01



染まる指の未来




 翌日……マティウスはよく晴れていた。
 爽やかに晴れあがった空。今日の天気の予定は終日快晴だ。
 エヴァンジェリンとカオルは、マティウスの郊外へ黒いエレカを走らせていた。
 理由は明々白々。ジュール邸での「お茶会」に行くためだ。しかし二人ともパーティの時のようにドレスアップせず、軍服のままだった。
 カオルは着飾らせようといろいろ画策したのだが、エヴァンジェリンは今回は頑なにそれを拒んだ。
 エヴァンがお手製のお茶菓子を作ってきただけでも上出来か、などとカオルは思う。料理は得意なくせに、滅多に他人にはふるまわないのだから。
 エヴァンジェリンは、ジュール邸への道中、ほとんど口をきいていない。カオルには、彼女が悶々と戦っている不安が、手に取るように分かった。純愛だなんていうには、この恋愛沙汰は喜劇的にすぎる。

 ジュール邸の門をエレカでくぐる。停車したところへ、初老の執事らしき男性が出迎えた。
 扉を開けてくれた男性に会釈したエヴァンに、カオルは声をかけた。

「それじゃ、夕方あたり迎えにくるよ」
「…一緒に来ないのね」
「…エヴァン、オレがいたら余計、修羅場だよ?」

 イザークの性格を想像するに、たしかにカオルはいないほうが平和だろう。それでも渋面を浮かべたエヴァンに、カオルは苦笑する。

「何かあったら、エマージェンシーコールでかけてきなよ。すぐとんでくるからさ」
「…そんなことにならないよう祈ってるわ」

 どうやら軽口が叩けるくらいにはなったらしい。カオルはまたエレカに乗り、エヴァンに手を振った。
 …正直、祈っていたいのはこちらのほうだ。



 ***



「エザリア様、お客様がいらっしゃいましたが…」
「ありがとう、此方へお通ししてちょうだい」

 朝から落ち着かなかったイザークがピタリと足を止める。エザリアは、分かりやすい変化にこっそり苦笑した。

「…どうぞ此方へ」
「…ありがとうございます」

 執事に案内されて入ってきたエヴァンジェリンの表情は堅かった。
 初めて会ったときのようにハシバミ色の髪は下ろされていて、優雅だった。服装は二度目に会ったときのように、黒くすその長い軍服。
 エヴァンはやはり美しい。だがパーティのときに見せた女性らしい華やかさは無い。彼女自身が、鞘におさまった鋭利なナイフのように思えた。
 エヴァンの新たな一面に、イザークはただ見入るしかない。

「エヴァンジェリン嬢、急な呼び立てによく来てくれましたね」
「いえ、お招きいただき、光栄です」

 何食わぬ顔で挨拶したエザリアの姿に、イザークは我にかえる。エヴァンは、持ってきた箱を取り出してエザリアに手渡すところだった。

「おや、こちらは…?」
「つまらぬものですが、お茶会と聞きましたので…焼き菓子です」

 エザリアが箱を開けると、中にはマドレーヌが並んでいた。丁寧に詰めてあったが、手作りの感が色濃く現れていた。

「まあ、美味しそうな…まさか、貴女が?」
「…畏れながら」

 エザリアは驚きを隠さず、きれいに焼けているマドレーヌをしげしげと眺めた。

「素敵なお土産だこと! さっそくいただきましょう、ねぇイザーク?」
「!! …はい」

 呆けていて、気づけばエスコートどころか挨拶すらまともにしていなかった。イザークはエヴァンジェリンに歩み寄った。

「先日はお相手をありがとうございました、イザーク」

 「さん」だの「様」だのがつかなくなったのはいいが、エヴァンジェリンの言葉遣いは未だに敬語のまま。軍服のおかげで余計に堅苦しく聞こえる。

「そんなに堅くならなくていい。…来てくれて嬉しい」
「!!……お招きとあらば私はいつでも…」

 どうやら尚更緊張させたらしい。形式的な言葉は照れ隠しと見なし、イザークはエヴァンの手をとって椅子のほうへ導いた。

「どうぞ、レディ?」
「ありがとうございます…」

 エヴァンに椅子を引いてやってから、イザークは、「どうぞ、母上」と慣れた仕草でエザリアにも椅子を引いた。紳士な振る舞いが板についているのはエザリアの教育の賜物だろうか。

「本当に堅くならなくていいのよ。呼びつけたのは此方なのだし…それに、戦争は終わったのだから」

 戦争は終わった。
 エヴァンはこの言葉を、あらゆる人から何度となく聞いた。そのたびに、その裏にはどんな意図があるのかを考えてしまう自分が、普通ではないことを思い知る。

「しかし、エザリア様、私なんかをどうして…本当によろしかったのですか?」

 言葉こそ何気ないものに聞こえたが、エザリアはその内に込められた真意に気がついていた。
 どうして、の理由を、エヴァンはおそらく分かっている……だが今まで自分がやってきたことを思って、受け入れられずにいる。

 彼女は赦しがほしいのだ。エザリアと同じように。

「いいのよ。貴方が息子に良くしてくれているようだから、私も気になったの」
「エザリア様…」
「いいのよ」

 エヴァンも同時に理解していた。エザリアが何を思って「いい」と言ったかを。

 沈黙。
 静けさの中、おだやかな微笑みの下で、二人の女はお互いに、どれほどの感情がせめぎあっているかを感じていた。
 その感情の源が、二人のそばにいる青年への想いであることは、分かっていた。

「…ありがとうございます」

 エヴァンが言った一言は、小さなささやきにも等しかったが、静けさのなかでははっきりとエザリアに届いていた。




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