なまえが雄英高校普通科に入学したことで、優しかった兄は豹変した。親に隠れて兄は妹に暴力を振るうようになった。兄は機嫌が悪い時、なまえの部屋に押しかけて彼女を痛めつける。リビングにいる時でも無言で部屋に行くように促し、彼女もそれに従った。
しかしそんな歪な兄妹関係に、両親は気づいていない。
その大きな原因はなまえにあった。
彼女の個性は"粧飾"。
殴られると普通ならその部分は赤く腫れあがる。しかし、数秒としないうちに腫れは引いていく。切り傷や擦り傷だってみるみるうちに消えていき、血は止まる。彼女の傷は、どんなものでもきれいさっぱり消えるのだ。
しかしそれはあくまで見た目の話。
なまえの個性は見た目を取り繕うだけのもの。治療ではなく粧飾。痛みが消えることはないし、実際に傷は消えてくれないのだ。
そんな個性のせいで、苦労をしたことがある。小学生のとき、大きなやけどをして包帯を巻いて登校した。小学生にとって、包帯は勲章だ。火傷をしたといえば好奇心旺盛な男子が無理やりそれを引っペがし、傷跡を期待した。しかしもちろんそこには跡がない。次第に「アイツは人目を引きたくてわざと何も無いところに包帯をまくんだ、」と噂がたって、それが小学生だったなまえにとっては苦痛でしかなくて。なまえは怪我をしても包帯を巻いたり絆創膏を付けたりしなくなった。
しかし、そんななまえの個性を唯一信じてくれた人がいる。
それは中学生の時、グラウンドで転んで手を擦ったときのこと。見た目では血は出ていないがかなりジンジンして、保健室に寄った。
その時にいたのが切島少年だ。同じクラスだけど少年と少女はほとんど話したことがない。
はじめは傷のないところを消毒している姿を不思議に思う切島だが、なまえの話を聞いて、なんの疑いもなく理解した。
「信じてくれるの?」
「たりめーだよ。みょうじが嘘つくようなやつには見えないしな、」
「…ありがとう、」
それ、1人でやんの大変だろ。と切島はガーゼを手に取りなまえの手に巻き付けた。ガーゼをつけたのはひさしぶりだ。なまえはこぼれそうになる涙を抑えるのに必死になって抑えた。
「…切島くん、雄英高校目指してるんだよね。」
「あぁ。俺の個性地味だし、成績もイマイチだし。周りは俺なんかじゃ無理って言うけどな、」
「無理じゃないよ、私は切島くんは絶対かっこいいヒーローになると思う。目に見える成果とかじゃなくて、なんかこう、気持ちの問題だよ、」
その言葉はお世辞じゃない。
心の底からの思いであり、願いでもあった。
実際になまえはこの瞬間に切島に救われた。彼のヒーローとしての未来を信じるためにはなまえにとってはそれだけで十分だ。
「ワリ!そんなに痛かったか?気づかんうちに傷とか触ってたかも、ゴメン、」
「えっ、」
なまえが手の腹で顎をなぞれば、こらえていたはずの涙に触れた。
「ん、ごめんね、ちがうんだ、」
「そか、」
「そういえば私も志望校 雄英なんだ。普通科だけど。」
「おお!みょうじアタマ良いもんな!みょうじなら絶対受かると思うぜ、」
「切島くんだって、大丈夫だよ。わかんないけど、なんとなくそんな気がする。」
「そうか?そんなこと言われたのハジメテだ。みんな俺には無理だろって言うから。」
「それはみんなのセンスがないだけだ。」
切島と話せば自然と涙はどこかへ引っ込んでいった。
「待てみょうじ!ちょっと話してぇことがあんだけど、」
「いっ、」
雄英高校に入学してから、なまえと切島はあまり関わらなかった。廊下ですれ違えば挨拶くらいはするが、それだけ。普通科とヒーロー科では全く接点もなく季節は夏を過ぎた。
体育祭に参加しても、モニターを見ながら陰ながら切島を応援することしか出来なかった。彼は自分とはほどとおいヒーロー、沢山の人を救う存在。
つい先刻まではそう思っていたのだ。なのにどうして2人で保健室にいるのだろう。
いつものように廊下ですれ違えば軽く挨拶をして去ろうとした。しかしおもむろに手首を捕まれ、なまえは咄嗟に顔を歪めてしまったのだ。
切島はすぐに、わりィ!と謝るも、腕を離すわけではなくその視線は真剣なものになる。そしてそのまま腕を優しくなぞって、その度に痣や傷に触れる。なまえは唇を噛み締めて平静なフリをした。
「みょうじさ、もしかしてまた怪我…、してんのか?見えないだけで、」
「き、昨日転んで、打っちゃって、」
「見えねぇからさ、痛いなら痛いって言ってくれ。俺、そうじゃなきゃわかんねぇから。分からないうちにみょうじを傷つけてたら俺も辛い。」
「ごめん。」
本当はね、ずっと痛いよ。痛い。
でもそれは言っちゃいけない。
言えない。
俯いていると、切島に手首を掴まれて優しい速度でそれを引かれた。
「リカバリーガールに見てもらうぞ、」
「ん、ありがとう、」
そのまま切島について保健室に向かった。
「…ちょっとまってておくれ」
「っす、」
リカバリーガールはなまえの個性の話を聞いて保健室を、ゆっくりと抜け出した。2人はぽつぽつ、と話をする。
「切島くん、すごかったね。運動会。」
「おう、サンキュ、まだまだこれからだけどな、」
「でもすっごい強くなったよね。私びっくりしちゃった、」
