光よ、あなたを亡くしては



 世界を見る事は出来ず







 闇よ、あなたを亡くしては



 世界は姿を象る事はできないだろう





 



 光と闇と



 どちらもなくては



 物の形はわからない







 光があって



 闇がわかる





 闇があるから



 光がわかる









 全ては



 そう、出来てるんだ






Episode 016. Beseeching eyes
- 懇願 -






 ドナテルロは、カレルの方を盗み見た。見た事もないような力を使っているが、先ほど刺された傷の治りが遅いように見えた。傷を治す為のエネルギーすら残さずに、戦っているということか。ドナテルロには、未だ理解できなかった。優しい優しいシルヴィア。いつも変わり者のオルソの側にいて、笑顔で迎えてくれたシルヴィア。ただの人間の女だった彼女に、どうしてあんなにも興味をそそられたのか。彼女の持っていた、混血の赤ん坊も、その魅力の一つだった事は確かだ。けれど、彼女の魅力はそこに留まらない。人間は、悪魔に負の感情しか持たないものだと思っていた。実際に人里に降りて、それ以外のものを向けられた試しがない。そういう生き物だと思っていたら、例外はいるらしいことを知った。シルヴィアは決して、自分たち悪魔に負の感情を向けなかった。人間にそんな風に接しられた事がなかったドナテルロは、シルヴィアに興味を持ったのだ。けれど、いくらシルヴィアを知っても、彼女を理解することは出来なかった。どうして、いつも同じ奴の側にいるのか。どうして、あんなに優しいまなざしでオルソを見ていたのか。どうして自分の命のように、赤ん坊を大切にしていたのか。彼の目に、シルヴィアとユキノが重なって見えた。そして、オルソとカレルも。



「あーら。拉致があかねぇなぁこりゃ。疲れたし、帰るかー」



 見れば、参戦していたはずのティントレットはもういなくなっていた。悪魔は降ってはわいてくるように、止めどなくその数を増やしていた。この魔の里に、これほど悪魔がいたのかという程、その数は圧倒的だった。その騒ぎの中心で、瀕死の一人の人間を守りながら、一匹の悪魔が戦っている。見学するならとても楽しいものだったが、ここまで多くては彼らが見えるように視界を開くのも面倒だ。ドナテルロはため息をつくと、面白いテレビを見逃してしまうのを悔しがる子供のように舌打ちして、その場から姿を消した。


-†-†-†-




 こんなに必至になって、何をしているのだろう。自問は、答えのないままループしていく。押し寄せてくる悪魔は、無限に続くのではないかと思う程うじゃうじゃとわいて出ていた。キアラの魂のおかげで、エネルギーは足りない事はないが、こういつも力を使わされていては自分の身体に回すエネルギーが追いつかなかった。それでも徐々に傷を塞ぎ、今は血は流れていないはずだ。ユキノはまだ、息をしていた。魂の強い輝きに傷口がかすんでいるが、きっと治癒してはいないのだろう。人間の治癒能力は、驚く程低い。カレルは舌打ちした。ユキノを連れて逃げても、すぐに道を塞がれてしまう。今は結界を張っているが、移動しながらの結界はかなりの集中力が必要だ。かといって、結界を張らずにユキノを抱えて、攻撃したら、こちらの攻撃で死んでしまうかもしれない。カレルは、いつかオルソが呟いていた言葉を思い出した。



『守るものがある戦いほど、難しいものはないね』



 戦う事を嫌ったオルソが、唯一、自ら戦う事を選ぶときがあった。シルヴィアが絡んで、なおかつ彼女に危害が及ぶ時だ。まっさきに、戦いを放棄し自らを差し出すオルソが、何をしてでも譲らなかったものだった。



 カレルはその言葉を聞いた時、アホか、と返しただけだった。けれど、今はその時の言葉の意味がわかる。考えなければいけない。いつもと違うのは、その一点だ。こうすれば、ユキノはこうなるかもしれない。ああすれば、ユキノはこうなるかもしれない。自分の攻撃も、相手の攻撃も、先を読んで行動しなければ、弱い彼女はすぐに死んでしまうのだ。



 カレルは苛立っていた。あれも駄目。これも駄目。では、何をすればこの状態から抜け出せるのだろう。時間がある訳ではないのに。



 ユキノを見つけてから、どのくらいの時間が経ったのかわからなかった。しかし、カレルはある時、近づいて来る大きなエネルギーを感じ取った。良く知っているようで、全然知らないような、不思議なエネルギー体。カレルは舌打ちした。ここまで大きなエネルギーを持つ悪魔相手に、人間を守りながら戦うなんて無理に思えた。雑魚に応戦しながら、その物体が何かを見極めようと目を凝らす。



