01



冷たいシンナーの匂いは目眩がする、だから貴方の唇から酸素を頂戴





 あれからしばらく睦みあっていたが、だいぶ日が傾きかけていることを思い出して、マリアはようやくベッドから降りた。
 ミホークは不満げに見えたが、いつまでも一緒にいたら離れがたくなってしまうし、そろそろ真面目に腰も危うい。
 シーツを体に巻きつけて、時計を見たマリアは思わずため息をついてしまった。
 こんなに長くベッドにいたのは久しぶりだ。

「…シャワーを先に借りてもいい?」
「ああ」

 一応ミホークの部屋なので、断ってシャワールームに入る。広々とした大理石造りの浴槽に、またため息が出た。
 ミホークは絶対に金遣いが荒いに違いない。



 シャワーを使いながら浴槽に湯を張っておき、さっさと出てきたマリアを見たミホークが、早いものだなとつぶやいた。

「女は皆、長風呂だと思ってた?」
「ああ」

 起き上がって黒いガウンを纏うミホークのところへ、マリアは水差しとグラスを持っていく。

「……先にシャワー使って、女が出る前に出てくのが定番だったとか?」
「そうだな」

 あっさり認めるミホークに呆れる一方で、先にシャワーを使わせてくれたことが何だか嬉しかった。
 マリアはグラスに水を注いでミホークに手渡した。

「先刻も訊いたが、何か急ぎの用があるのか」
「急ぎっていうか、今日の定期船に乗るつもりだったからどうしようかと思って」

 シャワールームのそばで着替えも完璧に済ませてきたので、髪さえ乾かせばマリアはだいたい体裁が整う。
 ミホークが今までどんな女を相手にしたのか知らないが、着替えやら何やらは時間をかけるタイプが多かったのかもしれない。
 ミホークは、定期船と聞いてまゆをひそめた。

「定期船に乗るのか」
「ええ。私には足が無いから」

 ミホークが、一息でグラスの水を飲み干して、マリアに返しながら言う。

「それは残念だな。今日は島から船は出んぞ」
「……え? 嘘っ!!」

 なんで!? と問うマリアに、今日は船休みで出さない日のはずだと教えてやった。
 したり顔の―――と言ってもあまり普段と変わらないけれど―――ミホークに、マリアはじっとりした目を向ける。

「……もしかして、知ってたから私といたの?」
「それは勘ぐりすぎだ。好都合だがな」

 知ってたなら教えてくれれば良かったのに、とちょっと理不尽なことを考えてしまう。マリアは頭を抱えたくなった。
 この島での仕事は終わったし、海軍の駐屯所もあるのだ。正直、長居したくないのが実情だった。
 だが足が無くては仕方がない。まさかミホークの船に乗せてもらうわけにも―――

「そんなに困らなくともおれと共に来れば良いだろう」
「!!………でも、大丈夫なの?」
「お前一人乗せて沈むような船ではない」

 たしかミホークの船は棺のような形をした小舟だったか。
 沈む心配は別にしていなかったのだが、はたとマリアは気づく。
 船が沈む……というのは、単純に物理的なことだけではないのではないかと。
 海賊にとって船はとても大切なものだと、シャンクスたちを見ていてマリアは知っていた。
 たとえマリアを乗せていても、何事も心配するようなことにはさせないという意味さえ含むのだとしたら。

「…ちょっと考えすぎかしら」
「何がだ」
「いえ、いいの。独り言だから」

 この考えは買いかぶりすぎかもしれないけれど、一緒に来いと言ってくれたことは、嬉しかった。
 踊り上がりたくなるくらいに。
 口元は緩んで、胸の内がほんわりあたたかくなる。

「じゃあ、お言葉に甘えさせていただくわ」

 髪をタオルでごしごしやりながらマリアが言うと、ミホークが不敵と言わんばかりの笑みを口元に浮かべる。

「いつもそれくらい素直であればいいがな」
「な!?……ばかっ」

 ミホークの言う「いつも」がどういう時か想像がついて、マリアは真っ赤になった。

「……恥ずかしいこと言ってないで早くシャワー浴びて頂戴」
「別にどこでとは言っていないが」
「……いいから早く行って!」

 ぐいぐい背中を押して、苦笑しているらしいミホークをシャワールームに追いやる。
 まさかこんな風にからかわれるとは思いもよらず、真っ赤になったままの頬はまだ熱がひかない。
 熱い頬を手で包んで……そこで思い出した。

「あっ、ミホーク」
「何だ」

 部屋の角の向こうにいるのでミホークの姿は見えないが、かすかな衣擦れの音がする。

「……お風呂、お湯張っておいたからゆっくりどうぞ」
「…ああ」

 ミホークがシャワールームに行ってしまったのを気配だけで確認して、マリアはまた髪をいじりはじめた。




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