(何度目の春)

「今って春やと思う?冬やと思う?」
「冬やな」
桜が咲いてへんねんから。と、当たり前だとでも言いたげな顔をしている彼はそう言って私の方に目線を向けた。
私たちには今現在居場所がない。

**

「卒業式始まったかな」
「多分」
「白石は出ればよかったのに」
「いやあ、怖いやん。現実見れへんわ」
「銀、怒るやろか」
「むしろ金ちゃんのほうが怒りそうやねんけど」
「わかる〜『なんで来おへんかったん!?!?』って」
「今の似てたで」
「えっ、嘘、ユウジに勝った?」

いつもと変わらない会話だと思った。
微塵も春だと思わせてはくれない窓の外の景色は灰色と茶色で構成されていて、どこか寂しさを感じさせる。
そこそこ年期のはいった、動くかもあやしいストーブを二人のためだけに使うんは無駄ちゃうか、と白石は言うが寒いものはしょうがない。
卒業生なんだからいいじゃんともっともらしい理由をつけてなんとか丸め込む。

幸いにも灯油は十分に入っていたから遠慮なく電源をつけさせてもらうと、少し間をおいてボッという音と共に火がつき、だんだんと教室はストーブ独特の空気が漂って生ぬるいような暖かさに包まれていく。私達はストーブのすぐ近く、1番前の窓際に並んで座った。座ると同時に、まだ9時だというのに机に突っ伏して微睡む白石の髪には薄く光が当たっていて、周りは柔らかく輝き、私にいつもとは少し異なった感覚を与えた。

そりゃあ卒業式は非日常で節目を表すイベントだけれど、出ていないのに気分だけを楽しむというのは、今ごろ体育館で校長先生の長くありがたいお話を聞いているであろう本当の意味での卒業生になんだか申し訳ない気がしてくる。真面目な白石はともかく、普段からこんな風に教室でサボっていた私だって卒業できたのだから学校って本当に、素晴らしいなあ。なんて、不謹慎なことを思う。


*

すっかり教室の中の適度な暖かさと一体化した私達だったが、相変わらず教室には誰も入ってくる気配はないし、私たちも動くことはない。
あまりにも校舎が静かすぎて、思わず、誰かが入ってこない限り私たちもこのまま動かずにいなければいけないのかもしれないと錯覚してしまう。

それでも眠くもなんともないから正直なところ暇をもて余している私と、起きてはいるのだろうけどうつ伏せのまま動く様子を見せようとしない白石。

普段から白石は結構黙る男だけど、この沈黙を嫌いだと思ったことはなかった。

静かで、重たくて、流れていくような時間。そんな今なら何を言っても許されるような、優しい白石なら聞き逃してくれるような気がした。


「最近さ、謙也急ぎすぎやと思わへん?」
「......そら、あいつ、医者になりたいんやから、」
「違う。急ぐんが悪い訳じゃなくて」

私が言いたいのは、

「あんなに急いでどこまでいつくもりなんやろう。って」

浪速のスピードスターを名乗る謙也の様子に違和感を覚えだしたのは本当に最近のことだ。
単に元来彼の持つせっかちな性格に目がいっているだけだと言われればそれまでだろう。
それでもこんな時期には、そんなちょっとした違和感でさえも不安として心に募っていく。

「怖いんか」
「不安なだけや。このままもし謙也がどっかに行って、そのまま『なんとなく』でみんなばらばらになったらどうしようって」

なんとなく。そんな曖昧なものでばらばらになった時に、私は何を思えばいいのだろう。
今よりももっと変わっていって、会わなくなって、恐ろしい。と、学生ながら思った。
漠然とした不安が心を蝕んでいく。
それでも、こんな、白石も含めた彼らのことを信用していないような、そんな自分の考えを認めたくなかった。

「ごめん嘘、やっぱ怖いわ」
「......もし、変わっても、」
「え?」
「黙って聞けや。ええか? 俺は俺で、お前はお前や。
中学の間、毎日顔合わせて、アホみたいな話も真面目な話もしてきたやろ。
違う場所にいても、根っこは一緒や。大事なところは絶対変わらへん。」

口に出すだけで終わらせるつもりだったのにわざわざ反応するような白石はやっぱり優しいやつで、こちらを見つめる真っ直ぐな瞳が私を射抜くようだった。「ありがと」と口にするが、その頃にはもう彼の視線は窓の外へと移っていた。

*

「この卒業式で何か変わるかな」
「お前それ去年も言っとらんかったか?」

「そういえば千歳は?最近会ってないけど」
「あいつは...せやなぁ、今日ぐらいは来てるやろ」
「そっか」

だんだんと時間は進んでいき、気づけば私たちが教室に入ってから長針が一周しようとしている。
それでも式が終わる気配はない。

「白石も変わってくん?」
「わからん。お前にでかく言っといてなんやけど、そんとき次第や」
「そう」

急に、廊下のほうからから大きな音がする。
「来たなぁ」と白石に言う暇もなく、中学生としてはあまりにも不釣り合いな強さで教室の扉が開けられ、後輩達が顔をだす。


「何で来てくれへんかったん!?!?今日ワシの晴れ舞台やで!?」
「そうそう。金ちゃん、ちゃんとお行儀よくできててんから」
「まぁ俺の教え方がよかったっちゅー話やな!」
「学校着いたら謙也さんしかいないから時間間違えたんかと思いましたわ。なんで来なかったんすか?」
「せやで!財前のときは来たのになんでワイのときは来てくれへんかったん!?」


静かだった教室が一瞬で賑やかになる。
昔の面影が残る笑顔を見せる金ちゃんの胸ポケットには真っ赤な花が刺さっていて、彼が卒業生であることをこれでもかと主張してくる。
四天宝寺の中でも1番騒がしいと言われたようなテニス部が今でも、ずっと、大好きで、大切だからこそ、自分が彼らに何かを残せていたのか、不安だった。

「なぁ白石」
「なんや」
「もう春やねんな」

黒板の前で騒ぐみんなから外へと私は目を向ける。窓から見える桜の木には、もうすぐ芽吹くであろうつぼみが小さいけれど確かに存在する。金ちゃんが真新しい制服に身を包み、高校の門をくぐる頃にはきっと美しい桜が咲くだろう。
これはきっと、彼らとじゃないと見られなかった景色だ。

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