04






 靄の中にいるようにぼやけていた意識が、ゆっくりと浮上する。
 ミホークが目覚めると、日の光が燦々と輝いているのが、帽子の隙間から見えた。
 少しのんびり寝過ぎたようだ。

 帽子をとって体を起こすと、かけられていたフトンに気がつく。おそらくマリアがかけていったのだろう。
 当のマリアはというと、部屋にいない。
 散らばっていた新聞はまとめて隅に置いてあった。
 その隣にはマリアが持ってきたトランクがある。

「………」

 しん、としている和室に、少しばかり嫌な予感がした。
 まさか自分に黙って出て行くとは思っていなかったからだ。

「…姫さんがいない?」
「どこへ行ったか聞いていないか」

 どこへ行ったか見当もつかないのが実情で、尋ねる相手といえばアヤメしかいなかった。
 アヤメのところには、宿で働く者たちがいろいろ報告にやってくる。客の動向も当然、彼女が把握しているはずだった。

「姫さんならさっき町へお出掛けになりましたって、うちのもんが言ってましたわ」
「………」
「あんさんは休んでらっしゃるから、起こさんでいいって仰ったらしいんですけど…」

 思わずため息が出る。
 マリアが何を思って一人で出かけたかは分からないが、自分の思惑とは完全にすれ違ったらしい。
 ミホークを起こさなかったのはマリアなりの気遣いなのだろうが、少しくらい甘えてくればいいものを。
 それとも、単にミホークと一緒に出かけたくなかっただけなのか。
 できれば後者の可能性は御免被りたい。

「まぁ何にせよ、起きられたんならお迎えに行ったほうがいいですわ。何かあったらいけませんし」

 無論その積もりだった。ミホークが出て行こうとすると、アヤメに呼び止められる。

「あんさん、得物がありませんやろ? これ持ってってくださいな」

 アヤメが差し出したのは一本の刀。
 通常の刀より少し長いくらいだが、持てばその造りの良さが知れる。

「……これは」
「大業物"夜桜"。黒刀には及びませんけど、ええ子ですわ。代わりに連れてってください」

 すらり、とミホークが抜くと、細い白銀色の刀身に繊細な刃紋。黒刀と同じ、丁子乱刃だ。"夜桜"の銘に相応しい、まさに桜が闇夜に散るような妖しい美しさをたたえている。

「悪くない」
「最高のお言葉、有り難く頂戴しますわ」

 アヤメが心底嬉しそうに微笑んだ。
 世界最強の剣士に、好まれ振るわれる刀は多くない。

「ほんじゃ、早く行って差し上げたらいいですわ。良くない輩もおりますから」
「ああ」

 黒刀と、胸に下げた小さなナイフ以外の得物を持つのは久方ぶりだ。
 ミホークは"夜桜"を下げて宿を出た。


 ***


「ずいぶん妙なとこに泊まってんだな」
「まぁ、たしかに普通ではないかもね」

 山あいの道をエースと並んで歩く。
 アヤメの仕事は知る人ぞ知るというもので、客にはそれなりに有名な者たちがやってくるに違いない。
 実際、今もこの上なく有名な大剣豪が来ているわけで。
 普通の鍛冶場や宿のように、町中に作るわけにはいかないことくらいはマリアにも分かる。

 そろそろ宿にも近いので、このあたりで別れたほうが良さそうだった。

「この辺でもう大丈夫よ。ありがとう」
「同じ方向だ、気にしなくていいさ」

 大きな手がマリアの頭をがしがしと撫でた。何だかんだで、マリアのことを気遣ってくれたエースに、マリアは笑う。
 そのとき、マリアはふと気になった。

「ねぇエース、ある男を追ってるって言ったけど…」

 誰なの?

 何気ない質問のつもりだった。
 だがそう問うた途端、エースの顔から笑みが消えた。

「……エース」
「…ティーチってヤツだ。今は黒ひげって名乗ってるが」
「黒ひげ……」
「知ってんのか」

 名前を聞いたことがあるだけだ。詳しくは知らないとマリアは首を横に振る。
 黒ひげ―――革命軍がぶつかったことはまだ無いが、引き連れている連中を見ても、相当危険なことは明らかだった。

「……相当、危ないと思う、けど」
「分かってる。けど、このまま済ますわけにゃいかねェんだ」

 落ちるような静かな言葉に底知れない怒りを感じとって、マリアは息を呑む。

「……気をつけて」
「ああ」

 エースはまた笑ったけれど、その笑顔には影が落ち、黒い瞳には光が見えない。
 怒りだけでなく、エースが背負うあらゆるもの―――覚悟だとか、決意だとか、感情だとか、そういう澱のような重みが透けて見える笑みだった。
 もしかすると、底抜けに明るかったポートガス・D・エースという男の本当の姿は、むしろ此方なのかもしれなかった。

 思わず見入っていると、エースがそっとマリアの髪の一束に触れてきた。




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