キアラが悪魔の血を飲んだ日から丸二日、キアラに陣痛が起こった。薬師達がキアラの部屋にきて、タオルや湯を用意するよう指示を出していた。



「なんで、また出て来てんだ」



 それを木の上に座り、窓を通してみていたカレルは、一言呟いた。キアラの魂が、また彼女の心臓の上に現れていたからだ。いつ復活したのかはわからないが、何やら騒がしかったので、面白そうだとカレルがキアラの部屋を覗いた時にはもう現れていた。ゆらゆらと、強い光を放つ。それが何を示すか、カレルがわからないはずがない。



「……あーぁ」



 カレルはため息をつくと、キアラの部屋の窓を開けて中に入った。面倒な事になる事はわかっていたので、キアラ以外からは自分の事を見えないように結界を張った。



「キアラ」



 苦しみながらも、キアラは目を開けた。カレルを見るとキアラは驚いたが、声を上げたりはしなかった。それどころではないのだろう。



「他の奴には見えねぇよ」



 キアラが周りを見たのでそう言った。キアラは分娩の痛みに辛そうではあったが、どこか嬉しそうだった。カレルはしばらく黙って彼女を観察すると、その手をキアラの心臓の上に置いた。



「あのさ」



 カレルは、その言葉を言うのを一瞬ためらった。どうしてだかは本人にもわからないが、何かが邪魔してスムーズに言葉にならない。



「あんた、もうすぐ死ぬみたいだよ」



 カレルが何を言ったのか、キアラは一瞬理解できていないようだった。きょとんとした顔をして、カレルの瞳を見返す。意味がわかってくると、彼女の表情は青ざめた。



「あぁ、子供は大丈夫なんじゃない?」



 カレルがそう言うと、キアラは安心したような顔をする。それが不可解で、カレルはキアラの周りにも結界を張り、彼女の声が漏れないようにした。



「ねぇ、なんでもうそんな顔してんの? あんたはもうすぐ死ぬんだよ」



 死を目前にした、人間の表情とは違う。キアラのそれは、希望に満ちてさえ見えた。



「……子供の名前、もう決めてあるの。男の子でも女の子でも…ユキノって」

「は?」

「沢山…苦労かけちゃうな…」

「……」

「……カレル?」



 息が苦しそうなのに、キアラはゆっくり話しかけた。汗だくの薬師が、必至にキアラに声をかけるのが聞こえた。



「カレル」

「あ?」

「……守ってくれなくてもいいから…見ててね」

「はぁ?」

「だって、…あなたの魂だもの」

「……」



 キアラの声は、赤ん坊の産声に重なったが、カレルには聞こえていた。喜ぶサラやデリアや薬師達は、キアラの命が消えかけている事に気がついていないようだった。キアラは我が子を抱かせてもらおうと腕を伸ばし、その腕に赤ん坊を乗せて貰った。そして、赤ん坊の額にキスをすると、ゆっくりと息を引き取った。



 女児誕生にわいていたキアラの部屋は、キアラの手から力が抜けていくように、ゆっくりと静まり返った。手から落ちてしまいそうになっていた赤ん坊を、慌てて薬師が抱きかかえる。



「……キアラ?」



 最初に口を開いたのは、デリアだった。薬師が慌ててキアラの脈を確認したが、ただ首を振るだけだった。



 静まり返った室内に、赤ん坊の泣き声だけが響く。



 カレルは結界を解き、その姿を現した。悲鳴を上げる薬師を他所に、彼はゆっくりとした動作で、とても優雅に、キアラの心臓の上空を掴む。すると今までは見えなかった魂が、カレル以外にも見えるようになった。キラキラと輝くそれは、この世のものでは例える事ができない。光を放ち、その存在感は絶大だった。それを、カレルは愛し気にうっとりと見つめる。何かの映画のように、神々しい光景。それと同時に、背筋がぞっとするようなおぞましい光景だった。カレルが光の玉にキスをすると、バサリと音を立てて、カレルの背中に漆黒の羽が生えた。部屋の中には風が吹き、眠っているようなキアラの髪を、さらさらと揺らす。



