Midnight Pretenders

「悪いことをしませんか」

私の言葉にノートパソコンの画面から顔を上げたリゾットは、今日も疲れた顔をしていた。生気のない目とテーブルの隅に置かれたエナジードリンクの本数から、今夜も徹夜をする気なのが窺える。そんな彼を見兼ねて、チームの皆は休むよう伝えていたけど「これが終わったら休む」と返事があるだけだった。

「…何をする気だ」
「気になるならついて来てください。来ないなら、私一人でやります」

私が手に持っているものをじっと見ている彼はパソコンの画面に視線を戻し、再び手元へと向ける。それからゆっくりと立ち上がったので、私は少し嬉しくなって彼に背を向けて歩き出した。後ろをついて来るリゾットはそれ以上質問することはなく、小さく欠伸をしている。やっぱり眠たいんじゃあないか。

「俺は何をしたらいい」
「何も。そこに座っていてください」

目的地である場所で質問してきた彼をまずは椅子に座らせる。しぶしぶといった様子で着席した彼を確認して、私はナイフを取り出した。手に持っていたものをテーブルの上に置き、刃先を使ってビニールを破いている様子を黙って見ているリゾットは、私が何をしようとしているのかようやく理解したようだ。さっきから「本当にやるのか」「さすがにそれはまずくないか」と制止を促すようなことばかり呟いている。

「リーダー、ビビりすぎです。大丈夫だから」
「凶悪すぎるだろう、これは」

語気を強める彼と睨み合うこと数秒。堪えきれず、二人とも吹き出した。そう、私達は今キッチンにいて、私が手に持っていたのは厚切りのベーコンとカマンベールチーズだった。用意していたフライパンの上にベーコンを放射状に並べ、中央にカマンベールチーズを置く。ベーコンで包んで火にかけたところで彼はやっと観念したのか立ち上がり、ワインの準備を始めた。

「リーダーはやめろ」
「そうだった。癖で、つい」

じゅうじゅう、とベーコンから染み出た脂が食欲をそそる音を立てている。時々ターナーを使い焼け具合を確認しながらカトラリーを探す。使ったら元の位置に戻す、という基本行動ができない人間ばかりが集まるアジトでは、フォーク一本探すのにもそこらじゅうの引き出しを開けてみないといけない。手分けして探したけれど、見つかったのはフォークとスプーンがそれぞれ一本ずつのみ。雑な男の集まりを象徴している結果に、またしても二人で吹き出してしまった。

「次で何回目ですかね、カトラリー買い揃えるの」
「もうあいつらには手以外で食わせるな」

彼の動物以上人間以下の提案に賛同して、コンロの火を消す。その辺に放ってあったサッカー雑誌を鍋敷きの代わりにして、テーブルの真ん中にフライパンを置く。最後にブラックペッパーを少し多めに振りかければ、凶悪な料理の出来上がりだ。ナイフで切り込みを入れれば、とろりとチーズが広がっていく。

「背徳グルメって言うらしいですよ」

プロシュートからリゾットを寝かせろとほぼ脅しに近いかたちで頼まれたのは、昨日の夜のこと。皆で共闘して絞め落とせば、と提案したら「後がおっかねぇから却下」と一蹴されてしまい、万策尽きていた所に出くわしたのがこの背徳グルメという存在だった。誰も見ていないのにつけっぱなしだったテレビの情報番組で特集されていたそれを見て、この計画を思いついたのだ。大きめにカットしてからフォークに刺し、彼の口元へ運ぶ。一口で食べてしまった彼は満足そうに「悪魔みたいな味がする」と呟くと、私の手からフォークを奪った。

「主犯はお前だ」

彼を誘った手前、自分だけ食べない訳にはいかないようだ。大人しく従うことにして、気持ち小さめにカットしようとしたら「ビビってんのか」と凄まれ、ナイフまで奪われてしまう。

「待って待って。リゾットが食べたのより大きい」
「いいから口を開けろ」

私がしたように、口元へフォークを突き出す共犯者に観念して口を大きく開ける。それでも全部は入り切らず、でろん、とはみ出たチーズがテーブルに落ちた。確かに、悪魔みたいな味がする。三分の一ほど食べ終えてから席を立ち、冷凍庫から次の悪魔を召喚するとリゾットからは溜息が出た。呆れてるけど、ほんのちょっと嬉しそうな。そんな溜息だった。ガラス製のバットいっぱいに敷き詰められたカッサータ。シチリアの郷土菓子で、リゾットの好物だ。

