(次はもっと頑張りましょう)

 花の苗を埋める時はまず、地面に穴を掘る。
 埋めたい苗の大きさに合わせた穴に苗──種でもいい。好きな品種を入れて、そうしたら空を見上げるように上を向く花の茎の周りに、優しく土をかけてやる。最後に他の花たちと馴染むよう平らに均して、水をやるのだ。
 昔、母が私にと花の苗を買ってきてくれた時はいつもそうして庭に埋めていた。タイミングによってそれは一人であったり、目覚めてすぐに新聞を読むことが日課の父と一緒にだったりと相手は異なっていたが、ある時、エミリオと一緒に花を植えたことがあった。太陽が私たちを射抜くような棘を持ち始める、彩の月になったばかりの頃だ。
 その日は母からは六つの苗を渡されていた。
「エミリオと一緒なら三つずつね」
 その言葉に私は頷いた。自分の持っている知識の中からどれを彼に分けてやろうか。そんなことばかり考えていた。しかしエミリオは非常に要領が良く、二つ目の苗に手を伸ばす頃には子供ながらエミリオより一足先に肥料を含む土に触れ、花壇周りに関しては一家言あるつもりでいた私よりもきれいに、素早く終えてしまうようになっていた。花を自分の手で植えるのは初めてだと言っていた彼の言葉を嘘だと思っていた訳ではない。当時から鍛錬に多くの時間を費やしていたエミリオの言葉に、幼馴染の言葉に嘘はないと知っていた。だからこそプライドが傷つけられたような気がして、私は服が汚れることも厭わず地面に腰を下ろして身体を支えるために両手を地面につけ、最後に埋めようと決めていた真っ白の花弁が印象的な美しい花まで、エミリオに植えさせた。
 肝心の本人は私がいじわるしているつもりなことにも、嫉妬のような感情を抱かれていることにも気づいていなさそうな様子で、確か「いいの?」だなんて、嬉しそうな顔をして私から苗を受け取って、新たな穴を増やしていたように思う。
 いまも十分美しいが、あの頃のエミリオも綺麗な顔をしていた。それに加えて、空の頂上を陣取る太陽を遮ることができるほどに高い建物なんてないアルストリアの戸外で、小さな花壇の前にしゃがみこんでいた彼の金色の髪が世界の祝福を一身に受ける星みたいに輝いていたから、そんな彼を見ているうちに自分のちっぽけな気持ちなんて、どうでもよくなっていたのだ。エミリオといると、そういうことが多くあった。
 
 そんな、子供の頃の出来事を思い返していた。
「いつぶりだろうね。名前とこんな風に土いじりをするなんて」
 同じことを考えていたのか、エミリオが口を開く。私は穴を掘る手を止めて、彼を見た。見たといっても上背があるため、近くにいると首を少しあげないとエミリオとは視線が合わなくなってしまっていた。彼が私の方を見ておらず、独り言のように呟いただけだとわかり視線を下げれば、あの頃よりずっと大きくなった掌に手套が嵌められているのが目に入る。騎士であることの証明にもとれる純白の生地だからこそ、ほんのひとかけらだろうと、汚れは目立つ。
「手、汚れちゃってるよ」
 ほんの少し手を伸ばして、彼の手套に付いた土を爪で削れば簡単に土は地面に還っていく。それでも染み付いてしまった色までは落とすことができなくて、罪悪感から布越しにエミリオの手を撫でた。触れている箇所から私の温度が彼に伝わっているのか、彼の温もりが私にまで届いているのか、わからなかった。そんな私に向かってひとつ「ありがとう」と、目尻を下げて笑うだけで王族かと見まごうほどの気品を纏うのだから、こんな男と長年関係を持ち続けられる確率とはどれほどのものなのだろう。そんな風に思いを巡らせてしまう。
「こんなところを誰かに見られたら少し恥ずかしいし、早く終わらせてしまおうか」
 優れた騎士を輩出している国として名を揚げているアルストリアでは、シュヴァリエに属する騎士達は私たちの心の拠り所となっている。そんな騎士団ギルドの中でもさらに優秀な騎士として、エミリオは太陽騎士の称号を与えられているのだ。闘いの実力と人々からの信頼があってこその称号なのだから、こんなところは誰にだって見られてはいけない。いや、私だって、エミリオに見られるつもりではなかったのだ。
 
