークに載せていってもらわない限りは自由に動けもしないのだった。
行きたいところと訊かれて、先ず頭に浮かんだのが―――シャンクスのところだった。
しかし、エースの件があったばかりの今、ミホークに頼むのも気が引けた。それにシャンクスも船で航海しているのだから、そう易々とはつかまるまい。
かといって、革命家としての本職に本格的に戻りたいとも思うことができなかった。
本当は、手近な島にでもおろしてもらって、定期船を乗り継いでいく今までの旅に戻るべきなのかもしれない。
だが―――ミホークが言った「行くな」の一言が、マリアの心に針のように突き刺さったまま、動かない。
あの一夜で全身にその言葉を刻まれたような気さえするほどに、無視しようにも大きすぎる言葉……依り縋りたい気持ちがないわけでも、なかったから。
まだそばにいたいなどと考えてしまう己が情けなくて、悲しかった。
「少し……考えても、いい?」
マリアが言うと、ミホークがゆっくりでいいと言って、それから付け足した。
「…動けるようになったなら、少し付き合え」
「……いいけど、何?」
「見せたいものがある。アヤメのところまで来い」
ミホークがマリアに見せたいもの。
まるで想像がつかなかったのだが、マリアに断る理由などなかった。
「じゃあ、着替えてから行くわ」
「ああ」
先に行っていると言って、ミホークは廊下を歩いていった。
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