目覚ましはかけていない。スっと目が覚めて清々しい風に吹かれる。朝ごはんを作らねばと急いで顔を洗って着替えれば、もう机の上にはそれが並べられていた。
本来は自分がやるべきだと思って謝れば「たまには母の手料理も食べたいんじゃない?」と彼女はいたずらっぽく笑った。昔から変わらない、落ち着く笑顔。ここ数日間の憔悴しきった様子はどこへやら。なまえはほっと一息ついてその懐かしい味に笑みを零した。




「…お母さん、」
「うん。そろそろ大丈夫よ、色々申し訳なかったね。」
「いい機会になったよ、里帰りしたかったし。今まではなかなか帰れなくてごめんね。」
「私のことはいいのよ。逆に次は私がそっちにいこうかしら。久しぶりにお店の常連さんにも会いたいし、」
「うん、来て。あとこのマリネ美味しい、あとでレシピ教えて、」



朝食を食べ終えてなまえは部屋に戻り、荷物をまとめつつパソコンで新幹線のチケットを購入する。ついでにブログの更新もした。数日前の彼の言葉を思い出して、少しためらいつつメッセージアプリを起動した。



『今日の20時にそっちに着く電車で帰ります、』


いつも通りの簡素なメッセージ、それ以上の言葉はいらないだろう。会えるとも思っていない、ただ、伝えたくなった。"待ってる、"という先日の言葉がとても嬉しかったから。
だから自分も帰ったということをたまらなく言いたくなった。彼にとってなにでもない、なんの肩書きも持たないなまえなりの理由。


「なまえ、ちょっといい?」
「うん、なに?お母さん。」
「……この間さ、お見合いの話したじゃない。でもよく考えたらお節介だったかなって。」
「…と言いますと?」
「次会った時にはちゃんと紹介してね。」

そうならそうって言ってくれればよかったのに、と笑う母の言葉になまえは顔に熱が集まるのを感じた。必死で平静を装うが、どうにも抑えられている気がしない。


「お母さん、まだ早いから、」
「でも待っててくれてるんでしょ?こっちのことはもう大丈夫だから、早く行きなさい、今が1番楽しい時期でしょ?」

何も言えなかった。おそらくこの間の電話を聞かれていたのだろうとは思うが、それだけではないように感じる。世の中の母というものは、子供のことなら何でも分かってしまう生き物らしい。


「なまえにはせっかく私の個性が遺伝したんだから、胃袋がっちり掴みなさいね」
「自信ないなぁ。」
「私の娘なんだから大丈夫よ。」

「お母さん、あのさ、」
「なあに?」
「………お母さんは、あの人のこと好きだった?」



母は「今でも好きよ」と笑って言った。






新幹線の車窓をじっと見つめる。もうすっかり暗くなって、ネオンが次々に流れていく。近くに座ったおじさんのラジオの音が耳に入る。
ヒーローがヴィランを倒しただの、熱愛だの、問題発言だの、そんなニュースばかりだ。窓にもたれかかりながらなまえはそれをただただ聞いていた。以前のようにイヤホンをして大音量で音楽を聴いたりしなくても平気だ、なまえはそのまま静かに目を閉じて微睡のなかへ落ちた。



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