「久しぶり」
図書室といえば静かなイメージがあるが冬場の図書室は暖房を求めて来る生徒もいるため談話室のような賑わいを見せていた。ざわざわと会話が重なりあう空間に響いたのは久しく聞いていなかった尚の声だった。
前期に続き図書委員として作業をしていた遙は振り返ると同時にその声で尚だと判別した。

尚が目の治療の経過をみて漸く泳げるようになったのは夏の大会直前だった。
それが終わった頃には三年生は引退で、尚は泳げるようになったにも関わらず泳ぐ場所を失った。
残暑の中、濁ったプールを横目に筋トレばかりの部活になってしまえば三年生は姿を消し、たまに覗きに来る程度になった。
秋になり冬に入ると三年生は皆受験モードで顔を出すこともなかった。

「聞いたよ。部活辞めたんだって?」
この後の展開は大体想像が出来る。辞めた理由を聞かれるのだろう。遙は面倒になる前にと目を逸らした。
「なんで辞めたの?」
ほらきた。
「――って言うと思った?」
遙の苦手な笑顔があった。
「言わないよ。おれがまだ水泳部にいたらきっと気になって訊いたかもしれないけどおれももうすぐ卒業だしね。気になるけど、気にしない」
別に聞かれれば答えるつもりではいた。隠すことはない。尚だって知っている。遙の泳ぎが人を傷付けることを。
「気にしないけど、一つ。遙に足りないのはコミュニケーションだ。最終判断は自分だとしても他人の意見にも耳を傾けたり、頼ったりするべきだ」
水泳部にいた時のように尚は遙に助言した。数ヶ月ぶりだった。
遙が何と返事をするべきか迷っていると尚はまた話し出す。
「それでも他人の目ばかり気にしていたら自分が潰れてしまうからそこは適度に、だ。遙は遙のまま好きに泳げばいい」
まるで何もかも知っているかのように尚は言葉を紡いだ。しかしそれが遙の心に響くかと言われればそうではない。好きに泳いだ結果がこれなのだから。

「あの」
「ん?」
「…プールのある家っていくらくらいしますか」
突飛な質問に尚は一瞬驚いたがこれが遙なりの返答だった。いつでも好きなように泳げる場所がほしいということだろうか。
「んー…土地や物件によるだろうけど、億くらいするんじゃないかな」
実際どれくらいの値段なのか見当もつかないが妥当だろう値を口にする。現実味のないようであるような値。
「そんな大金どうやって稼ぐつもりか知らないけど遙なら買ってそうだな」
遙ならきっとプールを買う前に毎日プール三昧の生活を送るようになるだろう、と尚は思う。
しかし、遙が望む自由に泳げる環境ということになるとやはり家にプール、だろうか。
「まあ、なるようになるさ」
世話焼きな幼なじみもいることだ。きっとなんとかしてくれるだろう。ずっと前から、それこそ遙が水泳部に入った時から彼らの関係は分かっていた。だから自分が気にする必要はないのだけれど尚は遙を気にしていた。声を掛けた。
自分の言葉が少しでも遙の中にあればいいと思ったのかもしれない。今まで教えた水泳の事だけではなく。しかし結局は投げるような言葉が口をついてしまったのだから遙の事など考えていないのかもしれない。
尚は急に居心地が悪くなって手近にあった適当な本を手にし、その場を離れることにした。
「これ借りていくね」
後で分かった事だが尚が手にしたそれは、叶うはずのない恋をして叶わないまま終わる恋愛小説だった。



報われたいわけじゃない

2014/09/03



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