(令和事変)

 「寝坊してたら嫌だし明日迎えに来て」
 お願いします!とダメ押しで付け加えたクマのスタンプがデフォルトの画面を背景にお辞儀を繰り返す。
 悠仁に明日の目覚まし役を頼んで伏黒に頼まなかったのは、なんとなく時間も守れない馬鹿だと思われたくなかったから。晩御飯を食べてるときに言えばよかったなんて思うけど野薔薇もいたし、なんとなく言いにくかったのだ。いや、でも午前一時半に悠仁は起きているのだろうか。
 確認のために部屋の窓を開けると蛙の声が大きくなる。身を乗り出して数部屋先にある悠仁の部屋を見ると電気が付いていた。起きている。クーラーの冷気が逃げないよう早々に窓を閉めてもう一度トーク画面を開くと、悠仁からの返信が届いていた。
 ウサギが両手で大きな丸を描いている。簡潔だ。
 そんな昨夜(今日だけど)の約束通り、待ち合わせの時間である十一時の五分前、私の部屋の扉が叩かれる。悠仁だ。時間ぴったりじゃないところが有難いよな。なんて思いながら鏡の前で最終確認を済ませて、待たせてはいけないと駆け足で引き戸を開けた。
「お...... え?」
「え?」
 開口一番、信じられないような物を見たような顔で固まってしまった悠仁につられて私もドアに手をかけた状態のまま動きを止めてしまう。「おはよう!」じゃないの? 「お」まで聞こえたのに、言いかけた言葉を止めてしまうほどの衝撃が悠仁に走ったのだろうか。
「何……? 今日だよね、野薔薇の誕プレ買いに行くの」
「そうだけど……」
「そうだよね……?」
 野薔薇へのプレゼントを私、悠仁、伏黒の三人で買いに行くことは先週から決まっていたことだ。昨日の今日で忘れていました。なんてこともあるはずがなく、逆に理由がわからなくなってしまう。
 悠仁はどうしてこんなに困ったような顔をしているのだろう。目は止まることのできないマグロを連想させるほどに泳いでいる。右、左、下、正面 ──あ、逸らされた。しまいにはぼのぼのさながらの汗が見えてくる始末で、見ているこっちが申し訳なくなる。こんな顔をさせている私が悪いんじゃないかと思わされてしまうような、罪悪感を駆り立ててくる顔だ。

「うーんと、今言えないならとりあえず玄関行かない? 伏黒も待ってるだろうし」
 日陰に入っているだろうとはいえ、こんな夏日に外で私たちを待っている伏黒を思うと気の毒だ。あんなに白くて、見るからに暑さに弱そうな顔をしている人はそういない。肌が焼けたらすぐヒリヒリしてしまうタイプだろう。水泳を休みがちだった男の子はみんな白かった。日焼け止めも塗らなさそうだし、私たちが気を使ってやらないといけないのに。
 それでも悠仁は「いや」だの「えーっと」だの、寝言のように要領の得ない言葉を並べるだけで、ちっとも玄関へ進もうとしない。というか根の生えてしまったかと思うほど部屋の前から動こうとしない。悠仁の伏黒を思いやる気持ちはこんなものだったのか。
「本当にどうしたの? もう行くよ、」
「あの、さ!」
 このまま悠仁を待っていたら、らちがあかない。悠仁の相手に疲れたからなんて理由で壁にもたれてしまうことは簡単だ。けれど、一度もたれてしまえば面倒臭くなって悠仁の呻きを止めることは出来なくなるだろう。というか遅刻してしまう。至って合理的な判断を下した私はずり下がっていたバッグのショルダーを肩の位置に合わせて悠仁の横を通り過ぎようとする。理由を聞くのは廊下を歩きながらだっていいからだ。
 そうするとついに悠仁が大きな声を出した。そんな声出せたのか。
「その、下着見えてるんだけど……」
「へ」
 右耳から左耳へ。もしかしたら脳を経由する頃には無くなってしまうのではないかと思うほど、消え入りそうな声だった。店員に注文内容を聞き返されたことなんてないんだろうな。なんて思うほどにハキハキとした喋り方が特徴なはずの悠仁が言う。小さな声で、頬を掻きながら。
 唐突すぎる言葉に脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされるけど、そう言われて確認しないわけにもいかず、自分の首から下に目をやってみる。黒のタイトスカートに白のベルト。薄く色のついたシースルーのブラウス。さっき塗った日焼け止めが薄手の生地に張り付くような感覚さえ感じれど、おかしいところなんてないと思っていた。至って平均的な女子高生の服じゃないのか。でもまさか。ボタンで留められているブラウスの下に着ている白のタンクトップを、悠仁が下着だと勘違いしているのではないかと私の脳内で動く古びたスパコンが一つの答えを叩き出す。
 下着発言から、地続きの沈黙が流れていた。 
 「……あのですね。こちら、シースルーブラウスという服でして、その、虎杖さんが下着と仰っているこれは恐らくタンクトップかと……」
 ブラウスから透けるタンクトップを指でつまんで、服なんだと言い張る。その動作さえいたたまれないような顔して目を逸らす悠仁に腹が立った。何が悲しくて自分で選んだ服を説明しないといけないのか。私は同級生に下着が丸見えでも気にせず外出するような奴だと思われるような服を選んでしまったのかと不安になるけれど、こればっかりは譲れない。野薔薇が褒めてくれた服なんだから、譲れるわけないのだ。おじいちゃん子だったらしい悠仁には悪いが、これが令和の服装なのだ。罪は令和のファッション、インフルエンサー、ひいてはインスタにある。私は未成年なりの主張をするために、大きく息を吸う。
「これが! 今どきの服なの! 信じて!」
「えぇーっ!!だって、それは...... ダメなんじゃないの」
「ダメじゃないよ!! パルコらへん行けばこんな服着た人、いっぱいいるよ!」
 だからこれがいいよおなんて半ば意地で悠仁の肩を揺する。同情を誘おうとしたのだ。びくともしなかった。

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