積乱雲の下 2

期末テストが終わり、夏休みに入った。高校最後の夏だというのに、なんてことない、変わらない日々を送っている。 バイトのシフトを増やしたり、友達とファミレスで集まって課題を片付けながらおしゃべりしたり。今は、花火大会に何を着ていくかを話している。
時々、空条君のことを考えたりもする。自分から名乗ったことはないけど、彼は私の苗字を知っていた。それを、今は素直に嬉しいと思える。
自分からひどい態度を取っておきながら、何を言っているんだろうとは思うけど。いつのまにか、花火大会には浴衣を着てお揃いのヘアアクセサリーを付けることに話が決まっていた。
それなりに思い出を作った夏休みが終わり、二学期が始まった。十月には文化祭があるので、校内は放課後も騒がしい日々が続いている。
私のクラスは模擬店で綿菓子屋をやることになった。看板や装飾作りを手伝ったり、時には買い出しに行ったりと意外とやることが多く、部活の方は少し疎かになっている。
屋上に置いていたプランターは、夏休みの間に全て中庭へ移動させた。私があそこへ行っても、空条君の迷惑になるだけだし、合わせる顔もない。
彼はきっと、文化祭の手伝いなんてするタイプじゃないだろうから、放課後の今、もう学校には残っていないだろう。
作業の合間、自販機に飲み物を買いに行った時、何気なく見上げると、旧校舎の屋上にゆらゆらと揺れる煙が見えた。空条君の煙草の煙だと決まったわけではないのに、私はその場から逃げるように教室へと戻る。
飲み物を買いに行っただけなのに、息切れしているのを友達には不審がられた。
気付けば、あっという間に文化祭当日だ。意見が割れて揉めたりしたけど、なんとか模擬店の準備は完了した。私の店番は午前中なので、昼食後は自由時間。どの順番で他の模擬店をまわるか友達と騒ぎながら、校内を歩く。
途中、空条君のクラスの前を通った。当たり前だけど、彼はいない。そもそも今日は出席していないと思ったけど、先ほど血眼になって彼を探している数名の女子生徒とすれ違ったので、一応来てはいるのかもしれない。
どうして私は、こんなにも空条君のことを考えてしまうのだろう
。 生徒会による閉会セレモニーが終わり、トイレに寄ってからクラスに戻ると、打ち上げの話をしているところだった。集合場所と時間が黒板に書いてある。
家に帰って着替えても時間が余るので、友達と近くのカフェに寄ってから帰ろうという話になった。用事があるから先に行ってと友達を見送ってから、私はある場所へと向かう。 もし、今日ここに、彼がいたら。あの日のことをちゃんと謝りたい。そう思い旧校舎の屋上へ向かう。ドアの鍵は開錠されている。
どきどきしながらゆっくりとドアノブを捻る。開けたドアの向こうには、誰もいなかった。
空条君がいつもそうしていたように、欄干にもたれてみる。胸ポケットから射的の模擬店で貰った景品の、シャボン液が入ったプラスティックのボトルと吹き具を取り出す。
キャップを開け、吹き具の先端をシャボン液に浸し、そっと息を吹く。ふわふわと小さなシャボン玉たちが、秋晴れの空に舞い踊る。
何度かシャボン玉を作り、待ってみたけど彼が来る気配はない。諦めて帰ろうとドアの方を振り返ると、微かに足音が聞こえた。大きくなっていくそれに、緊張が走る。

「あれェ? ここだと思ったんだけどなー…なあ、空条見なかった?」
「…見てないよ。私しかいない」
「そっか…あ、綿あめうまかったよ! 俺、あの後おかわりしたし」
「ふふ。ありがとう。気に入ってくれてよかった」

