ユキノをベッドに降ろすと、カレルは彼女の服を脱がせた。傷は未だ、どくどくと血を流している。少し拭ってみても、一向に収まる気配はない。それでも、ユキノは生きている。奇跡に近かった。



「……」



 カレルはまた、ユキノに口付けた。苦しそうに息をしているユキノの口を塞ぐと、彼女は少し手を動かして抵抗した。けれど彼の唾液を飲み込ませると、いくらかホッとしたように呼吸をする。



「……」



 黙ったまま見下ろすカレルの瞳には、今にも呼吸を止めてしまいそうな少女が映っていた。カレルの眉が少し険しくなって、大理石のように白い顔には左右色違いの目が、薄暗い光の中で薄められる。



「……死ぬの」



 少女に、悪魔は問いかけた。彼の声に、ユキノが目を開ける。涙の溜った瞳は、キラキラと輝いて見える。丁度ユキノの心臓の上に見えている魂と同じように。



「……」



 少女は苦し気に息をしながらも、うっすらと微笑んだ。彼が側に居る事を、この瞬間にも喜んでいるようだった。カレルはそのまま黙ってしまって、静まった部屋にユキノの呼吸の音だけが聞こえていた。



「…血を飲めば、まだ生きられるんだろうね」



 冷たい瞳なのに、冷たい声なのに、ユキノは嬉しかった。何をするでも無い、彼の声を聞くだけで。



「……懇願しないの?」



 カレルの言葉に、ユキノは少しだけ首をかしげた。カレルは彼女の額に浮き出た汗を拭う。



「助けてくれってさ」



 ユキノは彼の瞳を見た。ユキノは口を開きかけ少し戸惑った後、閉じた。声は、もう出せないのかもしれない。瞳だけで微笑んで、その気持ちを伝える。悪魔の甘い囁きには、昔から頷いてはいけないと言われている。それが理由ではない事は確かだが、ユキノは静かに首を振った。



 魂は、胎児の時に。身体は、四年前自ら。もうユキノに、悪魔と取り引きできるものは何も残っていなかった。カレルの瞳を見つめながら、ユキノは自分の人生を振り返ってみた。特に楽しい思い出も無かったけれど、カレルに出会って、こうして最期に立ち会ってくれている。カレルと出会った事が、ユキノにとっては一番素敵な思い出だった。カレルに抱かれて、一時でも健康な身体を手に入れた。まだまだやりたいことはある気がするけれど、それなりに満足のいく人生だった。



「何、考えてるの」



 カレルの声は、本当に冷たい。けれどユキノは四年、彼といて気づいた事があった。



「……ねぇ」



 声を出さないユキノ。微笑むだけのユキノに、カレルは手を伸ばした。



「…懇願するなら、……取り引きしようと思ったのに」



 ユキノの頬に、カレルの冷たい手が触れる。苦しくなる呼吸に、ユキノは一度、大きく肺を膨らませた。そして、口を開く。出たのは、声とは言いがたい、とても聞きづらいものだった。掠れて、空気がもれているような喉のざらつく音が混じっている。それでも、ユキノはカレルに話しかけた。



「…いいの…。……カレル…」



 ユキノは気づいた事があった。カレルの声はとても冷たくて、表情も緩められる事がない。けれど、それでも、彼は嘘を付かない。とても直球に、自分の気持ちを伝えてくる。



「……カレル…、私は、あなたのものだよ…」



 ユキノに、魂は見えない。けれどきっと今、彼の目にはそれが見えているのだろう。カレルの視線が、心臓の上をかする。美味しそうに映っているのだろうか。どうせなら、彼を喜ばせるようなものだといいと、ユキノは思った。



 彼は、少女を見下ろしていた。何も語らず、ただ時間が過ぎる。そしてカレルの手が、少女の魂を掴んだ。前に掴まれた時のような、痛みは感じなかった。もう全身の感覚が麻痺して、痛みを感じなくなっているのだろう。カレルはけれど、それを引き離そうとはしなかった。そのまま屈んで、その魂に口づけをする。そして、自嘲するように、鼻でふっと笑った。



「……わかったよ…」



 悪魔らしくとか、人らしさとか。そういうものは意味の無いものだと豪語しながら、それに捕われていたのは自分だったのかもしれない。たかが人を、あの男――オルソ――と同じように、自分も。カレルは着ていたシャツを脱いだ。そして、自らの心臓に爪を立てる。横たわる少女は、今にも死んでしまいそうに目を瞑り、不規則な息をしていた。思い切り切り裂いた胸から、黒い血が流れ出した。カレルはそれを手の平に掬うと、少女の口元に運んだ。



「………死ぬなんて、許さない」



 少しずつ、形になっていった気持ちは、ユキノだけでなく、カレルの中にも確かに育っていた。その名前を知っていながら、知らないふりをしていたのは、認めたくなかったから。悪魔である自分が、そんな思いを持つ事を恥じていたから。ずっと馬鹿にしていたオルソと同じように、人間を愛してしまった事実を否定していたかったから。



 けれど現実、彼女が居なくなる事に耐えられない。折角、自分の事を認められそうだったのに。この感情に気づいたその瞬間に、彼女を亡くしては意味が無い。



『よく聞いてみなよ。天使の息づかいが、聞こえるだろ』



 カレルは耳を澄ました。



 悪魔の血――命の水――命の毒。



 ユキノは直接それを飲んだ事がない。痛みにうめくユキノは、血を何度も吐こうともがいた。本能で、毒を身体から出そうとするのだろう。けれど、カレルはそれを許さなかった。破壊と再生を繰り返しながらも、確実に死に向かっていた少女の身体が再び熱を吹き返す。永遠にも似た数十分を過ごすと、ユキノの容態は落ち着いて、呼吸に乱れもなくなっていた。







 カレルは耳を澄ましていた。







 ―――天使の呼吸が、確かに聞こえた。







- 34 -


BACK INDEX NEXT






maya top 




Back to Top

(C)owned by maya,Ren,Natsume,Tsukasa.
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -