さくさくと、小さい足音が響く。その森には、もうずいぶん人間は訪れていなかった。女の子と一緒に歩く巨大な妖気に森の住民は逃げ出していた。木々のさわさわという音が、暗いこの森を余計不気味なものに見せる。 「ねぇ、カレル?」 「んー」 「どこに行くの?」 この辺は、確か近づいてはいけないと祖母に言われていた場所のはずだ。興味はあったが、入った事は無かった。村のひとが行方不明になる時は、この森に迷い込んでしまったのだと噂になっていたからだ。 「悪魔の里」 「……カレルのお家?」 「あーそんなもん」 不安な気持ちは消えないが、逃げ出したいわけではない。ユキノは先を歩くカレルのシャツの端を少し掴んだ。カレルは怒るかと思ったが、ちらと見ただけで何も言わず歩いて行く。 「おら」 手を差し出されて、ユキノは驚いて固まってしまった。それを焦れったいとでも言うように、カレルが自らユキノの手を握る。 「絶対離すなよ。まぁ、迷いたいなら別にいいけど」 前を見ると、不思議な大きな木があった。二股に別れた根が大きなアーチを作り、何かの入り口のようになっている。戸惑う暇なく、カレルに手を引かれてその木の根のアーチをくぐった。 「うわ…!?」 中に入ると、めまいのように目の前がぐにゃと曲がった。カレルは何とも無さそうに歩いているが、ユキノは曲がって見える景色に酔ってしまいそうだ。後ろを見ると、もう今くぐったばかりのあの木は無くなっていた。 「空間の歪みに落ちたら、もう帰ってこれねぇから」 そう言ったカレルは楽しそうに笑っているが、ユキノはぞっとしないジョークだと思った。歪んでいるのだというこの空間にいたら、頭の中がおかしくなってしまう。まさか、悪魔の里というのもこういった空間にあるのだろうか。ユキノは不安を覚えたが、その答えはすぐにやってきた。 「え…?」 想像していたものよりも、遥かに明るい世界だった。カレルは驚いているユキノをにやりと見る。 「もっと、禍々しいとこの方が期待通りだった?」 期待していたわけではないが、想像していたのはもっとどろどろしたものが 「こっち」 手を離されている事に気づいたユキノは、カレルが歩いている方に遅れないように小走りした。白い石の建築物には一様に窓があり、中を覗き見る事ができる。 「なんだか…」 「んー?」 カレルは振り向いたが、ユキノは首を振った。白い建物の中は、外壁同様に白かった。時々ベッドがあったが、ほとんどは何もなかった。他の悪魔の姿も見えない。大分歩いているというのに、生き物の気配すらなかった。白い町並みは綺麗だったが、だんだんと寂しいと感じるようになった。こんな所で、彼は生活していたのだろうか。 寂しいと感じ始めると、なぜかユキノは自分の家の事を思い出した。良い思い出など無いに等しいあの家でも、離れてみると何故か切ない気持ちになった。 「あの、カレル?」 「何」 「……おばあちゃんと伯母さんは…どうしてるんだろう」 カレルはユキノの言葉に、立ち止まって彼女を見た。そしてまた悪戯っ子みたいに笑う。 「気になんの?」 「え。…うん」 「ふぅん」 にやにやと近づいて来るカレルから、ユキノはなんとなく後ずさってしまう。そんな彼女の反応を見て、彼は更にご機嫌になる。くすくすと笑いながら、ユキノの耳元で囁く。 「もう、あんたには関係ないじゃん」 「え?」 にやりと笑うと、カレルはまた歩き出してしまった。ユキノは急いで後を追うが、彼の言葉が耳について離れなかった。自分は、本当には理解してなかったのかもしれないと思った。未練などないと、息巻いて出て来たあの家に、帰らないんじゃない。もう、帰れないのだ。 手にしたかったもの。温かい空気。温かい人たち。温かい笑顔に、温かい言葉。望む事で、得られるのならそれもいいけれど、人生はなかなかままならない。何かを求めると、それが叶わなかった時に絶望を知る。望まない事など、できはしないのに。 それは後から知るのだろう。何かを選ぶ時、自分にとって最善の事をしたはずなのに、いつの間にかそれを選んだ瞬間に、何かを差し出してしまっているという事を。 † BACK INDEX NEXT † |