シルヴィアは今日も、子供達を集めてお話を聞かせていた。それが終わると、子供達はお礼のうたを歌ってくれる。精霊たちは踊りだし、木霊は浮かれて飛び回る。子供達を帰してからもその美しい風景を見ていたシルヴィアは、一部の精霊達が何かに怯えて帰って行くことに気がついた。木の陰になって、そこに何があるのかはわからなかったが、精霊達が近寄ろうとしないその場所からは、何か強い気のようなものを感じる。シルヴィアがその場所を覗き込むと、そこにはオルソが横たわっていた。



「……っ!」



 先日よりもずっと深い傷を負っているようだった。治癒が間に合わないのか、倒れている今もどくどくと流れ出す血が見える。



「大変っ」



 先日と違い、ここは村の中だ。シルヴィアは走った。見つけた人に、怪我人がいるので自分の家に運ぶのを手伝って欲しいと頼むと、シルヴィアの必至の形相からも非常事態がわかったのか、すぐに数人が協力してくれることになった。しかし、村人をオルソの倒れている場所まで案内すると、村人は顔色を変えてしまった。



『シルヴィア、こいつは悪魔だっ』

『早く逃げよう!』

『いや、今は弱っているから、何かしでかす前に殺してしまおうっ』



 村人は、オルソの姿を見ると、たちまち興奮して、足で彼の身体を転がしてみたり、傷口に砂をかけたりした。



「何をするんですかっ止めてっ」



 シルヴィアは自分の耳と目を疑った。そこに大怪我をして倒れているのに。こんなに血が溢れているのに。あんなにも―――。

 結局、殺してしまう勇気もなかったのか、シルヴィアの必至の制止が聞いたのか、村人達はシルヴィアにも逃げるようにと言って、彼らは帰ってしまった。



「………シルヴィア…」

「オルソ、大丈夫ですか?」

「……シルヴィア…」



 傷口が熱を持ち、吹き出す汗は彼の髪を濡らしていた。浅く呼吸を繰り返す口は、うなされるようにシルヴィアの名前を何度も呼ぶ。シルヴィアはとても悲しくなった。自分はなんて、愚かな事をしてしまったのだろうか。村人を呼びに行ったりして。その反応を予想できなかった自分に、とても腹が立った。



「シルヴィア…」

「…ごめんなさい…」



 何もできなくて。汚れてしまった傷口を洗いながら、シルヴィアは謝った。



「……シルヴィア…」



 彼が何をしたと言うんだろう。村人が困ることなど、何もしていないのに。



「……泣かないで、シルヴィア…」



 いつのまにか、オルソは目を覚ましていた。それもそうかと思い直す。あんな風に扱われては、寝ていることもままならない。



「……ごめんなさい…」

「……いいんだ」



 オルソはゆっくりと起き上がると、シルヴィアをそっと抱きしめた。優しく頭を撫でる手は、少しひんやりしている。シルヴィアは、彼の手があまりにも優しかったので、余計に涙が止まらなかった。




-†-†-†-




『シルヴィアとはもう、話をしてはいけないよ』

『どうして? お話して貰いたいな』

『だめよ。もう、目も合わせてはだめ。わかったわね』

『…はぁい』



 シルヴィアは今日も、村の外れの切り株に座ってお話をしていた。けれど話し終わっても、子供達のうたが森に響くことも、精霊達が躍る事も、木霊達がはしゃぐこともない。お話を聞くのは、たったひとりの悪魔だけだった。

 シルヴィアはあの日から、村で外れ者として扱われるようになった。物を買う事も、水を汲む事も、はっきりとは言わないが、嫌がられていることは感じていた。沢山集まっていた仲良しの子供達も、シルヴィアを見ても挨拶もしない、目も合わせない。きっと親に止められているのだろうとシルヴィアも声をかけることもなくなった。見かねたオルソが、シルヴィアにこっそり会いに来るようになった。一緒に居る所を見られないようにと、彼はとても気を遣う。シルヴィアは、オルソは何も悪い事をしないのだから堂々としていてもいいと言うのだが、彼はそれではシルヴィアがまた嫌な思いをするからと、頑として態度を変えなかった。



 そうして二年が過ぎた頃、シルヴィアは高熱を出して倒れてしまった。原因は、長く続いたストレスだろう。オルソは困って、人間の姿で薬を買いに行った。しかし、いくらこそこそ会っていたとしても、狭い村である。よくシルヴィアといる青年が、大怪我をしていた悪魔と瓜二つであるということは、既に村中に知れ渡ってしまっていた。噂は一人歩きをし、今では、シルヴィアが村人に復讐する為に悪魔を召還したのだというものまであった。



『ひぃっああああ、悪魔、あんたなんかにやる薬はないよっ』

「違うんです。僕ではなく、シルヴィアが熱で…」

『ううう煩いっ! あの娘にも、薬なんかやれないよっ』



 村中の薬屋を回っても、どこも同じように門前払いだった。薬を分けてほしいと、家々に頼んでも、オルソを見たとたん怯えて命乞いをしたり、ドアを閉めてしまったり、物を投げつけたり。オルソはあまりの対応に絶望した。彼は、毎日この村にいるわけではなかった。彼女としか話をしなかった。いつも明るく、優しく笑う彼女は、このような酷い扱いを受けて生活していたのだろうか。



「……シルヴィア…」



 シルヴィアの熱は、上がるばかりだった。人間は、体温が上がりすぎると死んでしまうのではなかったか、オルソは考えて、シルヴィアの熱い身体を抱きしめた。



「……オルソ…」

「……シルヴィア…」



 オルソは気が弱く、よく悪魔の里でも他の悪魔の遊び道具として扱われていた。そんな「遊び」で怪我をすると、オルソは決まって人里に傷を癒しに来ていたのだ。あの日も、オルソは深手を負って、朦朧とする意識の中、ふらふらとシルヴィアのいる村へと来てしまった。そしてシルヴィアの声を聞いて、安心を得るのだ。傷の痛みに、意識はあった。子供達が去ると、シルヴィアは自分を見つけた。そして彼女は村人を連れて来た。意識は止めようとするのだが、口さえ自由に動かなかった。村人達の扱いは、悪魔を見たときの普通の人の反応だった。慣れたもの、と身を任せていると、シルヴィアが村人を止める声が聞こえた。



「シルヴィア…ごめんね」

「……どうして…謝るの…?」



 自分の為に涙を流す彼女を見て、オルソは今まで感じたことの無い感情を得た。けれど、その名前を知らなかった。



「……オルソ、どうして泣いているの…?」



 魂が見えていた。もう、ずっと前から。シルヴィアの心臓の上に、キラキラとそれは輝いて、オルソの胸を締め付ける。



「……僕は…」



 ―――とても弱くて、どうしようもなく駄目な悪魔なんだ。



 言葉にならない言葉を、シルヴィアはわかってくれているのだろうか。弱々しく頭を撫でるその手は、彼がいつか彼女にしたものと同じく、悲しくなる程優しい。



「…離したくないんだ。君に嫌われたとしても」



 ―――もう、嫌われているのかもしれないけれど。



 彼女をこんな状況に置いて、まだ嫌われていないと考えるのも滑稽だろうかと、オルソは苦笑した。



「……?」



 シルヴィアの身体を離し、オルソは自分の手を切った。そして滴る黒い血を、彼女の口へと運ぶ。指ごとくわえさせると、シルヴィアの身体はびくりと震えた。



 オルソは歌った。いつかシルヴィアが歌っていた、あのうたを。






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