liquid courage

時計の短針が0を少し過ぎた頃、ドアの向こうが煩くなる。いつもの控えめな音ではなく、がちゃがちゃと雑なやり方で開けられたドアと、かつこつと鳴る靴音が彼女の帰宅を知らせた。

「ただいまぁ」

いつまで経ってもリビングに姿を見せない彼女は、自分が来るのを待っているのだろう。舌っ足らずな声で何度も玄関から俺の名前を呼んでいる。持っていたグラスをテーブルに置き、小さく溜息をついてソファから立ち上がった。

「おう。おかえり酔っぱらい」
「酔ってないですよーお」
「酔ってる奴はだいたいそう言う」

ほとんど突進するようなかたちで自分に抱きついてきた彼女を、難無く受け止めてやる。アルコールの作用か、いつもより体温が高い。出かける前、虫除け代わりにつけてやった自分の香水は随分と薄まっている。それから、ほんの僅かにラストノートに混じる別の匂いに気付いた。

「煙草吸ったのか?」
「ううん。隣の人が吸ってた」

彼女の言い方にピンとくる。ふにゃふにゃと笑っているこいつの両頬を片手で掴み、上を向かせた。

「…おい。男はいねぇって言ってたよな」
「なんか勝手に混ざってきたの」

不機嫌を露わにする此方を気にすることなく、こいつは俺のルームウェアの裾を捲っては元に戻すを繰り返し、遊んでいる。

「どこの店だ」

店名を答えた彼女に、バカでかい溜息をつきたくなった。それから、出かける前には誰に会うのかに加えて、行き先も答えさせるようにしようと決めてやった。

「男が女引っ掛けに行くような店だ」
「そうなの?」
「二度と行くなよ」
「だからかぁ…でもね、私はちゃんと、アモがいるからダメって言ったよ」
「何がだよ」
「番号教えてって」

こいつ、俺を怒らせる気か。というか、正確にはもう怒っている。「足痛いから靴脱がせて」と言うこのバカに「知るか。てめぇで脱げ」と自分に抱きついたままの腕を強引に外してやった。支えを失い、ぺしょりと座り込んで片方ずつ脱いだセルジオ・ロッシのパンプスが玄関に転がっていく。人が贈った靴履いて他の男に愛想振り撒いてんじゃあねぇよこのバカ。

「おら立て。んでさっさと風呂入って寝ろ」

ちっとも立ち上がろうとしない様子をイラついたまま見下ろしていると、こいつはただ両腕をこっちに向かって広げただけだった。

「だっこ」

…これだから酔っぱらいは嫌いだ。めんどくせぇことこの上ない。んでもってその酔っぱらいにどこまでも甘い自分に嫌気がさす。


「プロシュート、いい匂いがする」
「風呂入ったからな」

俺の首に両腕をまわして、濡れたままの髪に鼻を埋めているのを適当にあしらい、バスルームへ向かう。中に入ろうとすると、彼女は首を振り「あっち」と別の部屋を指差した。

「風呂入んねぇのか」
「んー…終わってからにするぅ」

何が、と聞くのもダルい。酔っぱらいの言動にいちいち付き合ってたら、こっちの気がおかしくなる。彼女が指定した部屋のドアを開け、ベッドに転がしてから一旦リビングに戻った。つけっぱなしだったテレビの電源を落として、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出す。再びベッドルームへ向かえば、寝転んだまま口をぱくぱく動かしていた。魚かてめぇは。

「おみじゅ」

ドア枠にもたれかかったまま、ペットボトルをベッドに向かってブン投げる。彼女はゆっくり起き上がると、ペットボトルのキャップをかちりと回し開け、水を飲み始めた。それから、ぺしぺしと自分の隣のスペースを片手で叩いている。俺の座る場所まで指定してくるこいつを、どうやったら一分一秒でも早く寝かせられるだろうか。つーか水零してんじゃねーか。

「濡れてるぞ、服」
「ぬがせて」

今日一番の溜息をついて、彼女の隣に座る。そのまま引っ張られるようなかたちで、ベッドに寝転んだ。顔にかかった髪を退かしてやると、嬉しそうに頬を寄せ、手に擦り寄ってくる。気持ち良さそうに閉じていく瞼にキスを落として「寝ろ」と伝えて身体を起こす。すると、ぱちりと瞼が開かれた。きょとん、とした顔をして自分を見上げている。

「しないの?」
「…酔っぱらいは抱かねぇ」
「よってないよ。わたし、よってない」
「そういうのは酔ってねぇ時に誘ってみろ」
「むりむり。よってないとこんなことできない」
「お前今酔ってねぇって言ったばっかだろ!」

滅茶苦茶だ。こいつが帰ってきてからそんなに時間は経ってねぇのに、疲労感が半端ない。やめろ、俺をそんな目で見るな。いつもは見せない期待に満ちた眼差しに、心が揺さぶられる。

「プロシュートはしたくないの?」
「そういうわけじゃねぇ…」

前後不覚な女を襲うほど落ちぶれてはいない。が、いつになく積極的な彼女に理性はグラつきまくっていた。耐えろ耐えろ耐えろ。こいつを寝かせるのに何が必要なのか考えろ。話題を変えるにはどうしたらいい? こっちの気も知らずに、潤んだ目で恥ずかしそうに見つめてくるこいつを、俺はこれでも大事にしてんだ。嬉しいに決まってる。抱きたいに決まってんだろ。なのにこいつはさっきから嫌いになったのか、もう飽きたのかと見当違いなことばかり抜かしやがる。

「ねぇ、すき。だからいっぱいしよ」

あぁもうだめだ。どうにでもなっちまえ。お前が悪いんだからな。理性なんてドブに捨ててやる。




「んなことだろうとは思ったがよォ…」

いよいよ盛り上がってきたところで、お約束のようにこいつは寝やがった。何処にぶつけたらいいのか分からない複雑な心中には一旦蓋をして、さっきと同じように顔にかかった髪を退かしてやる。

「Sogni d'oro,dolce tesoro」

朝起きたら覚悟しとけよ。



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