03






 マリアが一週間分の新聞に目を通し終わるころにはすっかり日も落ちて、夕食の膳が運ばれてきた。
 マリアは凝った肩を回してほぐす。ずっと似たような姿勢のまま没頭していたので、あちこちがこわばって痛い。

「こちら、大したお品じゃないですけど……ゆっくり上がって下さいな」
「いいえ、ありがとうございます」

 質素ではあるが、小鉢に入った煮物は野菜の彩りがきれいで美味しそうだ。

 マリアがいただきます、と食べようとすると、膳を運んできた女性が立ち去らずに、こちらを見ていることに気づいた。
 何か粗相でもしただろうか。

「あの、私何かやらかしましたか…?」
「いえ、とんでもない! ただ、頭の良い方なんやなぁって思ったんです。不躾をお許し下さい」

 頭を下げられて、マリアのほうが慌てた。それに、別に特別なことは何もしていない積もりだ。

「新聞、たくさん読んでらしたでしょう? ここのお客様で、そういうことをなさる方はいなかったもんですから」
「ああ…でも、それが仕事みたいなものなので」
「それに、あの鷹の目のあんさんがお連れした方ですもんね。とってもきれいなお人って、アヤメ姐さんも言ってましたわ」

 そういえば、ミホークはまだ部屋には戻っていない。ずっとアヤメと話しているのだろうか。
 アヤメとは古い付き合いがありそうだったし、刀のこととなればミホークにも何かしら話したいことはあるだろう。だが、アヤメが無口な彼とどうやって長く会話をつないでいるのか気になった。

 たとえマリアが混じりに行ったところで、てんでついていけないのは目に見えていた。だからあえて何をしているか、見に行こうなどと考えないようにしていたのだ。

「ミホーク……彼はよくここに来るんですか?」
「よく…ってほどでもないんですけど、刀のことではご贔屓にしていただいてますよ。アヤメ姐さんの腕は確かですから」
「そうですか…」
「あっ、でもあんさんとアヤメ姐さんはぜぇんぜん何にも無いですよ? あくまでお客様と職人ですからね」

 女性のほうは、少しマリアの表情が陰ったのをアヤメとの関係を心配したものと思ったようだった。
 べつに、心配はしていない。
 それはミホークのことを信じているとか、そういう感情ではなく。ただ、彼には彼の思うように動いて欲しいというだけだった。
 彼の自由気ままを妨げる権利なんて、マリアにあるわけはなかった。
 アヤメと何をしていようが、彼が望んだことなら構わないし、止める積もりも無い。

 それに、マリア自身にもやらなければならないことが無いわけでも無い。

「つかぬことをお聞きしますけど…あの建物は何ですか?」
「え?………あぁ」

 マリアは、窓から見える派手派手しい建物を指差した。
 女性の顔が、苦々しく歪む。

「こういうのも難なんですけどね……あれはあんまり上品やないお方々のお城です」
「お城?」
「本拠地…とか言います? 町じゃあ迷惑してるんですけど…いろいろあくどいことしてますわ。お客様は別嬪さんやから、町に行くときはよぉくお気をつけて下さいましね」

 新聞でも、荒くれが大なり小なり事件を起こしていることは散々取り上げられていた。この町の治安そのものが支配されかけているのかもしれない。
 鷹の目のあんさんと一緒なら安心やけど、と言われて、マリアは苦笑した。
 残念ながら、当の「鷹の目」は出かける積もりはなさそうだったから。


 しゃべりすぎたと謝って女性は下がっていき、またマリアは一人になった。
 もともと、一人きりで過ごす時間は嫌いではない。
 けれど、一人の食事はひどく長く感じられた。
 これから夜が深まって、朝が来る。それがとてつもなく長い時間のように思われたのだ。
 ミホークと一緒にいたときは、夜などあっという間に過ぎ去って、名残惜しささえ感じたというのに。
 マリアは、これから朝までどうやって過ごせばいいのか、分からなくなっていた。

「ミホーク……」

 かすかな声で名を呼んでみても、彼がここに来るわけでもなくて、あっさりと広すぎる部屋に吸い込まれて消える。

 不本意だが、気を紛らわすものがどうしても必要だった。
 マリアは、束ねておいた新聞を持って立ち上がる。
 今度は一週間どころか、一年分くらいは読み通してしまえそうだった。




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