ドアを開けたのは、空条君のクラスの男子生徒だった。妙な期待をしてしまった自分が恥ずかしい。まぁ、わざわざこんな日を選んでこの場所に来ることは無いよな。
男子生徒がドアの向こう側に消え、帰る前にもう一度だけシャボン玉を飛ばそうと、吹き具を持った時だった。貯水タンクの裏から、誰かが出てくる。
おかしいな。こうなることを望んでここへ来たはずなのに。空条君の姿を見つけた途端、何故だか泣きたくなった。
彼は私を見つけると、ドアがある方向ではなく、私のいる方へゆっくりと歩いてくる。隣に立った彼は、何も喋らない。
思えば、いつも空条君から話しかけてくれていた。今日は勇気を出して、私から声をかけたい。一つ深呼吸をしたところで、またしても出鼻をくじかれた。

「…さっきの奴と、仲いいのか」
「え?」
「なんでもねえ」
「あっ、あの…待って!」

立ち去ろうと歩き出した彼の制服の裾を、思わず掴む。帽子の鍔をぐっと下げたので、どんな表情をしているのかは分からない。だけど、手を振りほどかれることはなく、彼はその場に留まってくれた。

「空条君に、ずっと謝りたくて」
「……」
「覚えてないかもしれないけど…前に、プランターを運んでもらったことがあって」
「…いや、覚えてる」
「えっと…それでその時、私…あの女の子達に目を付けられるのが怖くて。それで、酷い態度を取っちゃって…本当に、ごめんなさい」

スカートのプリーツが皺になることも構わず、ぎゅっと両手で握り、頭を下げる。視界に入ってきた彼の靴は手入れが行き届いており、それでいてとても大きい。蹴っ飛ばされたら、痛いんだろうなあ。想像しただけでも、背筋が凍りそうで、ぐっと目を閉じる。
ふと、頭に何かが乗せられた感触がした。それが何かに気付いてしまい、目を見開く。空条君の、手だ。そのまま彼の手は、私の頭を上げさせた。

「お前は何も悪いことはしてない。だから謝るな」
「で、でも。空条君に、迷惑かけちゃったし…」
「迷惑だなんて思ってねえ」

ばしん、とそう言い切られてしまい、次の言葉が出てこない。どうしたらいいのか分からず「ううぅ」と唸っていると、彼はちょっと意地の悪い笑みを浮かべた。

「一本付き合えよ」
「えっ」

ぐい、と彼の手に押されて強制的に歩かされる。転ばないように必死に足を動かし、欄干の前まで戻って来た。私の頭に置かれたままの手で、今度はぐしゃぐしゃと髪を掻き撫ぜている。
抵抗しても、彼に力では敵わない。わあわあ言っていると漸く解放され、ボサボサになった私の頭を見て、声を出して笑っている。こんなふうに笑うところを見るのは初めてで、手櫛で髪を整えながら、彼との間にまた穏やかな空気が流れ込んできた気がして、私も笑った。
一本というのは煙草のことだったようで、慣れた手つきで口に咥えて火をつけている。手持ち無沙汰だった私は、シャボン液のボトルを再びポケットから出す。

「どうしたんだ、それ」
「…真似しようと思って。空条君の」
「…そうかよ」

シャボン液に吹き具の先端を浸し、ふう、と息を吹く。ちらりと見上げた彼は何かを慈しむような表情を、ほんの僅かな時間だけ見せてくれた。
また帽子の鍔を下げてしまったから、今はもうどんな表情をしているのかは分からない。だけど、学校中の女の子が彼を好きになってしまう理由が、分かったような気がする。

「さっきの子は二年生の時同じクラスだったの」
「……」
「だから…仲がいいとかそういうのじゃないよ。男の子と喋るの、そんなに得意じゃないし…」
「俺はどうなんだ」
「分からないけど…今学校でいちばんよく喋る男の子は、空条君だと思う」
「…ならいい」

シャボン玉と、煙草の煙が時々交差しながら、橙に染まり始めた空に消えていく。この美しく奇妙な光景を忘れないように、しっかりと目に焼き付けようと、シャボン液がなくなるまで吹き続ける。彼もそれに付き合うように、二本目の煙草に火をつけていた。
そうして、私と空条君は再び屋上で時々話すようになった。でもそれも、そんなに長くは続かなかった。彼は今、留置所にいるらしい。

