まる、ばつ、さんかく

「…何ですか」 違和感に顔を上げると、彼女の手が掴んでいた。何かってそれは、僕の前髪を、だ。しかも、優しい力加減ではなく頭皮に痛みを感じる強さで握っている。なぜ急に、そんな行動に至ったのだろう。

「そこに前髪があったから?」
「そんな理由で掴むのはやめてくださいよ」

どちらかというと毟る勢いですよ、それ。と言えば、笑いながら謝る彼女の手の力は緩んでいく。出会った頃から印象は変わらない。彼女は、少し不思議な人だ。

僕と彼女は今、学校近くのファストフード店のさほど広くないテーブルの上に教科書やノートを広げ、シャーペンとフライドポテトを片手にテスト勉強をしている。こんな騒がしい店内ではたいして集中して勉強なんてできないのに。年下の僕には分からない問題を一緒に解くことも、テストに出そうな問題を予想することもできないのに。
彼女はいつも決まってこの店を選び、僕を誘った。その理由は、分からない。前髪を軽く整え、再びシャーペンを手に取る。彼女の手はフライドポテトへと伸びていた。それから、いつものように器用に片手だけを使いドリンクカップの蓋を開けている。まだひと口も飲んでいないバニラシェイクにフライドポテトを浸す様子を、初めて見たときは驚いた。何をやっているんですか、と聞いた気もする。それくらい、自分には馴染みのない食べ方だった。
確か彼女は「前に見た海外ドラマでやってておいしそうだったから」と答えていた。それから「承太郎の前でやると怒られるから」とも言っていた。僕なら怒らないと、そう思われているのだろうか。彼女が僕のことを軽んじていないことは、分かっている。だけど、少しだけ心境は複雑だった。

「幸福が来たら躊躇わず前髪を掴め」
「はい?」
「後ろは禿げてるからなんだって。面白いよね」
「何ですかそれ」
「ダヴィンチが言ってた」

フライドポテトをバニラシェイクに浸しながらレオナルド・ダ・ヴィンチの格言を呟く人に、僕はこの先出会うだろうか。スタンドが見える人間に出会うよりも、難しいことのように思える。ぱくりとフライドポテトを頬張る彼女は幸せそうな笑みを浮かべているし、少し離れた席から聞こえてきた高校生グループの馬鹿笑いに、握ったばかりのシャーペンをノートの上に放った。こんなところで集中して勉強なんてできるわけがない。

「だから僕の前髪掴んだんですか?」
「そう。あ、でも大丈夫。花京院くんは後ろ禿げてないよ」
「知ってますよそんなこと」

何か良い事でもあったんですか、とそう聞けば、彼女は小テストで満点を取ったことや、購買で一番人気のコロッケパンのラス1をゲットしたことを嬉しそうに話す。相手が彼女でなければ、どうでもいい内容ばかりだ。いつからなのかを思い出せないわけじゃない。たぶん、最初からだ。出会った時から、僕は彼女のことが好きだ。承太郎の隣で笑っている彼女に、僕は恋をした。

「掴むのは僕の前髪じゃあないでしょう」

彼女にはきっと、いたずらに僕の心を弄んでいる自覚はない。だけどどうしてか、それを恨むこともできない。承太郎を想う彼女が世界一美しいことを知っているからだ。その顔を、僕の前でしか見せないことも。

「届かなかったんだよね。背が高すぎて」

いつか届くといいですね、という言葉は僕の口から出ることはなかった。届かなかったのは承太郎の前髪なんかじゃあない。
僕が彼女の前髪を掴めないのと、同じ理由だからだ。



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