車窓が早々と移り変わる。1時間前まではビルが立ち並んでいたはずなのに、すっかり窓の外には緑が広がっていた。
爆豪は頬杖をつきながら景色を眺める。肩にずっしりと重さと暖かさを感じながら、内心穏やかではなかった。







それは数日前のこと。店の定休日の前の日は爆豪の家でなまえがご飯を作って待っているのが当たり前になっていたので、その日も同様になまえは爆豪宅で彼の帰りを待っていた。
ヒーローに定時はない。だから帰りが遅くなるのはいつものこと。帰りがいつになってもいいように、なまえは決まって直前に温め直してすぐ出せるものを用意していた。
天気予報で夜は冷え込むと言っていたため拵えたキムチチゲが、今か今かと家主の帰りを待っている。

ピコン、とスマートフォンの着信があり即座に確認すればそこには"今から帰る"と短めの文が綴られていた。
なまえがコンロに火をつければ鍋の具材がグツグツと踊る。湯気が頬にあたり、熱を帯びる。爆豪が仕事で長らく地方へ赴いていたため会うのは2週間ぶりだ。なまえも彼に会える嬉しさで湧きたっていた。

「……っ」

ガチャリ、とドアが開く音がして玄関に向かえば、目当ての彼が立っていた。顔に小さい傷を沢山つけてよく見れば足首に包帯も巻いてある。

「おかえり、」
「ただいま」

二人の間にぎこちなさは無い。穏やかな空気が2人を包む。そのまま爆豪がシャワーを浴びているあいだになまえはテーブルの準備を済ませる。10分ほどで出てきた爆豪はそのままテーブルについた。


「んめえ。」
「よかった、今夜は冷え込むって天気予報で言ってたから。」
「…来月の三連休、空けとけ。」
「どこかお出かけでもする?」
「行きてぇ所あんだよ。」

爆豪はのなまえの母親にも予定聞いとけ、と淡々と続ける。
なまえは予想外の展開に目を丸めながらも納得した様子で頷いた。







駅からタクシーに揺られて10分程度、あたりは自然が取り囲む。その中にぽつん、と小さめの一軒家がある。「これ!」となまえが指させば、爆豪は家をじっと眺めてインターホンの前に立つ。ひとつ、深呼吸をする。爆豪にしては珍しく余裕のないのがなまえにも分かった。
落ち着いた様子で呼び出しベルを押せば、すぐに高めの女性の声が聞こえる。爆豪は間髪入れずに挨拶をすれば、スピーカー越しに女性の歓迎が聞こえる。

普段は絶対発さないような爆豪の丁寧な言葉の数々になまえは目を丸くする。そんな間に爆豪は手土産をすっと差し出した。
「遠いところからわざわざありがとうね。なまえの母です、さっ、どうぞ上がってくださいな。」
その女性は嬉しそうに笑っていた。
2人が彼女言われるままに家に上がれば、女性はテキパキとお茶とお菓子の準備をする。こういう手際の良さはさすがなまえの母親だ。
出されたお茶はとても良い香りがして、それでいてお菓子を邪魔しない。
「お口に合うと良いんだけど、」
「うまいです。」
「それはよかった、初めての方に食べてもらうときはいつでも緊張しちゃうのよね。」
ありがとうございます、と爆豪がお礼を述べるのを横で見ているなまえは少しの違和感に思わず笑いがこみ上げる。いつも横暴な爆豪が、自分の母に頭を下げているなんて。

それから他愛もない話を交わす。さすがは女手一つで飲食店を切り盛りしていただけある。まだ駆け出しのなまえとは違い、母親は話がうまい。爆豪が相手であっても話題は尽きなかった。


「…なまえ、ちょっと頼みがあるんだけど。夕飯に使おうと思ってたトマト缶買い忘れたから行ってきてほしいの。」
「うん、いいよ。自転車借りるね。」
なまえが部屋を出れば、爆豪はふう、とため息をついた。何かを察されていたらしい。さすがは年長者だ。

「お節介だったかしら。爆豪くん、なまえ抜きで話したそうな顔してた。」
「…あの頃は善悪の区別もつかない、ロクでもないやつでした。」
「誰にでも間違いはあるわよ、」
爆豪はソファから立ち上がり、そして床に膝をつけた。