十一月の中頃。昼休み、お弁当も食べ終えて友達と喋っている時だったと思う。クラスの男子生徒が教室に入るなり「空条がパクられた!」と大声で言い、クラスは騒然となった。
噂話には尾ひれ背びれがつき、他校の生徒を半殺しにしたとか、留置所内でも暴れているとか。彼は、理由もなく人を殴ったりする人じゃない。きっと何か理由があってそこにいるはずだ。真相は分からないまま、空条君は学校に来なくなった。
受験モードでピリピリする教室内は、指定校推薦で早々に大学合格を決めた私にとっては居心地が良いものではない。放課後は逃げるように下校する日々が続いていた。
だけど、毎週水曜日だけは変わらずに旧校舎の屋上に来ている。このガーベラを育てるのも、今年で最後だ。
何の確証もないけれど、ここでまた、空条君に会える気がして。花の状態を見て、水やりをして過ごすだけの日々が続く。二学期が終わる日になっても、ドアが開くことはなかった。
三学期になっても空条君が学校に現れることはなく、密かに退学したのではという噂が流れ始めている。なんとなく、彼のことが好きな女の子達を可哀想だと思った。好きな人に気持ちを伝えられず、自分の前から姿を消されたら、悲しくて耐えられないはずだ。
私はどうなんだろう。相変わらず、空条君のことをどう思っているのか、自分でも分からない。

その日は、本当に突然やってきた。空条君が学校に来たのだ。学校中がざわつく中、私はまだ彼の姿を見ていない。クラスも違うし、わざわざ彼のクラスに覗きに行くのも失礼な気がして、いつも通り過ごした。ただ、今日は金曜日だけど私は放課後に旧校舎の屋上へと向かっている。
水やりは水曜日にしたばかりだから、特に用事は無い。だけど、もしかしたら彼に会えるかもしれない。そんな不純な気持ちだけを抱えて屋上のドアノブを捻る。鍵は、開いていた。
彼の姿を見るのは、いつぶりだろう。最後に会ったのは去年で、今日はもう、一月も終わりかけの二十七日だ。空条君は何も変わらず、そこにいた。最後に会った日と同じように、欄干にもたれて煙草を吸っている。なんて声をかけたらいいんだろう。いつかのように、私はドアの前で動けなくなっていた。
彼と目が合う。そうして、どれくらいの時間が経っただろう。誰かに背中を押されたかのように、私は一歩前へ踏み出している。彼に会う時、こんなにどきどきするのは初めてだ。ゆっくり、一歩ずつ確かめるように、彼に向かって歩く。

「久しぶりだな」
「…うん。元気にしてた?」

彼の隣に立ち、目の前に広がる夕暮れ時の空を見る。両手で触れた欄干は、氷のように冷たかった。欄干に背を預ける彼を見上げてみる。心なしか、以前よりさらに精悍な顔つきになっているような気がした。
色々あったけどそれなりに元気だと答えた空条君は、ふっと煙草の煙を吐く。白い吐息と混じって空へと広がっていく煙は、コーヒーにフレッシュクリームを垂らしたように揺蕩いながら上っていく。

「何があったのか聞かねえのか」
「話したくなった時に教えてくれたらいいよ」
「…分かった」

欄干から手を離し、巻いていたマフラーを口元まで引き上げる。ここで彼にはあと何回会えるだろう。二月の中旬から、三年生は自由登校となる。最後の登校日以降は、ガーベラの世話も顧問が引き継いでくれることになった。
空条君も、進路が決まっていれば来ることはないと思う。そういえば、彼とはお互いの進路について話したことはない。

「空条君は、進学するの?」
「あぁ。お前は?」
「私は、都内の女子大に」
「そうか。俺は…」


その日、私は家に帰ってから夜ごはんも食べずにベッドで毛布を頭から被り、芋虫みたいに丸まって泣いた。
やっと気付いたのだ。アメリカの大学に行くと言った、空条君のことが好きだということに。


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