改札を降りて、大きい荷物をかかえながら歩く。だから前も見ていなかったし、視線にも気づかなかった。今日は夕飯を作るのは面倒だから出来合いのものをなにか買って済ませてしまおう、それから、
なまえは考えをぐるぐると巡らせた。そうすれば考えたくないこと、胸の奥のもやもやしたものに蓋を出来るから、と。
だが、その蓋はいとも簡単に開けられることとなる。
それは一言。ただ一つの言葉。"みょうじ"、と呼ばれただけ、なのにどうしてかなまえの胸の中にはあたたかいなにかが一気に広がる。恐る恐る振り返れば、そこで交わった視線の先にはたまらなく愛おしい赤。
「…爆豪、くん」
「俺に気づかねェとか、さすがヒーロー嫌いなだけあんな。」
「ちが、ごめんって」
爆豪の口はへの字に曲がっていたけれど、別段不機嫌そうではなかった。どちらかというと安堵に近いその表情、怒っているわけではなさそうだ。
「…ひ、ひさしぶり、」
「てめェのお陰でな。」
「あの…、折角来てくれたのにごめんなんだけど今日はちょっと、ご飯作る気力ないかも」
「はァ?ちげーわクソが。」
「え、」
なまえが爆豪の顔色を伺うも、爆豪はお構い無しの様子でなまえの手から大荷物をぶんどって爆豪は出口に向かってスタスタと歩く。手持ち無沙汰になったなまえは突然の事であたふたしながらも爆豪の背中を追った。
「ちょっと、爆豪くん!いいよ!自分で、持つ、」
「…体力ねぇんだから黙って持たれろや」
「うっ、」
爆豪は相変わらず歩く速度を緩めない。登山をした時には同じくらいの速度だと感じたけれど今日は何故だかとても速く感じる、爆豪は普通に歩いているのだが、なまえは早歩きをしてもついていくのに必死だ。
そのまま駅前のロータリーへ出れば、爆豪はそこに停めてあった車に荷物を押し込めて無言で運転席に座った。なまえがおろおろと戸惑いを見せていると「早く乗れや」と爆豪がイラついた様子でそちらを窺う。
「住所、」
「…どこの?」
「アンタの家」
「えっ、なんで、」
なまえがぽかんとしていたら爆豪は家まで送るっつてんだろ、と軽く怒鳴った。そんなの初耳だ、聞いてない…と言いたげな顔でなまえが爆豪のことをまじまじと見ればその口は「鈍感女、」と呟いた。
「爆豪くんとうまくコミュニケーション取れる人ってこの世にいるの?」
「はァ?余裕で取れるわ、つか取れ!」
「ふふ、爆豪くんも冗談とか言うんだねぇ」
ハンドルをきりながら爆豪はあからさまな舌打ちをするがなまえが「ありがとう、」と小さい声で伝えたからなのか機嫌は数秒後にはすっかり直っていた。
横でハンドルを握る爆豪の姿を名前は横目で盗み見る。運転をする姿を見るのはもちろん初めてて、彼女はいつも以上に緊張していた。半袖から伸びるがっしりとした腕は絶妙に筋張っていて妙にドキドキしてしまう。なまえは今まで友人に細めな人がタイプだと豪語していたがそれは間違っていたかもしれない、なんて頭の中で妙な考察をした。
特にハンドルを握る掌が…、と考えてなまえは爆豪の手に目線を移す。そこでふと、爆豪の手を握った時の感覚を思い出して急にお腹がじんわりと疼いたような感じがした。なまえがあわてて手で自分自身の顔を仰げば、爆豪は無言で空調をいじる。
しばらくの沈黙、動き出した空調の音と窓越しに伝わる外の喧騒が二人の間を流れる。ひやりと流れてきたの冷たい風が火照った身体には心地よい。
「…いなくなんなら連絡くらいしとけ」
「うん、ごめん。」
窓の外ではぽつりぽつり、と雨が降り出した。車内には雨が窓を打つ音が規則的に響く。それがやけに大きく感じられて、なまえは視線を外に向けた。
「…父がね、亡くなったんだ。それで母の手伝いとか、いろいろ。」
「…、」
「ごめん。暗いよねこんな話、」
「いいから続けろ」
爆豪はまっすぐ前を見つめていた。
なまえはうん、と頷いてそれから一つずつ言葉を紡いでいった。
「父親が出所した後、あんまり会ってないんだ。あの人が望んで、それで別々に暮らしてたの。」
「だから、顔を見ても、写真を眺めても、まるで知らない人って感じ。だからお葬式の時も全然泣けやしない、」
彼女の父親が逮捕されてから、色々なことがあった。あの爆豪との事件はもちろん、その後も引っ越しをしたり、母親の仕事を探したり。なまえの母親は言わないだけで相当な苦労をしていたのだろう、それでも父親を想う彼女の想いは、憔悴しきったその姿から察することができた。
淡々と述べるなまえの声のトーンは明るかった。でも、爆豪はその声が微かにふるえていることに気がついていた。
車がなまえの家の近くの路肩に止まる。未だに雨が降っていて、人通りも少ない。雨の音だけが響いていた。
「爆豪くん、ありがとう。助かっちゃった、」
「…あんたさ」
「うん」
「下んないとこで我慢してんなよ。泣きたいなら泣きゃいいんじゃねえの、」
なまえがゆっくりと口を開いた。爆豪はフロントガラスに雨が落ちるのをただハンドルに体に預けながらただまっすぐ見つめている。
「わたしね、あの人の笑う顔が、思い出せなかった」
「文句のひとつくらい言ってやれれば良かったのに。あなたのせいで苦労したんだよって、逃げてないで会いに来いって、、」
「例え犯罪者でも、私のお父さん、だったんだ、」
車内には雨音に混ざってなまえの嗚咽が響いた。
それまでハンドルにもたれかかっていた爆豪は気だるげに重心を移動させて座席に寄りかかる。そのまま真っ直ぐに前を見据えながらなまえの手を取った。
なまえは驚いて爆豪の方をみればたまたまそちらを向いた爆豪と目が合う。急いで目を反らして「今ぜったいブスだから、見ないで、」と鼻を啜りながら俯いた。だがそれもこれも爆豪には全部逆効果。
繋いでいる手を引き寄せて、そのまま彼女の唇に自分のそれを重ねた。
それはまるで、世界が止まったかのような数秒。決して長くはないけれど、なまえには永遠のように感じられた。