「……なまえさんの顔のこと、申し訳ありませんでした。」


そしてそのまま、手をついて頭を下ろす。
爆豪がこんなことをするなんて思っても見なかったなまえの母は慌てて爆豪に駆け寄る。
「そんな、頭をあげて、」
爆豪は口を固く結び、まっすぐな瞳をしていた。

「…爆豪くんが、なまえのことを気にしてくれるのは申し訳ないから?それとも使命感?」
「きっかけは確かにそうだったのかもしれません。」
「そう、」
「今は、純粋になまえさんが好きです。」
なまえの母もまた、爆豪と同じように爆豪の前に膝を下ろした。2人の目線が交わる

「子どもの世界は子どもにしか分からない。爆豪くんにも、爆豪くんの正義が、あったのよね。
…でも、わたしは許せなかった。なまえが可哀想で、悔しかった。私たちが何をしたっていうのって、何度も思った。」

なまえの母は表情を変えずに淡々と言葉を発する。それがまた2人の間の空気を張り詰めさせる。息をするのさえ忘れるくらいに重く、冷たい空気。

「あの日のことはよく覚えている。家の前で、お母さんとしてた会話、ごめんね、聞こえちゃったの。」
「会話、ですか」
「爆豪くんに、立派なヒーローになれって、お母さん、言ってたわよね。正直に言うとね、なんて都合がいいのかって思った。」
「はい、」
「もうなまえから聞いているかしら。あの事件の後、私たちは引っ越して、夫と離婚して、なまえはヒーロー嫌いになって、夫のことも嫌った。」
爆豪は唇を噛み締めて、膝に収まっている拳を強く握る。それと一緒に爆豪のかっちりとしたズボンが、ピンとシワをつくる。
「ふとした時に思い出してるうちに、日増しにその言葉だけが頭にこびりついちゃって。あの時の男の子はこんな時も、なまえのことなんか思い出すこともなくヒーローを目指してるのかってね。もしあの時の少年が本当にヒーローになったのなら、全部暴露してやるぞって思ったりもした。」
「…そう思われるのは、尤もだと思います。」
「ううん、違うのよ。嫌な言い方をしてしまってごめんなさい。
…ここからが本題。この間なまえが帰ってきて、好きな人の話をしてくれたの。聞いた時にはびっくりした。その時にね、私は間違えてたんだって気がつくことができた。
君のお母さんがいうヒーローは、名声とか、栄誉とかそういうんじゃなくて、みんなを救えってことだったんだって。」
「っ、」
「なまえが、あんなに嬉しそうに話すなんて思ってもみなかった。爆豪くんは、みんなを、なまえをちゃんと救ってくれたって思ったの。」

爆豪はただ静かに聞いていた。眼を少しだけ伏せて、眉間にシワをよせて。まるで、何かを堪えているように。




「なまえを支えてくれて、救けてくれて、どうもありがとう。」




こみ上げてくるものがあった。世間が糾弾するなら、受け入れる覚悟もあったが、正直、怖かった。

1人の少女を虐めた。傷つけた。一つの家族をめちゃくちゃにした。自分がいなければ彼女は父親ともっと寄り添えたかもしれない。彼女の両親は別れずに済んだかもしれない。孤独に死んだという、彼女の父親は、2人に看取られることが出来たかもしれない。
仄暗い思いは爆豪の中にずっといた。

「爆豪くん、立派なヒーローになったんだね。」

きっとその感情は完全には消えないし、消しちゃいけない。
それでも、なまえの母親の言葉は深く、深く沁み渡る。
「あの、お願いがあります。」
爆豪は静かに目線を隣の和室に移した。ほのかな線香の香り。爆豪の提案になまえの母はもちろん、と目尻にシワを作って笑う。静かな部屋を切り裂くように、チーンとおりんの澄んだ音が響く。
爆豪はゆっくりと手を合わせた。ゆっくりと眼を瞑った。
願うようでもあり、誓うようでもある。
その姿をじっと見つめる写真の男性と視線が合うことはない。けれども、写真の中の彼は、まるで託すかのように笑っていた。



×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -