あなたの心も 私の心も きっと 同じ色をしているの だって、心は見えないけれど 悪魔だとか ひとだとか まして、天使であっても きっと悲しいし きっと寂しいし きっと、嬉しいんだもの - 他が為のうた - ―――この地に、とても弱気な悪魔がやってきました。綺麗な瞳を持つその悪魔は、私に懐いて、楽しそうに笑うのです。けれど、彼は村の人たちからは歓迎されるはずもありませんでした。彼の心は、あんなにも純粋なのに。――― カレルは、古くなった日記にびっしりと書かれた文字を目で追った。この部屋は、彼女が死んでから、その時間を止めてしまった。 ―――彼を愛しています。けれど、きっと彼は、認めてはくれないでしょうね。…私の気持ちも、私を想う、彼自身の気持ちも。――― 蒼い瞳は、彼女から貰った。そして金の瞳は、彼女が愛した、あの男から。彼女が死んで、何百年も経っているけれど、まだあの男は彼女の墓を守っているのだろうか。 ユキノの生まれる、ずっと昔。その村はまだ、小さな小さな集落でしかなく、毎日を村人全員で協力しながら暮らしていた。 「今日のお話は、これでおしまい」 昼の陽日は温かく、この小さな村に優しく降り注ぐ。集めた子供たちに物語を聞かせるのが、シルヴィアの楽しみだった。子供達は物語を聞き終えると、お礼の代わりにうたを歌ってくれる。木の切り株に座ったシルヴィアを半円型に囲んで元気に歌う子供たちの声につられ、森の精霊たちも踊りだすのだ。その光景を見るのが、何より楽しかった。 「シルヴィ、もっとお話して!」 「天使のお話がいいっ」 「はいはい、それはまた次ね。ほら、みんなで遊んでいらっしゃい」 優しく細まる瞳は、晴れ渡る空を連想させる蒼だった。ブロンドの髪は、横に纏められ、ゆるく編まれている。子供たちが駆けていくのを見送り、シルヴィアは立ち上がった。精霊達は各々、花とじゃれていたり、ゆらゆらと風と遊んでいたりする。綺麗な森の空気を胸いっぱいに吸い込んで、伸びを一つし、家の方向を見た。すると、背の高い青年が一人、立ってこちらを見ていることに気がついた。 「…あの?」 「……」 この辺りでは、彼のような青年を見た事がなかった。光に透ける髪は、見た事もない灰がかった蒼だった。白いシャツから覗く腕も、透けているのではないかと思う程白い。少し癖のある、目にかかりそうな程に伸びた前髪を、青年が払う。その姿があまりに美しかったので、シルヴィアは最初の一言を言ってから、口を閉ざしてしまった。何も言わぬ青年との、不思議な時間が流れる。と、青年はふいっと後ろを向いて、どこかに消えてしまった。シルヴィアも帰る方角なのだが、彼のいた場所からどこを見ても、彼の姿は見当たらない。 次の日も、子供達を帰すとその青年が立っていた。何も言葉を発しないが、その表情は穏やかで、微笑んでさえ見えた。けれどシルヴィアにはその微笑の中に、少しの不安が混ざっているような気がした。毎日お話をするわけではないが、彼はシルヴィアが話をするときはいつも来ているようだった。何も話をしないまま一月が過ぎた頃、シルヴィアは子供達を帰した後、青年の姿を探してしまうようになっていた。穏やかに立つその美しい青年を見ると、シルヴィアは不思議と胸が温かくなった。けれどある日、青年の姿が見えない時があった。 「…あ、名前も知らないんだったわ」 名前もわからないのでは、呼んで探すこともできない。シルヴィアは次彼が来たら、今度は名前を聞いてみようと思った。けれどその次も、その次も、結局は一年が過ぎても、彼の姿はそれきり見ることはなかった。 シルヴィアは、青年の事を旅人なのだと考えていた。もう、彼は違う村に行ってしまったのだろうと、シルヴィアが諦めていたある日、村の近くにある大きな森に薬草取りに出かけると、何かの黒い羽が多く散らかっている場所があった。鳥が争って抜け落ちたものにしては、あまりに多い。シルヴィアは気になって、その羽が作る道のようなものの先を覗き込んだ。 「…!」 