(緑の惑星はどこにある)

※6話までの情報と捏造だけで書いています。
4号の姉を自称するエラン・ケレス(本物)の姉の話なので、思うところがあればブラウザバックをお願いします。

 薄暗い部屋の中で駆動音が低く響いていた。次に機械音が、複数のモニターに次々と新たなウィンドウが表示される音が。最後に椅子が軋む音がして、一仕事終えたことを表すようにベルメリア・ウィンストンは背中を椅子に預けた。学生が使用することを想定されていない椅子は最低限の設備として設けられており、人の身体を労わることができるほどの質に到達してはいなかったが、ベルメリアにとってそんなことは些細なものだった。
 小惑星に作られた学園であるアスティカシア高等専門学園にベルメリアがやって来たのは、ペイル社が推薦した学生、エラン・ケレスが搭乗するGUNDフォーマットを利用した機体、ファラクトの調整と現状確認── およびエランケレスの現在の身体の状態を確認するためだった。
 デリング・レンブランが束ねるベネリットグループ。その御三家のうちの一社であるペイル社が推薦した学生であるエランの出す結果はベネリットグループにとって重要なものだ。学園内で学生同士が行う決闘で最も優れた結果を出した「ホルダー」はデリングの娘、ミオリネ・レンブランとの婚約が約束されるのだ。その意味を、ペイル社の経営者たちが理解していない訳がない。
 ベルメリアが、伏せ目がちにモニターが映す結果に目を通す。
 今回もエランに大きな問題は見えない。正常範囲内だと言えるだろう。現状を維持できれば、卒業まで4号を運用することが可能に思えた。その事実を読み取り、ベルメリアは小さく安堵の息を漏らした。椅子に座った状態で振り向く。同じタイミングで、エランの体内に流入されているパーメットが色を落とし、元来持つ色だけが残る。
 検査台から足を下ろしたエランのつま先を、リノリウムの床が冷やす。
「もう大丈夫ですよ。名前さん」
 
 名前を呼ばれた少女が控えめなヒールの音と共に、部屋に足を踏み入れる。室内で視線を何度か往復させてエランの姿を瞳に納めてから、ベルメリアに向けて微笑んだ。
「ありがとうございます、ベルメリアさん。エランも、お疲れ様」
「……姉さん、また来てたの」
「もう、久しぶりに会えたんだからそんなこと言わないで」
 「姉さん」と呼ばれた少女── 名前は、皮肉とも受けとれるエランの言葉を軽く受け流し、純粋な気持ちで再会を喜んだ。隣に歩み寄り、膝と膝が触れ合いそうな距離にまで近づいた。そのまま柔く、膝の上で重ねられていたエランの手を包むようにして握った。エランがその手を振りほどくことはなく、それを同意と受け取り名前は微笑む。
「本当は検査着以外のエランを見たいんだけど、なかなかそうもいかなくて」
「当然だ。そもそも、検査に関係していないんだから姉さんは入ってくることも控えた方がいいと思うけど」
「確かに技術面に関して私からベルメリアさんにできることはないけど…… それでもエランのお姉ちゃんなんだから、元気なことを会って確かめたいの。一応来る回数だって控えて、こうしてついてくるだけにしているし。ねえ? ベルメリアさん」
 名前の呼びかけにベルメリアは肯定も否定もせず、ただ口元に微笑を浮かべるだけだった。それが姉弟へ向ける微笑ましさか、気まずさからくるものなのか。エランと名前には判断できなかった。
「困らせているように見える」
「いいでしょ。別に」

 それから2人はベルメリアの立会いのもと、いくつか言葉を交わした。学園で苦労はしていないか。友人はできたか。楽しくやれているのか── どれも名前がエランの近況を訊ねるばかりで、大抵が「作っていない」「わからない」などとマイナスに受けとれる回答ばかりだったが、名前は満足しているようだった。
 自分をまっすぐに射抜くような瞳を見て、唯一とも言えるモニターの光源だけだと、エランの瞳の色は輪をかけて冷たく見えると名前は思った。エランが学園に入学してもう3年が経っていた。その間会える場所といえば、こうした無機質な部屋ばかり。屋外で、晴れた日のように設定された場所では日の光を受けてもう少し淡い色をしていたように思うし、暖色寄りの照明があるところでは今よりも柔らかい色をしていた気がした。だが、エランに言われた通り、こうして会うことも本来ならば控えた方がいいとされているのもまた事実だ。名前がケレス家の長女でなければベルメリアに無理を言って同行することも難しかっただろう。それならば、瞳の色で寂しさを覚えるよりも、こうして言葉を交わせる喜びを噛み締めた方がいい。
「名前さん、そろそろ──」
 ベルメリアの呼びかけに応えた名前の声には名残惜しげな気持ちが滲んでいた。
 重なっていた手をほどき、再びエランと視線を合わせる。
「じゃあ帰るね」
 元気で。またね。いくつかの別れの言葉を連ねて、名前とベルメリアが部屋を出て行く。その様子を見送って、エランは視線を下に落とす。指先からゆっくりと、自分の手にあった温もりが消えてゆくことを感じていた。

 2人が戻ったのは夕方と呼んで差し支えない頃だった。
「それでは私はこれで」「はい。今日はありがとうございました」
 互いに挨拶を交わし、ベルメリアと名前はそれぞれ自分の在るべき場所へと戻って行く。
 自室に戻り、閉まったはずのドアが再び開いたことに違和感を覚えた名前が振り向いた。
 くすみがかった黄色い髪に、緑色の瞳。少し跳ねた後頭部と顎にかかりそうなもみあげ。外見のどこを取ってもその少年は、先ほどまで名前が会っていたエラン・ケレスと同一人物のように思えた。それもそのはずで、事実、この少年こそがオリジナルであり、名前の実の弟である男だからだ。
 1つ違いを挙げるとするならば、エランを模すように象られた少年── 4号が検査着を着用していたのに対して、エランはスーツを身につけていることだろうか。それ以外は精巧に似せられているため、気づかない人間の方が多いだろう。
「……エラン様。そんなに何度も来られても困ります。私ができることはありません」
 自分の部屋を訪れるエランに、名前は困惑を隠そうとはしなかった。しかしエランも、それで納得して背を向けて帰るような人間でもない。名前の横をすり抜けたエランは後ろから静止の声と共に着いてくる名前の言葉など聞こえていないように歩み続け、そのまま部屋に置かれていた椅子にどかりと腰を下ろした。
 4号が人形のように例えられるのであれば、好戦的に、自信ありげに名前を見据えるこの男はまさしく人間と呼ぶにふさわしい佇まいだった。
 少しつり上がった瞳で、エランは名前を上目遣いで見つめた。瞬きも最低限に見つめられることに耐えかねたのか、あるいは何か言うこともこの男には無駄だと感じたのか、名前もエランと同じく、正面の椅子にゆっくりと腰を下ろす。
 先に口を開いたのはエランだった。

「また俺に会いに行ってたんだって? アンタも飽きないよな」
 ため息混じりの言葉に名前は表情を変えない。例え自分を揶揄するものだったとしても。
 その様子を見て、エランは言葉を続ける。 
「随分と学園の俺にお熱らしいけど、アンタはまず、弟である俺があんなところに行かずに済んだことを喜ぶべきなんじゃないか? なんだっけ…… 決闘ではなんでも賭けられるんだろ? それこそ、女だって」
「すべて、エラン様の耳に入れるまでのことではありません。そして私があの子の元に向かう理由ですが…… 弟ですから。足を運ぶのは当然です」
 弟という言葉に反応するように、エランの眉がつりあがった。
「俺もよくやるよ。会社と家からはエラン・ケレスとして、俺の代わりになるように求められる。それで、アンタからは大切な弟になるようにって? 笑えるよ。アンタだってケレス家の人間なんだ。求めれば俺だって断れないだろうに」
 どこか演技がかった口調でエランは肩を竦めた。
「もういいでしょう。 ……帰ってください」
 どこまでも平行線で、自分を受け入れない名前に腹が立った。

 何度もここまで足を運ぶのは、自分が「エラン・ケレス」に会いに行くのと同じ気持ちだからだと、この女はわからないのだろうか。それとも、わからないフリをしているのか。エランには判断できなかった。気持ちを揺さぶるようなことを言っても名前は少しも顔色を変えず、ただ自分という存在を拒む。
 学園にいるらしいエラン・ケレスはもっとうまくやれているのだろうかと、エランは思う。そうでもないと、実の弟である自分がこんな目にあっているなんて、屈辱以外の何物でもないからだ。
 椅子から立ち上がり、名前の前へと歩み寄った。そのままエランは軽く腰をかがめ、名前の胸元を掴んだ。エランの嫉妬を映すとされている緑色の瞳が、名前で満たされる。それはつまり、名前の視界もエランで埋め尽くされていることに他ならない。
 2人が見つめ合ったのは僅かな時間だった。
 
 エラン・ケレスが望むことは、姉である名前が自分の影武者として学園に通う「俺」でなく、自分を弟として認識すること。それだけだった。
 しかし、その想いが届くことはなく、自分を見つめる男の瞳に、名前は今も学園にいる弟が持つ、淡い緑を重ねていた。 


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