(やっぱり犬派)

 犬が好きだ。犬は暖かくていい。飼い主を裏切らない。猫は真逆だからあまり得意ではない。それなのに、吾輩は猫を飼っている。正確には友人から猫を預けられた。つまり、猫を期間限定で飼っている。

 パワーちゃんの愛猫であるニャーコが我が家にやって来たのは昨日のことだった。早川家の主人であるアキくんが北海道へとお墓参りに行くらしく、数日家を開けるというのだ。早川くんと同じ家に住んでいるのは最近公安にやってきたデンジくんと血の悪魔のパワーちゃんで、二人ともアキくんに付いて行くらしい。そんな中で家に猫を置いていくのは心配だからと、預け先として私に白羽の矢が立ったらしい。

「え、私でいいの? ……本当にいいの?」
「誰がいいとかがないから誰でもいいんだよ」
「あっそ……」
 受話器越しに伝えられたのはいっそ清々しいまでに簡潔な理由だった。別に私を信頼しているとか、私がいいとか。そんな理由を求めていたわけではないけど、そうじゃないことに納得するわけではない。電話から受話器へと伸びるコードに指を絡めながら相槌を打っていると、いつの間にか話が終わりかけていて、話を聞いていなかったことを知られたくなくて慌てて声を出す。
「じ、じゃあまた明日で!」
「あぁ」

** 

「ねえニャーコ、ご飯食べてくれないと困るんだけど…… にゃーこちゃーん……」
 私はキッチンからリビングにいるニャーコを呼ぶ。
 からからと、ステンレス材の皿に入ったドライフードはマラカスのような気の抜けた、どこか間抜けな音を部屋全体に響かせる。何度呼んでもあの猫 ──ニャーコは私の呼びかけを無視していて、うんともすんとも答えない。テレビや動画で見る猫は人間から喋りかけられる度に返事をするかのように鳴いていたが、実はあっちのほうが架空の生き物で、このどっしりとした面構えの、こっちを見向きもしない生き物こそがやっぱり、世間一般でいう猫なのだろう。

「ニャーコがカンカンしか食べないの、私が甘やかしちゃったせい?」
私がそう溢すとやっとニャーコがベッドから鳴き声を一つ上げる。
にゃおん
可愛らしさとは縁遠い声だった。太い声は性格の図太さを表しているのかもしれない。この猫は居候してほんの数時間で、食べたくない餌は食べずに待っていれば人間”奴隷”である私が根負けしてウエッティで割高な餌を出すと気づいてしまったのだ。

「勘弁してよ…… 早川くんに怒られるの私なんだよ、早川くん怒ると怖いんだよ」
 なんとか餌を食べさせようと腰をかがめてニャーコを抱き上げ、キッチンへ運ぶと、野生の本能でよくない気配を察したのか、普段の様子からだと考えられない様な俊敏な動きで私の腕を振り払ってベッドへと戻っていった。
 ワンルームの大半を占めるベッドの一角はあっという間に彼女の定位置になってしまっていた。石のように重く動かない置物のようなニャーコの代わりに私が丸まって眠っている始末で、そのおかげで昨日の夜は足先が冷えてなかなか眠れなかったし、夜中に足の薬指が攣った感覚で目が覚めた。
 彼女のためにと、わからないなりに買った猫用のベッドは昨日のうちに仕舞われて、部屋の隅に他の段ボールと一緒に高く積まれている。夜中に眠るニャーコを蹴ってしまっていたらと考えると不安になるのに、決して察する気配がないこの猫を、今晩にでも本当に蹴ってやろうかと考えてしまう。

 根負けだった。本当にお腹が空いたらカリカリでも食べるだろうと諦め私もベッドへ向かう。布団の上に乗るニャーコを避けて壁に沿うような体制で横になる私を横目で見たニャーコが、後を追う様に布団の中に入ってきて私は思わず言葉を失う。布団やシーツに猫の毛が付くとか、中で用を足してしまうんじゃないかとか、そんな心配はなくて、真っ先に私の中に湧いてきたのは喜びの感情だった。同じ布団に包まれる二人、まるで仲睦まじい飼い猫と飼い主の様じゃないか。思わずガシガシとニャーコを強く撫ででしまったが、低く鳴くだけでどこかへ行こうとする様な素振りは見せなかった。ニャーコもどこかで明日訪れる私との別れを惜しんでくれているのだろうか。

「ニャーコ、」
 名前を呼んで頭にある黒いぶちに手を置いてみると暖かかい。こんなに落ち着いてニャーコに触れたのは、思えば初めてかもしれなかった。
「次来たときはもっと仲良くなれるかもしれないねえ」
 そう口にして、ニャーコが家に来ること、次があるということは、早川くんが家を空けないといけないほどの仕事があるとかそんな、大変なことになっているのかもしれないのだと気づく。
「……ニャーコ、お前、やっぱり家に来ない方がいいや。こんなこと繰り返してたらいつか本当に家の猫になるかもしれない」
頭を撫でて声を掛けても、かすれた鳴き声しか返ってこない。
「わかってんのか 」
にゃおん
「アキくん死んじゃうかもしれないんだぞ」
にゃ
「もうニャーコのこと迎えに来れないかもしれないんだよ」
にん
「……なんだ、やっぱり冷たいな。猫って」
抱きしめても逃げないニャーコはこんなに暖かいのに、自分の心だけがどんどん冷えていくのを感じた。早川くんが死なないこととニャーコと仲良くなること、天秤にかけたらどちらに傾くかは一目瞭然だろう。それでも少し、この温もりを手放し難く思う自分もいて、欲張りだなあと思う。
冷たい私と暖かいニャーコがいるからか、布団の中はなんだかぬるく感じた。

**

「助かった」
 昨夜の会話なんてなかったように、北海道土産を持って早川くんは帰ってきた。紙袋を受け取って、交換する様な形でニャーコの入ったゲージを早川くんに手渡す。しゃがんでゲージの中のニャーコに目線を合わせると、細められた目が、なんだか笑っているみたいだった。
「じゃあね、ニャーコ」
 もう来なくて良いとは言えなかった。でも、またきてねとも言えなくて、どちらを選べば良いのか、また迷ってしまう。
「あの、さ、早川くん、今度ニャーコに会いに行っても良いかな」
 迷った末の代替案だった。これなら早川くんは家にいるし、ニャーコにもパワーちゃんにもデンジくんにも会える。一石四鳥だろう。
「あぁ、いいぜ」
お前猫好きだったんだなと、早川くんが言う。知っていたのか。知っていたなら、私に預けなくてもよかったじゃないかと思う。それでもニャーコを預からなかったら私はずっと犬一筋のままだっただろうし、そのことを思うと早川くんの口角が僅かだが上がっているのも、見逃してあげてもいいかもしれない。

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