Annual morning
青年は牛乳瓶を握り締めた
▼ Story of milk!
(・・・朝はどうも苦手だ)
朝日が昇り始めて2時間が経つ。
家事炊事を担当する二人の少女と、お手伝い係の一人の少年が忙しなく人数分の朝食をキッチンで作り始めている頃。
ふわりとした美しい銀色の髪を無造作に片手で掻き毟りながら、半ば寝ぼけ眼の青年が階段を下りる。
時折欠伸を噛み殺しながら、すらりと綺麗に伸びた足でゆっくりと階段を下りていく。ネロと呼ばれる端整な顔立ちをした彼は、一際朝が苦手であった。
一階の事務所のオフィスに辿りついたネロは辺りを見回す。広い事務所のオフィスはがらん、としていて誰も居ない。どうやら他の「悪魔」達は起きていない様だ。
普段は騒がしい程の事務所のオフィスだが、静寂が広がる朝のこの空間をネロは好んでいた。奥にあるキッチンから聞える騒がしい声も心地良く耳に届く。
(俺が一番乗り・・・か)
少しの優越感に浸ったネロは口角を上げて玄関へと向かう。
大体最初に起きる「悪魔」はバージルだ。青いコートを靡かせた彼がこの後静かに階段を下りて来る姿が想像できる。
次に,。彼女もネロと同じく朝に弱いらしい。特別に競い合っている訳でもないが、起きるタイミングが似ているのもあって「どちらが先に起きるか」でお互いに意識し合っている。
そして最後に起きて来るであろう朝でも夜でも変わらないテンションの男の事を考えようとしたネロは眉間に皺を寄せた。この清々しい朝っぱらからあの男の事は考えたくはない。
チラリ、と横目で壁に掛かる時計を見れば"そろそろ"の時刻だ。
玄関に向かう途中で洗濯物を抱えた,と鉢合わせたネロは「Good morning.」と朝特有の低い掠れた声で呟いた。
その様子に,は苦笑いを交えて「おはよう」と返事を返す。「悪魔」が朝に弱い事を,は良く知っていた。
ドアノブを軽く捻ると、玄関のドアに付けられた鈴が控えめに揺れた。
外に出れば朝の日差しが差し込んで、眩しさに思わず目を細める。澄んだ空気が未だまどろんでいるネロの気分を刺激した。
そして雪避けに備え付けられたらしい、短い階段をゆっくりと下りたネロの耳に車のエンジン音が入ってきた。
毎回決まった時間に聞えるこのエンジン音は見知った雑貨屋の軽トラックなのは分っている。ネロがこの雑貨屋と毎朝顔を合わせるのは恒例行事だった。
(Just timing./丁度良いタイミングだったな/)
ネロはチップが入っているかを確認するために片手をコートのポケットに突っ込む。
薄い紙切れの感触がして口角を上げる。我ながら準備が良い。
そして事務所の横に設置してある赤いポストにそっと長身の体を寄り添わせた。ただ突っ立って雑貨屋が到着するのを待つのは何だか格好が付かない。
こう思ってしまうのも、事務所の双子の「悪魔」の所為かもしれなかった。どんな些細な事もスタイリッシュに決める彼らに、ネロは憧れと対抗心という曖昧な感情を抱いている。
少ししてからエンジン音が近づいて来て、ネロの傍らで軽トラックが止まる。
サイドウィンドウから見える地元の野球チームのキャップは今日も輝いていた。残念な事にスタイリッシュとは程遠い。
「おぉ、ネロ君。今日も早いね!」
「早いって言っても8時前だろ?うちはやっと朝食の支度だ」
「ははは、君の所は少し遅めの朝だったな」
朝から爽やかな笑顔を見せる、少し小太りのチェックのシャツにオーバーオールが特徴的なこの中年の男性は、事務所の雑用係が揃って愛用している雑貨屋店主の「ボブ」である。
彼の店は周囲のマーケットに比べると小さいが、独特の品や掘り出し物、紅茶の茶葉や生活雑貨など様々な品を取り揃えている。
要望があればボブが直々に問屋から注文してくれたりと、温厚で穏やかな彼はこのスラム街の少ない良心ともいえるのであった。
朝から拝むのには丁度良い爽やかな笑顔にネロの頬も緩くなる。
彼の笑顔はそれ程爽やかなのだ。ニヒルな笑顔がお得意な何処かの騒がしい赤いコートの男にも見習って欲しいぐらいだ。
そして野球キャップを被り直したボブはトラックの荷台から赤いケースを取り出してネロに手渡した。
「新鮮な絞りたてのミルクだ。早く冷蔵庫に入れた方が良い」
「あぁ、いつも悪いな。・・・それから――――」
「勿論分かってるとも。ほら」
そう言って笑ったボブは荷台から新しく一本の牛乳瓶を取り出してネロに差し出した。これは最近の恒例行事である。
「It's thanks.(あぁ、礼を言うよ)」
既に牛乳の入った赤いケースを包帯を巻いた方の腕に乗せたネロは、ボブから牛乳瓶を受け取った。冷え切った瓶の冷たさに、牛乳の新鮮さが伺えてしまう。
そしてポケットのコートからチップを取り出して、ボブの厳つい手に乗せた。申し訳無さそうにボブの穏やかな顔が微かに歪む。
お得意様だからと最初はチップを受け取らなかったボブだったが、最近ではネロの厚意に負けてチップを拒まないようになった。
今時の整った風貌に合わない、優しい青年だとボブは毎回感心する。
「こちらこそ毎日悪いね。ところでそのミルクは・・・――――」
「ん?―――――あぁ」
牛乳瓶を持った片手を軽くひょいっと上げたネロは、雑貨屋の親父顔負けの爽やかな笑顔を見せた。
「"子供"は新鮮なミルクを飲ませた方が成長するだろ?」
"子供"。その意味合いをボブは把握していた。
一週間前なら、ネロはチップと交換した牛乳をこの場で飲み干して空の瓶を返していたのだから。しかしこの頃はネロの代りに小さな少年がこの牛乳を飲んでいるらしい。
最近になって自分の雑貨屋に,達と頻繁に訪れる、ハンチング帽が良く似合う可愛らしい少年だという事をボブは良く知っている。キャットフードとササミを買ってくれる小さなお得意様だ。
「そうかそうか、ネロ君は"弟"想いなんだな」
「"弟"、ね。・・・まぁそんなモンだな。空瓶はケースの中に一緒に入れて置けば良いんだったよな?」
「あぁ、一緒に入れてくれて構わないよ。じゃぁ、そろそろ失礼しようか!」
「オッサン、明日も頼むよ」
トレードマークであるキャップ帽を片手に取ってひょうきんに被り直した彼を見て、ネロは愛想の良い親父だ、と思った。
「ははは、勿論さ!ハンチング帽子のボウヤにも宜しく伝えておいてくれよ。ウチのお得意様だからね」
「あぁ――――言っておく」
そして軽トラックに乗り込んだボブは、豪快なエンジン音と共に事務所を後にするのであった。恐らくは次の配達元へ向かうのだろう。
ネロはトラックを見送ってから、赤いケースに牛乳瓶を入れて玄関のドアノブを押した。事務所を出た時と同じように、鈴が揺れて控えめに音が響いた。
,が洗濯物を運んでいたのを考えると、朝ご飯が出来上がるのはあと少しだろう。バージルはもうオフィスのソファに座って優雅に朝刊でも読んでいるのであろうか。
そして事務所の中に入った自分を迎えてくれてる少年の明るい笑顔を思い浮かべたネロは、その口元に小さな笑みを浮かべるのであった。
「あ、ネロお兄いちゃん!おかえりなさいっ」
「あぁ。――――ティム、ボブからプレゼントだ。ちゃんと飲めよ」
Nice and stylish! −Annual morning−