草木に埋もれていてよく見えなかったので、それをかき分けた。すると、大きな羽を広げたまま、横向きにそれは倒れていたのだ。 「……悪魔…」 シルヴィアの村には、昔から悪魔がふらっと現れることがあったらしい。けれどシルヴィアが生まれる少し前、悪魔狩りというものが世界で巻き起こった。ブームはすぐに去ったというが、その頃から、村に悪魔が来ることは稀になったと聞いていた。 倒れている悪魔は手負いなのか、彼の動いた後と思われる土には黒い血が着いていた。羽は酷く折れ曲がって、これではきっと飛べないだろう。シルヴィアは倒れている悪魔をしげしげと眺めた。くるりと回って、顔を見てまた驚いた。その顔は一年前、村でよく見たあの青年の顔と同じだったのだ。ただし耳がとがり、苦しそうに息をする口からは鋭い牙が見える。 「…やだ、このままじゃ駄目よ」 シルヴィアは近くの小川で水を汲んで来ると、傷口を丁寧に洗い、今しがた摘んだばかりの薬草をすりあわせてそこに当て、布を巻いた。悪魔に効果があるかはわからないが、彼女自身の気休めにはなる。一人で運ぶのは無理そうだったので、移動するのは諦めた。吹き出ている汗を拭い、彼の無事を願った。 しばらくすると、青年の呼吸は落ち着いてきた。さすが悪魔の回復力とでも言うのか、傷口も徐々に縮まっていた。 「……んん…」 青年が少しうめき、そして瞳を開けた。シルヴィアは彼の瞳を見て息をつめる。茶色なのだと思っていた瞳は、輝く様な金色だった。 「………あれ…」 「気がつきましたか? 良かった…死んでしまうのかと思いました」 「………今のうたは…」 「お祈りのうたです」 「…。…!」 「あ、急に起きては駄目ですよ」 青年は起き上がると同時に、背に生えていた見事な羽を消した。そしてみるみるうちに耳が小さく、瞳は濃く、人間のそれと変わらないようになった。全てが完璧な人間の姿になった青年は、何か不安そうにシルヴィアを見た。あまりの必至な様子を見て、シルヴィアはくすくすと笑ってしまった。 「……」 「ごめんなさい…笑ったりして。ふふ。でも、そんな風に隠しても、もう知ってしまったから仕方がないと思いますよ?」 「…怖くないの」 そういえば、悪魔と言えば昔から悪戯をしてはひとを困らせるもの達だと聞いていた。恐ろしく強い魔力を持ち、村を丸ごと焼き払ってしまったものも居たという。けれどシルヴィアはまたくすくすと笑った。 「あなたは怖くないです。くすくす、あ、気を悪くしたらごめんなさい」 微笑むシルヴィアを見て、青年はにこりと笑った。そして、シルヴィアの頬に手を伸ばす。吸い込まれてしまうのではと思う程、彼の空気ががらりと変わった。相変わらず怖くはないが、どうしようもなくどきどきする。 「ありがとう、シルヴィア」 彼は耳元でそう囁くと、すぐに座り直して俯いてしまった。 「え、私の名前…?」 「…知ってるよ。シルヴィアでしょ? 君は覚えていないかもしれないけど…僕、一年前くらいによくこの村で君を見ていたんだ」 「……やっぱり。知っています。どうしてそんなことを?」 青年は顔を上げて、また俯いた。 「私、ずっとあなたとお話したいと思っていました。あの、まずは名前を教えて下さいませんか?」 シルヴィアが言うと、青年は顔を少しあげて、信じられないというように彼女を見た。 「……オルソ」 「オルソ? まだ傷があるかもしれません。もし良かったら、うちで休んでいきませんか?」 「……シルヴィア…それは、止めた方がいいよ」 シルヴィアの誘いを、オルソは苦笑しながら断った。そしてシルヴィアの制止も聞かずに立ち上がると、ばさりと音を立てて黒い羽を出す。倒れていた時には折れてしまっていた羽も、もうすっかり元の形を取り戻していた。 「シルヴィア、ありがとう」 シルヴィアは、悪魔が飛び立った空をいつまでも眺めていた。耳元に響く、甘い声。控えめな笑い方から、彼の性格は伺い知れた。飛び立つ前の彼の表情は、何か大きな影を背負っているように見えた。 † BACK INDEX NEXT † |