 大抵の場合、女性が男性を長距離に渡り運ぶことは不可能に近いだろう。
 技術の進んでいる他国の場合として当て嵌めれば可能なのかもしれないが、少なくとも、この自然豊かで美しいアルストリアで、ただの女でしかない私が自分よりも大きく、それも身体に力が入っていない状態の男性を自由に動かすことは近い、などではなく。不可能な事象に他ならない。
 だから、夜が深まり、窓から透ける灯りの数も片手で足りるほどしか見当たらない狭い路地裏で優しく私の名前を呼ぶエミリオの声を聞いたとき、私には自分の未来が今後どうなるのか、頭の片隅で予測することもできなかった。
「なにも聞かないの」
 もう一度、エミリオを見た。足を少し動かせば先ほど掘り出した土を置いていたところだったのだろう。靴の底が柔らかな土に絡め取られる感覚がしていた。
「君が何も聞くなって言ったから」
「そんな言葉、太陽騎士さまが鵜呑みにしてもいいの?」
「だめ、かな」
 駄目に決まっている。小さく首を傾げて答える彼に面と向かってそう言える訳もなく、飲み込んだ。
 あの路地裏で、人間の遺骸を前にしても凪いだ湖を思わせる色をしたままの青い瞳と私の視線が混じり合ったとき、冷えた石畳の上に座り込んでいた私は真っ先に彼に助けを求めて、次に「何も聞かないでほしい」そう頼んだ。エミリオの言葉は事実であり、エミリオはこんなにも都合の良い私の要求をすんなり受け入れた。いつもの微笑みを崩さぬままに。固く、動かなくなったその人を物でも運ぶかのように簡単に持ち上げて、私を連れてこの山にやってきた。
 そうして今、二人で彼を埋めるための穴を掘っている。
 エミリオの言葉に何も返せずにいた私は、ひとりで思考を巡らせていた。犯罪幇助なんて、騎士道から最も外れた行動だろう。騎士の国に生まれた国民として、これまでゆっくりと育んできた倫理観は、今の私をひどく罵倒している。
 でも、エミリオが私に協力してくれていなかったら明日の朝には私は逃げ帰ったベッドの中で自分の罪が露見することに怯えていたはずだ。そうなれば私は、家族はどうなる? 考えるだけで恐ろしかった。
  
「──嬉しいんだ」
 さらに深く掘り進めようとしていた私の腰を抱いて柔らかく制しながら、エミリオが口を開いた。
「もう大人なのにって言われるかもしれない。君が僕たち以外の人のことを信用できるようになったみたいに、僕にも信頼できる相手はいる」
 いつの間にか近くまで運ばれていた遺骸がエミリオの手によって足元にあった穴の中に消えていく。白く細い根っこが土を覆っていた花の苗を土に埋めるときみたいに一瞬で、あっけない光景を私はただ彼の隣で見ていることしかできなかった。どんどん土が被せられて、雪のように降り積もっていく。きっと、短い時間に過ぎなかった。
 穴の中にあった隙間が元どおりに近い形にまで戻ったとき「それでも、」と、エミリオは言葉を続けた。
「僕は、僕を選んでくれた君への感謝を表すにはこんなことしかできないから」
 あの人がこの山にいた形跡なんてもうどこにも残っていなくて、エミリオの言葉を聞いているのは私だけだった。横を見やれば青い瞳はさっきより少しだけ、風が吹いた後みたいに小さく揺れていた。映っているのは私だけで、きっと、私の目の中にもエミリオしか映っていなかったんだろう。
「でも君が僕を必要とするなら、望むなら。僕はなんだってやる。……だからこれからも君は、僕だけを頼ってね」
 約束、と言われて私は半ば彼の微笑みに流されるようにして「わかった」と答える。この約束にどんな意味が込められているのか、私に推し量ることはできない。
 けれど私の言葉ひとつでまた彼が記憶の中で見たような幼さを残した顔をして笑うものだから、これが正解だったのかもしれない。木々に遮られて星の明かりも届かない山の中で、そんな風に思うのだった。


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