「…みょうじには中学の時から知られてっからなんか恥ずかしいな。」
切島くんは昔からかっこいい、ヒーローだよ、
そう言おうとしたけれどその言葉はリカバリーガールと雄英教師の登場で阻まれた。
「…とっとと済ませんぞ。時間は有限だ、」
プロヒーロー、イレイザーヘッド。
なまえは目の前で見るその小汚さに思わず眉をしかめた。
その瞬間。
イレイザーヘッドの髪がふわり、と上がりなまえの腕や脚、顔、首周り、あらゆるところから赤や青の模様が浮き上がる。
なまえを含めたその場にいた全ての者が息を飲んだ。
それは模様なんかではなくて、痣や、傷。
「…待てよ、なんだこれ」
1番目を丸くして声を荒らげたのは切島だった。
「…先生、なにをしたんですか?」
「俺の個性は無効化。あんたの個性を打ち消した。」
「そんなことできるんですね、思いつきもしなかった。」
なまえは明るく笑った。
「待てよ、なんだよこれ!転んだなんて嘘だろ、なぁみょうじ!!!誰にやられたんだよ、」
「…落ち着きよ。とりあえず出来るところはちゃっちゃと治癒するからね」
もう一度相澤が個性を発動したらなまえの皮膚の色はみるみる変わり、リカバリーガールがその個性で緩和した。
あくまで治癒力を高めるだけなので、すぐに良くなる訳ではないがなまえの表情は晴れていった気がした。
「ありがとうございます、」
「事情はわかんねぇが自力で解決出来ねぇなら担任にでも言えよ、」
「分かりました。」
そしてなまえは頭を下げて、保健室をあとにした。切島もそれを追う。
「待て、待てよ、みょうじ、」
切島はなまえの腕を掴んだ。
「痛い、よ。離してほしいな。」
「っ、わり。」
「ごめん、嘘。もう平気だよ、」
そう言って笑うなまえ、
切島は顔を歪ませた。
「みょうじ、辛いなら無理して笑うなよ。」
切島は困ったように目を細める。次第になまえの笑顔はくずれる。そしてポロポロ、と涙がこぼれだした。廊下の奥から誰かが近づいてくる声がしたのでとりあえずなまえの手を引いて人の目につかない空き教室に避難する。
「…スマン、俺こういうの慣れてねぇからよ。どんな言葉かければいいか、わかんないんだ。」
「ごめ、ほっといてくれて、いい、」
「ここで放って帰るような男にはなりたくねぇよ。」
「きりしまくんのバカ、」
「そうだな、馬鹿だな、俺。」
でも放って置けるわけねぇだろ。と呟いて静かになまえの背中を撫でる。そのリズムが非常に心地よくて、涙はとまることなくどんどん溢れてくる。
「…きもちわるかった、でしょ、うでとか、いろいろ」
「えっ、」
「ごめん、へんなものみせて。わたしもあんなふうになってるなんて、おもってなくて、」
ところどころに嗚咽を交えながらなまえはこれを振り絞る。
なまえは自分の変わり果てた色の皮膚が頭から離れなかった。そして、それを見る切島の恐ろしそうな顔もよく覚えてる。切島にそんな顔をさせてしまったことがなにより苦しかった。自分自身もあんな風になっていたのは衝撃だったがなにより、アレを好きな人には見られたくはなかった。
「気持ち悪くなんかねえよ!それより、俺は心配なんだよ、なんであんなことになってんだよ、ただ事じゃねぇよ…、どうやったらヒーロー科でもないみょうじがあんなふうになるんだ、」
「それは、いえない、」
「…俺じゃ頼りないか?」
「ちがう、ちがうけど、」
嗚咽混じりに必死に言葉を絞り出す。
期待の星である兄が暴力を振るっていたなんて知られたら。それで兄がヒーロー事務所を解雇されたら、両親を悲しませたら。
それになまえの話なんて誰が信じてくれよう。兄がやっているという証拠もない。みんなからホラ吹き呼ばわりされているなまえは信じてもらえないことが怖かった。信じられないくらいなら、いっそはじめから言わない方が楽だ。
しかし、それは今までのなまえだ。切島だったら、彼女のヒーローになら言えるかもしれない。彼ならば、彼ならば信じてくれるかもしれないというなまえのなかの淡い期待。
切島はなまえに手を回す。出来るだけ身体を締め付けぬように、という気遣いのある抱擁。なまえが胸を上下させながら荒い呼吸をするのが切島に直接伝わった。切島は優しく背中をさすりつづける。
「落ち着け、急かして悪かった。無理に話そうとしなくていいから。」
「きりしまくん、」
「うん、」
「いまからはなすことは、だれにも、言わないでほしい。」
なまえは深呼吸をひとつして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
兄とこと、暴力のこと。それはぽつりぽつりと流れて、切島に伝っていく。そして話が終わると、数十秒だか、数分だかは分からないが二人の間に沈黙が流れた。
切島は、きっと、なにかの衝動を抑えるので必死なのだ。
「……好きな女も守れねェで、なにが男だ。」
なまえは耳を疑い目を丸くする。
切島がこういう場で冗談なんかをいう男でないことはなまえが1番よく知っていた。
鼓動が高鳴る。
切島は強い。派手さとか、目に見てとれる物理的な強さとかではなく、芯の強さ、あたたかさ。
なまえは彼のそういう部分に、またひとつ、どうしようもなく救われたのだ。