応答せよ、地球
一
取引先の会長と、わたしの上司である部長は何故か話が合うようで、打ち合わせに同行している自分の存在など忘れているかのように何やら趣味の話で盛り上がっていた。事の成り行きをあまり覚えていないけれど、今では度々3人で食事に行く間柄になった。
自分と近い年齢の彼が企業のトップとして自社との商談を成立させていく様子や、お金や人の動かし方はいつ聞いても勉強になるし、尊敬する人というよりは、雲の上の存在という言葉の方がしっくりくる。
本当に、綺麗な顔をしてるなぁ。
陶器のようにつるりとした肌に、すっと通った鼻筋、涼し気な目、薄い唇、後ろに撫で付けられた艶のある黒髪。丁寧でスマートな言葉選び。時々、プライベートの話をしているときは一人称が俺になったり、面白いことも言う。うーん。女性の好きが全部詰まったみたいな人だな。大層おモテになるのでしょう。
「峯さん、よかったらこの後苗字と飲んでやってください」
「部長、飲みすぎですよ。峯さんにご迷惑ですから」
「私は構いませんよ。苗字さんさえよければ」
先月2人目のお子さんが生まれたばかりの部長の為、今夜は早めの解散となった。部長の余計な一言で面倒な事になったと思ったが、彼も適当に話を合わせているだけだと考え、タクシーに乗り込んだ部長を見送り、電車の時間を調べようと鞄から携帯電話を出したところで「では行きますか」と、彼の声は確かにそう言った。
「さっきの部長の冗談なら気にしないでください。峯さん、お忙しいでしょうし」
「今日はもう仕事をする予定は無いですよ。それに」
とん、と背中を押され歩くよう促される。
「苗字さんとゆっくり話したいと思っていたんです」
こうやって彼はいつも女性を口説いているのかなぁと、感心してしまうくらい。無駄が無い、滑らかな動作だった。
食事をした場所から歩いて2、3分のシティホテルのバーのカウンターで彼の頼んだワインを一緒に頂くことになり、勧められるがままに峯さんと同じペースで飲んだのがいけなかった。
ボトルが空になる頃には、頭がかなりふわふわしていた。飲ませるのが上手だなぁとか、ここからだと終電は何時だったかを交互に考えたり
「峯さんって、わたしと違う世界を生きている人みたい」
ひとりごとのように呟いた言葉を、彼が掬い取ったことにも気付かなかった。
さすがにハイペース過ぎたのか、峯さんの瞳は少しうるんでいて、いつもと違うとろんとした視線と前に垂れた一束の髪の毛がとてもセクシーで。「行きましょう」と言われ握られた右手を振りほどけなかった。
目を覚ませば、清潔な白いシーツが素肌に触れているのが分かった。彼はもういないだろうと思っていたが、意外にも隣で煙草を吸っていて、こちらに気付くとミネラルウォーターが入ったペットボトルを渡してくれた。
「飲みすぎました」
おはようございますを言うよりも先に、わたしの口から出たのはそれだった。
「俺もです」
二日酔いなのか、水を飲むために後ろに傾けた頭がずきずきする。
わたし、この人と寝たんだ。
昨日の夜、ちらりと見えた背中の刺青も夢じゃなかった。
「いつもこういうこと、してるんですか」
シーツの中で足元の方にある下着を足の指に引っ掛け手繰り寄せながら、興味本位で聞いてみた。あと、ちょっと嫌味も込めて。
「セックスだけの相手にしたいなら、何度も食事に誘って距離を詰めていくようなことは効率が悪いでしょう」
「はぁ」
「金さえ払えば済む話だ」
なかなか衝撃的なことを仰っている。
「用が無いのにいつまでも隣に置いておく必要もありませんし」
ぽかん、としたわたしの顔を彼はじっと見ている。
「こんなことを話す意味、分かりますか?」
「分かりません」
馬鹿な女で、すみません。でも峯さん、あなた結構サイテーなこと言ってますよ。
「次に二人で会った時、好きだと言うつもりでした」
業務報告のような抑揚も情熱も感じられない告白はされたことが無いので、どう答えるのが正解なのか分からない。でもひとつだけ気付いた事がある。わたし、たぶんこの人のこと好きだ。ずっと前から。
先日見た映画を思い出した。見た目も話す言葉も人間だけれど、ふとした時に、人とは違う様子を見せてまわりを戸惑わせる宇宙人の男性が出てくる話だ。何故か妙な魅力があって、彼から目が離せなくなる。ちょっと、峯さんに似ている気がする。
「俺のこと、どう思ってる」
ヘッドボードにもたれかかって、片手で髪をかきあげる峯さんの仕草は色っぽい。
「う、宇宙人……?」
あ、間違えた。たぶん、業務報告もどきの告白への返事で、好きとか嫌いとかそういうことを聞かれたんだ。
「くっ……はは」
峯さん、笑ってる。この人、こんな顔もするんだ。
「違う世界っていうのは、そういうことか」
極道だと見破られたのかと思っていたと言う彼に、恥ずかしくなり目の下までシーツを引く。そろそろ羞恥心も目を覚ます時間だ。
やっぱり峯さんは、確かにわたしと違う世界を生きている人で。それはもちろん宇宙ではなくて。もっと現実的だけど、ずっと遠いところ。
シーツの擦れる音に首を横に向けると、峯さんの手に煙草はもうなくて、わたしを抱き寄せた。彼の鍛えられた胸筋のうえに、自分の額がくっついてしまう。
「他部署の男と、いい仲だとか」
「…部長は本当にお喋りで困ります」
わたしがトイレに行くため席を外したときにでも部長が喋ったのだろう。他部署との合同プロジェクトで同じチームになった男性と、一度食事に行っただけだ。
「あなたを取られるかもしれないと、焦りましたよ。堅気の男には勝ち目がないですから」
ため息混じりの切ない彼の声は、今まででいちばん人間らしさを感じさせるものだった。
ぎゅっと背中にまわされた腕の感触に、昨夜もそうされたことを思い出す。
「そうだとしても、あんなにお酒を飲むようなことしなくても」
「緊張してたんですよ俺も。だから間違えました、順番を」
「ぅわ」
峯さんはわたしを抱きしめたまま、ゆっくり後ろに倒れていく。雲の上の存在と見上げていた彼を見下ろす日がくるとは。
「宇宙人ですから、人間のやり方が分からなくて」
峯さん、また笑ってる。ちょっとかわいいぞ。
あの映画のタイトルは何だっただろうか。彼は知っているだろうか。聞いてみようか。
それとも順番なら、わたしも間違えてますと言ってみようか。
「好きだ」
まぁ、そんなことは後でいいか。
「わたしも峯さんのこと好きです」
「知ってる」