「―――はぁ?」



 それは良く知る人物だった。気弱で、変わり者。人間の女の墓を、ここ数百年守り続けていたはずの悪魔だった。彼のどこに、あれほどのエネルギーがあったのだろうか。彼女が死んだ時以来会ってないが、噂では、眠る魂を取ろうとする悪魔達を追い払うため、彼女の墓を離れないのだと聞いていた。

 オルソはカレルへの道を開くため、一直線に悪魔達をなぎ倒していった。そして彼らの側まで来ると、大きな結界を張る。



「……久しぶりだね」

「……」



 一時的に静かになった周囲に内心ほっとしながら、カレルはオルソを見た。良く知っているエネルギー。キアラの魂を食らったカレルをも、しのぐ膨大な力。突然強くなったオルソが、何をしたのかは一目瞭然だった。



「へぇ。食ったんだ?」

「……うん」



 シルヴィアの魂を、オルソは食らったのだ。予想外の行動に、カレルは驚いてみせた。けれどオルソの金の瞳はカレルを見てはいなかった。彼の肩越しに、血を流し横たわる少女に注がれている。オルソの結界は頑丈で、カレルは自分の力を自分の治癒に回すことができた。すぐに塞がった傷口を見てから、ユキノを抱き起こす。



「そのこが…」

「あ?」



 時々、ドナテルロとティントレットが墓を訪ねていたらしいが、オルソはまともに会話をするのも久しぶりなのではと思った。呟いたまま口を閉じてしまったオルソに、会話する気はないのだろうと諦める。けれど、彼は数十秒の後また口を開いた。



「お前の天使か」

「はぁ?」



 何を言い出すのか、そこまでおかしかったとは。本気の哀れみと軽蔑のおり混ざった眼差しを送りつけても、オルソは一向にカレルを見ようとしなかった。実は大した度胸の持ち主だったのかもしれない。



「シルヴィアが、助けて来いって言ったんだよ」

「……」

「この数百年、声を聞いたことなんて無かったのに」



 オルソはやっとカレルを見ると、にこりと笑った。カレルはどちらかというと、オルソに似ている。けれど纏う空気が違う為に、彼らが似ていると感じる者は少ないだろう。カレルはいつも、高圧的な無表情でいることが多いが、オルソは穏やかな表情でいることが多い。久しぶりに、自分の顔の穏やかな表情を見せられて、カレルは複雑な気持ちになった。カレルの瞳をまっすぐに見たオルソは、笑顔の中に一瞬影を見せた。怪訝な顔をしたカレルに、苦笑を漏らす。



「いや…ごめん。お前の瞳、片方蒼い事忘れていたわけじゃないんだけどな」



 オルソはカレルの側に来て、ユキノを覗き込んだ。悲痛な表情は、およそ悪魔のものではない。



「早く、安全な所へ連れてってあげなきゃな。カレル、結界自分で張って」

「…あ?」



 オルソは結界を解くと、カレルの家の方面に向かってありったけのエネルギーを放った。余波を、カレルがすぐさま張った結界が防ぐ。オルソは一時的に出来た道を行くように促した。カレルには、オルソの行動が謎に思えてならなかった。不思議な奴な事はわかっていたはずだが、これではまるで人間のようだ。



「…何、なんか取り引きしたいわけ」



 オルソはカレルの言葉に、目を大きくした。



「でなきゃ、あの女に取り憑かれてんの?」



 そうならば悪魔として情けなさ過ぎだ。オルソはカレルを見て、そしてため息をついた。オルソはまた結界を貼ると、カレルの抱いているユキノに近づいて手を魂に乗せた。



「…ほら、よく聞いてみなよ」

「は」



 オルソはゆっくりと、目を瞑る。まるでこの瞬間で時が止まってしまったかのように、ぴたりと動かない。そして目を開いて、ユキノを見た。



「天使の息づかいが聞こえるだろ」

「…はぁ?」



 何が天使だ、やはり頭がいかれているらしい。



「いいよ。きっとすぐにわかる。とにかく、僕はこの娘を助けてこいって、僕の命より大事なシルヴィアに言われてるんだ。早く行って」



 カレルは腑に落ちないまま、再び塞いだ悪魔達に向かって、またエネルギーを放つオルソを睨んだ。けれど現状、その謎に構っている暇はない。オルソの作った道を、カレルは進んだ。ユキノ目がけて集まってくる悪魔達を、オルソがなぎ倒して行く。悪魔の群れを抜けて、振り返るとオルソが足止めをしていた。悪魔同士の連携など、まるで考えていなかったカレルからすれば、こんな事はありえない展開だった。









 カレルの気配が消えてから、オルソはにこりと笑った。耳元で、彼女の声がする。数百年ぶりに聞く、優しく柔らかい声。



「……そうだね。これからは、僕たちも変わらなければいけないんだ」



 オルソは、悪魔達を見た。とても友好的に、そして畏怖さえ感じさせる迫力を伴って。



「僕が、新しい魔の里の統治者だ。よろしく。意義のあるものは相手になるよ」






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