02
『気をつけませんと、あっという間に攫われてまいますわ』
アヤメが冗談めかして言っていたあの言葉。
まさか早々に実現しかねない事態になるなど思いも寄らず。
何故マリアが火拳と共にいるのかは知らないが、二人が並んでいる様を見ただけで不愉快だった。
何より妬心に火をつけたのは火拳の表情だ。マリアと向き合う奴の顔、浮かぶ感情には見覚えがあった。
マリアと初めて会った時、偶然見かけた赤髪とマリアの逢瀬。そのときの赤髪は、火拳と同じ顔をしていたのだから。
あの時こそマリアはまだ誰のものでもなかったが、今は違う。
怒りも苛立ちも言葉で語るより刀のほうが早い。単なる脅し程度で済むはずが、火拳がマリアを庇っている様が余計に怒りを煽ったのだ。
マリアがそばにいなければ、あのまま迷うことなく振り切って首をはねていた。
マリアは、火拳が何を考えているのか全く分かっていない様子だった。少しは男を疑ってかかれと言ってやりたくなる。そして理解しろと。自分が数多の男どもにどんな目で見つめられているのかを。
だが火拳が呟いた一言は、一日マリアを放っておいた自分を暗に責めているかのようで。
火拳には何の関係もない話だと理解していても、もう一度刀に手が伸びたのは、互いが同じ男だからかもしれない。
部屋に戻っても、根幹のところで考えがすれ違っていることを知らざるを得なかった。
マリアが、何の下心もなく―――そして何の下心にも気づかず、火拳といたことは何となく理解できる。無防備極まりないが、無防備ゆえに何も知らずにいる。
しかし、何においてもマリアが全く自分を求めようとしないことに、焦燥感のようなものを感じたのだ。
……一緒にいたいと、マリアは思っていないのだろうか。
お互いの時が許す限り、二人でともに過ごしていたいと感じるのは己だけなのか。
暗にもっと己を求めてこいと伝えたかった。
その心に、ミホークがいるのならば。
だがマリアが唐突に青ざめてしまったのには、ミホークのほうが驚いた。
彼女にとって、何がそれほどの衝撃だったのか。
「……ごめんなさい」
マリアが呟いた謝罪に、胸が痛くなる。
聞きたいのはそんな言葉ではない。
言わせたいのはそんなものではない。
マリアとのつながりが急速に細くなり、消え去っていくのを感じる。
―――離れていく。
何も伝わらないまま、このままマリアを留め置かなければ、おそらく彼女は二度と戻ってこないだろうと、漠然と思い知る。
立ち去ろうとするマリアの手を掴み、その身を抱きしめた。
「…離して」
「断る」
「…離してよ!!」
マリアが明確な拒絶を吐いたのは初めてだった。
胸が、刺し貫かれたように痛む。暴れるマリアを逃がすまいと腕に力を込めた。
離すものか。
漸く、手に入れた。焦がれたものを。
だが身も心も、全てこの手にあると思っていたのは己だけだったのだろうか。
焦燥はそのまま衝動に変わり、マリアを畳に押し倒し黙らせる。
もう一度拒絶を聞いたが最後、彼女を手にかけない保証はもうなかった。
「お前はおれのものだ」
心のままに呟くと、瞠目したマリアの両目が濡れていく。
泣くのなら泣けば良い。己が理由になるのならそれすら構わない。
投げ出されたマリアの手にミホークは己のそれを重ねて握りしめた。
だが、細くしなやかな指が、ぎゅっとその手を握り返したのを感じて、ミホークは息を飲む。
―――ささくれ立った心に、まだ彼女をつなぎ止めておけるのではと、淡い期待が浮かび上がる。
口元を抑えていた手を外しても、もう拒絶の文句は出てこなかった。
代わりに、マリアの眦を涙が一筋伝って流れ落ちる。
それを舐めとり、そっと唇を重ねた。
握りあった手だけが、互いを明確につなぐ唯一の証のようだった。
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