「待って…! 悪魔、あんたそれをどうするつもり?!」



 気を失いそうになっているサラに対し、デリアは幾分冷静だった。カレルを前から見ていたからという事もあるが、やはり性格自体がキアラと似ているのだろう。デリアの声に、カレルは振り向いたが、にやりと笑っただけで、すぐに手の中にある光に視線を戻した。



「…その子供は、ユキノって名前にしてやんなよ。キアラが、さっき言ってたから」



 カレルの声は冷たい。けれど、甘い響きを持っていた。



「…コレは、契約で俺の自由に出来るんだよね」



 きっと、彼の耳がとんがっていなければ、彼の目が金と蒼のオッドアイでなければ、彼の背に漆黒の羽が生えていなければ、その場にいた誰もが、彼に心を奪われてしまっていただろう。人ではないのだと、その一点だけが、彼女達を踏みとどまらせていた。カレルが笑いかけるだけで、その瞳に吸い込まれてしまいそうだというのに。



「…それは、何なの?」



 デリアは恐る恐る、その問を投げた。きっと、聞かなければ良かったと後悔するだろうことは、彼女自身もわかっていたが、今聞かなければもう一生わかることはないだろうと思ったのだ。



「くす。これ?」



 面白い質問だね、とカレルはくすくす笑った。そして、一通り笑い終わると、その光を口の中に入れる。どんな味がしているのだろうか。恍惚に細まる瞳から、それが好物であることは理解できた。全てを食ってしまってから、カレルはデリアを見た。ゴールドの瞳は照明に輝いて、ブルーの瞳は闇を反射する。



「キアラが望んだことだよ。悪魔の血と引き換えに、彼女は魂を差し出した」



 衝撃に打ちのめされた人間の顔は、なんて素晴らしいんだろう。歪んだ思考は、悪魔である証だろうか。カレルは静まり返る部屋の窓から空へと飛び立った。小さくなるキアラの部屋を、もう振り返ることはない。




-†-†-†-




「あーもう。うるさい」



 力がみなぎって、今なら何でも出来そうだった。どこまでも高くと空をいきながら、カレルは耳についた言葉を振り払おうとする。キアラの魂は、今まで食べたどの魂よりも甘美だった。鼻を抜ける甘い匂い。むせ返る程のその香りは、今もまだ、カレルの口腔や鼻腔に残っている。爽快な気分のはずなのに、彼女が最期に言った言葉が耳から離れない。



『ごめんね…守ってあげられなくて…』



 死の間際、キスをする瞬間にキアラが口にしたその言葉は、悲壮と絶望に満ちていた。死を宣告してもなお、子供の事を考え続けたキアラを思えば、それは当然なのかもしれないが、自分の命に関してああも強い彼女の弱り切った台詞が、耳の中で何度も繰り替えし聞こえていた。



「ユキノ…。ユ・キノか」



 人間達の間で古代、使われていた言葉だ。ユは多くの、沢山の、という意味を持つ。そして、キノには二つ意味があった。



「沢山の愛…と、希望?」



 雲を抜けると、そこには星空が広がっていた。いつの間に、夜になっていたのだろうか。時間の感覚を忘れてしまう程、考えていたというのか。瞬く星々は、きっと地上の事になんか興味はないだろう。自分の一生を、その光に託す。何億光年昔のその大きな爆発を見て、地上の生物が勝手に夢を懸けるだけだ。悪魔は、何にも祈ったりしない。その祈りが無駄である事を知っているからだ。ならば、人はそれを知らないのだろうか? 祈りが、大抵の場合無駄である事を、彼らだってきっと知っているはずだ。カレルはそこまで考えて、くすりと笑った。



「おもしろ」



 それでも、祈りを止めない。彼らはなんて夢見がちで、どうしようもなく他人任せな生き物なのだろう。―――そしてなんて、諦めの悪い生き物なのだろうか。



 星は輝いていた。地上の祈りなどおかまい無しに。



 それでも止めない。星の数程の分母でも、時折起きる、奇跡という名の救いを求めて。






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