01



不愉快な転調




 マティウス市にある、ひときわ広大で瀟洒な邸宅。
 美しく整えられた庭が見える大きな門をエレカでくぐる。扉の前にエレカが止まれば、出迎えた初老の男性がドアを開けた。

「おかえりなさいませ、イザーク様」
「ああ」

 イザークはコートと手荷物を彼に預け、家へ入る。マティウスの実家に戻るのは久しぶりだった。

「母上はどこに?」
「エザリア様はお部屋においでです。すぐにお出迎えに来られると思いますが…」
「イザーク!! 待っていましたよ」

 執事が言い終わらないうちに、イザークに似た美貌の女性が、階段を下りてきた。エザリア・ジュール、イザークの母……正確に言うならば、イザークの容姿が彼女譲りのものだ。
 前大戦中は強硬派の一人として議会にいたが、今はその地位を退き、専門である宇宙工学研究に打ち込んでいる。

「母上、ただいま戻りました」
「ええ、元気そうで何よりだ」

 エザリアは嬉しそうにイザークを抱き寄せ、頬にキスする。イザークとしてはかなり気恥ずかしいものがあるのだが、女手ひとつで育ててくれた母の愛情を思うと、拒む気にはなれなかった。

「議員としての務め、ご苦労でした。色々と話を聞かせて頂戴。お前の好きな茶葉を取り寄せておいたから」
「あ、母上…」

 頭を撫でて言うエザリアに、イザークは気になっていたことを言い出しかねる。

「? どうかしたのか?」
「ああ…いえ、何でもありません」

 せっかくの再会を喜ぶ母に、余計な水を挿したくはない……母親に甘いイザークとしては、またの機会を探すのが一番良いように思われた。
 エザリアは、わかりやすい息子の変化に気づいていたが、自分から何も言いたがらないのなら…と素知らぬふりをした。

「とりあえず、その堅苦しい格好を着替えてくるといい。ここにはいつまでいられるのですか?」
「…一週間ほどです。その後は軍基地へ戻りますので」
「では、夕食はゆっくりとれそうね」

 微笑むエザリアとともに、イザークは自室へ向かう。


『…君の母上に訊いてみればいい。<アンノーン>のエヴァンって言えば、たぶんすぐ分かる』


 カオルの台詞が、イザークの脳裏に何度となくこだました。


 ***


 近況報告を兼ねた夕食後、イザークはエザリアとともに、応接間でお茶を飲んでいた。
 エザリアが紅茶好きなこともあって、イザークも紅茶にはうるさい。エザリアが取り寄せたと言った芳醇な香りのアッサムは、イザークのお気に入りだった。
 だがイザークは、正直なところ、その紅茶の味もあまりわからなくなっていた。母にエヴァンのことをどう切り出すか…考えあぐねているうちにタイミングを逸して今に至ってしまったわけで。
 ―――エザリアは、息子の悩む姿を見かねて口を開いた。

「…それで、何をそんなに悩んでいるの? イザーク」
「はっ? 俺は別に…」
「ごまかしても無駄です。まさか母にわからないとでも?」

 微笑みながら言うと、イザークは渋面を浮かべた。……たしかに、母に隠し事ができた試しは無いのだが。

「母上…お訊きしたいことがあるのですが」
「なあに?」
「<アンノーン>のエヴァンジェリンという名前について、何かご存知ではありませんか?」

 エザリアが、紅茶を口に運ぼうとしていた手を止めた。




[ 9/31 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[栞を挟む]
表紙へ



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -