この手はもう、離さない
神代先輩。そう彼を呼び止めようとして止めた。呼んだところで、一体何になると言うんだろう。私じゃ、どうせなんの力にもなれないんだから、今はそっとしておいたほうがいいよね。その時はそう思っていた。しかし、今思えば呼び止めておくべきだったのかもしれない。そうすれば、こんなにも彼との溝か深くなることもなかった、はずだ。

璃緒先輩が重傷を負い、入院したと聞いてから私と神代先輩の関係はがらりと変わった。それまでは、璃緒先輩の後輩として神代先輩とも親しくしていたけど、璃緒先輩がいなければ私たちに接点などなく線は交差することはない。私は、雰囲気が刺々しくなった神代先輩に近づく勇気を持たず、それからしばらくの時が過ぎた。そしてある時、璃緒先輩が退院して学校に通うと言う話を聞いて、私は余計に神代先輩に接触しないよう日々を過ごしてきた。度々行っていた璃緒先輩の見舞いも行かなくなった。いつの間にか璃緒先輩に会うことにも恐怖を感じているらしい。だけど、学年は違えど同じ学校のなか、見つからないなんてことはなくて。

璃緒先輩が学校に通い始めたという話を聞いてから、数日経った昼休み。ご飯を食べようと、目的地を目指し廊下を歩いていた私の腕を後ろから掴んだのは、やはり璃緒先輩だった。


「……なまえ?ああ、やっぱりなまえ!良かったわ、また会えた!私のこと忘れてる、なんてことはありませんわね?」
「勿論、です。璃緒先輩」
「そんな言葉遣いじゃなくと前みたいに気軽に話していいのよ。そういえば、凌牙とは仲良くしてた?貴女の話を全然してくれないんだもの」
「神代、先輩とは………璃緒先輩が入院してから、話していなくて」


あら、どうして?と不思議そうに首を傾ける璃緒先輩はそれはそれは可愛らしかった。何故、と問われても、それ程度の関係でしかなかったと言うしかない。だって、事実だから。嘘でも虚構でもなく、私と神代先輩の関係など触れずともいつの間にか消えてしまうシャボン玉のようなものだった。


「もう、凌牙ったら!私がいない間なまえのことを頼んだのに!」
「そう、だったんですか」
「そうよ、私がせっかくチャンスを……ああ、違うわ、それよりもその敬語なくしなさい。距離ができたようで寂しいわ」
「あ、は……じゃなくて、うん」
「そう、それでいいのよ」


はい、と言おうとした瞬間の璃緒先輩の表情は恐ろしかった。でも、少し、昔に戻れたような、そんな錯覚を覚え思わず笑みが溢れる。ここに神代先輩が無愛想に突っ立っていれば、それは紛れもなく数年前の私たちだったのだろう。


「そうだ。今日は久しぶりに一緒に帰りましょう?もっと話したいわ、私が眠っていたときの、貴女のことを教えてほしいの」
「え……」
「嫌、かしら」
「っそんなこと!もちろんいいで……いいよ、帰ろう」
「ふふっ」


それじゃあ、放課後迎えに来るわね?勝手に帰っちゃダメよ?いいわね。と璃緒先輩は私に釘をさしてから、そのまま去っていった。一部始終を見ていたクラスメイトは、璃緒先輩と知り合いだったのかと興奮気味に聞いてくる。けど、今の私は神代先輩に会うかもしれないという可能性に動揺し、小さく頷くことしかできなかった。


そして、約束の放課後がやってきた。すぐに帰宅する人、部活へと向かう人、談笑して未だに教室に残る人と様々ななか、私は一人机に突っ伏しながら璃緒先輩を待つ。遅いなあ、璃緒先輩……。ホームルームが終わってから既に10分は経過している。誰かと話でもしているのかな、でも璃緒先輩は約束を優先する人だ。何かあったのかな、と思考を巡らせていると急に肩を捕まれた。璃緒先輩かと思い顔を上げる。


「…っあ、神代、せんぱ」
「……荷物持て。帰るぞ」
「り、璃緒、璃緒先輩は」
「あいつなら先に帰った。………お前と話してこいってな」


話してこい?どういうことだろう。もしかすると、璃緒先輩が入院してから話していないと言ったから、気を使ってくれたのかもしれない。でもせめて、仲介者として璃緒先輩にいてほしかった。とりあえずここにいても仕方ないので鞄を持って立ち上がる。先ほどまで談笑していたクラスメイトたちがこちらを凝視していた。けど神代先輩はそれを意にも介していないようで、さっさと行くぞと鞄を持っていないほうの私の手を掴んで先に歩き出す。私はつい手を握り返し、慌てて先輩の後をついていった。少し、先輩の手が震えていたような気がする。

オレンジ色の夕日が背中を照らしてやけに暖かい。河川敷横の道を歩いて帰宅する。当然、私たちの間に会話はなくて、気まずい沈黙だけが私たちを包む。手だけは繋がれたままでお互いの距離は無に等しいが、心はどうだろう。姿が見えないほど遠くに存在しているような感覚。早く家につかないかな、なんて考えていた私に対して口火をきったのは神代先輩だった。


「一ついいか」
「っ!は、はい」
「お前は俺が嫌いなのか?」


え、と予想だにしない質問に無意識に声が漏れる。嫌い、じゃない。ただ私が一方的に好きになって、何もしてあげられないと勝手に落ち込んで、一人で気まずさを感じてしまっただけ。神代先輩が嫌いなわけがない。首を横に振ると、心なしか安心したような先輩の顔。今の今までまともに神代先輩の顔を見なかったが、今日はなんだかいつもより優しい顔をしているような。


「えっと、どうしてそんなことを」
「…お前、璃緒があの時入院してから俺に一切近づかなかっただろう。もしかしたら、璃緒といるために仕方なく俺といたのかもしれないと思っていた」
「ち、違います。だって、私、何もできなくて。璃緒先輩も神代先輩も苦しんでるのに」
「俺を避ける必要はないだろうが。…でも、そうか、嫌われてた訳じゃないんだな」


良かった、と溢す神代先輩の顔はとても穏やかで、綺麗だった。それを見て、心臓が次第に高ぶり始める。どうかこの鼓動の音が彼に届きませんように。ああ、でも、よかったと思うのは私の方。こうしてまた、普通にお話できるなんて思わなかった。今まで怖がっていたのが嘘のよう。

突然、神代先輩はその場に立ち止まって私へと振り向く。ワシャワシャと髪を撫でられて、おかげでせっかく整えた髪もぐしゃぐしゃだ。子供扱いされているみたいで、少しムッとして睨むと笑われた。


「なまえ」
「…え、あ、名前」
「名前くらいで驚くな。…お前だって、俺を名前で呼んでくれたっていいんだぜ」
「……………りょう、が?」


戸惑いつつ呼べば、また撫でられる。…髪は、もういいや、どうせ今直してもまたぐしゃぐしゃになっちゃう。わかっていてやっているんだろうか……、璃緒先輩にチクってあげよう。そうしたらきっと、昔みたいに先輩に……凌牙に「女の子の扱い方がなってない!」って怒るんだろうな。


「先輩、なんてつけるなよ。…ほら、行くぞ」
「は、はい」


再び手を取られて歩き出す。先ほど、震えながら握られた手とは違って、ぎゅっと力強く。私もしっかりと握り返す、今度こそ、心の距離は短くなっているはずだ。




0903
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