「作ったのか」
「うん。初めて作ったから、味の保証はありませんが」
「お前、俺をどうする気だ」
「丸々太らせて、養豚場に売り飛ばそうかな」

そうすれば、無理をして倒れる寸前まで働かなくて済むから。そう続くはずの言葉は隠して、スプーンを手に取った。少々行儀悪くスプーンで掘り進めながら食べるカッサータは、とにかく甘い。甘すぎる。脳まで蕩けてしまいそうな味に辟易している私と違い、リゾットの食べるペースは早い。一口分を含みスプーンを渡すと、彼は二口、三口を余裕で食べ終えている。

「ガキの頃、母親が作るカッサータが好きでよく食ってた」

彼が自分にまつわる話を自ら話す機会は少ない。静かに続きを促すと「食べ過ぎて晩メシが食えなくなってよく叱られていた」という可愛らしいエピソードまで披露してくれた。 こんな殺伐とした世界を生きる彼にも、幸せに子どもらしく過ごした時があったのだ。それを形作るものは、きっともう何も残していないんだろう。私が知っているのは、暗殺者として生きる彼だけだ。嫉妬、焦燥、愁然とも違う、何とも言えない感情に押し潰されてしまいそうになる。

「ごめんなさい。昔を思い出させるようなことをしてしまって」

静かに呟けば、彼がスプーンをバットに置いた際のからん、と甲高い音が静かなダイニングに響いた。彼を思うあまり、調子に乗って色々とやりすぎてしまったかもしれない。下げようとバットを片手で持ち上げようとすると、彼の手がそれを制した。

「待て。また何か勘違いしているだろう」
「ううん。そんなことない、大丈夫」
「俺が過去のことを話さないから不安になってるのか」
「不安とか、そんなんじゃ…うぅ……はい、そうです。ちょっと寂しかったかも」

その瞳に射抜かれると、どうにも嘘がつけずに本当のことを喋ってしまう。最後まで隠し通せない私は、やっぱりまだまだ子どもだ。こんな調子だから、プロシュートには未だにバンビーナとかプルチーノとか小馬鹿にされている。

「話したくないわけじゃあない。自分のことを話すのが苦手なだけだ。聞かれたら何でも答える」
「本当? じゃあ……初恋の相手は?」
「カーラ。4年生の時同じクラスだった」
「どんな子でした?」
「背の高い、赤毛の子だった。俺はその頃クラスで三番目にチビだったから、ちっとも相手にされなかった」
「うそだぁ。背が低くても、絶対子どもの頃からモテてたはず」
「嘘じゃない。本当の話だ」

私のしょうもない質問にも一つひとつきちんと答えてくれるリゾットは、どこまでも優しい。そんな彼との深夜二時のお喋りは、背徳感たっぷりの料理とドルチェを食べさせて休ませるという、本来の目的をどこかに吹き飛ばしてしまった。それでも、彼は今きっと仕事のことは忘れているから、ある意味では成功だったのかもしれない。

「カッサータ、また作ってくれるか」
「リゾットが作った方が美味しいのが出来そうだけど…」
「お前に作ってほしいんだ。大切な人間に自分の好物を作ってもらえる機会を逃したくない」

なんて甘い言葉を吐くのだろう。だから南イタリアの人にはカッサータの甘さは丁度いいのかもしれない。なんてことを考えながら「そういうことなら、喜んで」と返事をしてスプーンを手に取る。いつの間にか、私もこの甘さの虜になっているようだった。






「なんだそのデブ殺しみたいな食いもんは」

深夜三時を少し過ぎた頃、仕事から戻ったプロシュートはダイニングテーブルを見るなり顔を顰めていた。

「食べます?」
「いい。見てるだけで胸焼けする………おい。リゾットはどうした?」
「寝ましたよ。10分くらい前かな」
「どんな手使ったんだよ」
「別に。お腹いっぱいになったら寝るかなぁと思って」
「んでこれ食わせたのか」

よくやった、と褒めてくれたプロシュートの口に半ば無理矢理カッサータを押し込めると、私と同じような反応をしていた。やっぱりこの甘さは、南イタリア人にしか通用しないのかもしれない。



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