後方確認不十分

「お前、リゾットとヤッただろ」

ソファで寛ぐホルマジオの言葉に、両手に持つ淹れたてのコーヒーが入ったカップをひっくり返しそうになった。なんとか堪え、ゆっくりとローテーブルに置く。

「…なんて?」
「だから、したんだろ? リゾットと。セッ」
「もういい言わなくていい」

ホルマジオが言い切る前に、ぐい、と左手の指先で軽く彼の唇を抑え、隣に腰掛ける。アジトのリビングに置いてあるスプリングが弱くなっているソファは、座れば吸い込まれるようにお尻が沈んでいく。ギアッチョが「いつかケツにバネが刺さるから買い換えろ!」と怒っていた。そういえば。

「そんなことしてないから」
「本当かァ? キスマーク付いてんぞ」

咄嗟に右手で首筋を隠すと、隣の男はにやりと笑い「俺は場所まで言ってねぇぜ」とコーヒーカップに口をつけた。そして「ンなもん最初っから付いてねーよ」とカップをテーブルに戻している。やられた。

「カマかけるなんてひどい」
「引っかかる奴がわりーんだよ。で、どうだった?」
「どうだったって、何が…」

テレビのリモコンを手に取り、電源を入れるとサッカー中継が映る。確か、メローネとギアッチョがスタジアムに行くと言っていた試合だ。アジトのリビングに全員が揃う時といえば、リーダーから報酬の話がある時か、彼らが言う"大事な試合"を見る時以外はあまり無い。罵声や奇声が飛び交うし、ゴールを決めた時なんかはテーブルの上のワインボトルはひっくり返るしグラスは割れるわで毎回大惨事なので迷惑極まりない。だけど、ホルマジオに質問攻めをされている今は、そんな状況でも用意しないと逃れられない。
芝生の上を転がっていくボールを目で追いながら、降り注いでくる彼の下品な質問を無視し続ける。ホルマジオは私が新人の頃の教育係だった。今でもその名残…というか癖が抜けなくて、一緒にいることが多い。それこそ、好きな男のタイプもよく買う下着のデザインも知り尽くしてるくらいには。だから、こんなことしていても無駄だ。私の最初の反応で、もうバレてる。私とリーダーの間になにがあったのか。

「なんで分かったの。私…そんなに分かりやすい態度とってた?」
「お前っていうよりは、リゾットだな」
「リーダーこそいつも通りだったと思うけど」
「いやいやいやいや、プロシュートと喋ってるお前の背後で死ぬほど物騒な顔してたぞ」

それを聞いて落ち込めばいいのか、喜んでいいのかよく分からなかった。テーブルの上のカップを手に取り、ぬるくなったコーヒーを飲む。あの日も、こんな温度のコーヒーを飲んだ気がする。

一週間前、リーダーと二人で行く仕事があった。終わった時間が遅かったから食事をしてから帰ろうという流れになり、まぁ想像がつくと思うけど、ワインを飲み過ぎた。きっかけらしいきっかけといえば、それくらいしかない。気付けばリーダーは私の家のドアの前に立ってて、私は彼を中に引き入れていた。朝、目が覚めると彼の姿はもうなくて。ぼんやりとした頭で考えながら淹れたコーヒーを持ったまま、冷めて不味くなるまで昨晩のことを後悔し続けた。

「…別に、リーダーは私のこと何とも思ってないよ」
「自分で言ってて悲しくならねーのか」
「なるよ。めちゃくちゃ悲しい死んじゃいたい」

隣からわざとらしいほど大きな溜息と、いつもの「しょうがね〜なぁ〜」が聞こえてきたので、私もいつものように彼にもたれかかった。人の心の機微を感じ取ることに長けているホルマジオは、仕事でミスをした時や、プライベートで最悪なことがあるといち早く気付いてくれる。だからいつも甘えてしまう。

「あんなおっかねぇスタンド使うくせに、何ひよってんだ」
「うぅ……」

小さな子どもにするように私の頭を撫でてくれるし、ぐでぐでになるまでお酒を飲んでも許してくれる。ちなみにプロシュートは許してくれない。普通に説教が始まる。

「何があったかは聞かねぇけどよォ。しんどい時はちゃんと言えよ」
「ありがとう…」
「今度酒奢れよ」
「綺麗なお姉さんが働いてるオステリア探しておきます」
「よろしい」
「ふふっ…あ。ねぇ、負けてる」
「マジかよ」

思い出したようにテレビ画面を見ると、いつの間にかスコアが0-1になっていた。「ギアッチョたち、暴れてるだろうね」「帰ってきたらめんどくせぇな〜」なんて呑気に会話をしていると、何かを思い出したかのように、突然ホルマジオに強い力で抱き寄せられた。

「お前気をつけろよォ? シチリアの男は嫉妬深いからな」
「どゆこと?」



「おい。何をしている」

地を這うような声がアジトのリビングに響く。後ろを振り返らなくても分かる。怒っている時の、リーダーの声だ。

「おーリゾット。仕事終わったのか? お疲れさん」
「何をしてるのかって聞いてんだ」
「おいおい落ち着けって。メタリカすんなよ?」

私の肩にまわっていた右腕を退かし、両手を上げて降参のポーズを取るホルマジオは、こんな状況なのに笑っている。恐る恐る振り返って見たリーダーの顔は、死ぬほど物騒なのに。

「こいつがお前のことで落ち込んでるみたいだからよぉ、話聞いてやってただけだ」
「ちょっと! ホルマジオ!」

何で余計なこと言うの! そう言葉が続くことはなく、引き留めようとしたホルマジオの腕を掴み損ねた。リーダーの方へと向かう彼はどこか楽しげで、この雰囲気にはそぐわない。

「あとはリゾットが聞いてやってくれよ」

それだけを言い残して、ドアはぱたりと閉じられた。こちらへ歩いてくるリーダーに、まずはなんて声をかけようか。普通にしなきゃ。普通にしなきゃ。私とリーダーだけが残されたリビングでは何が普通なのかよく分からないが、何度も頭の中でそう唱える。試合終了を知らせるホイッスルに、勝利したチームのサポーター達の歓喜に湧く叫びが突然消えた。ローテーブルに置いてあったリモコンを彼が操作したようだ。このタイミングでの沈黙は、結構つらいかもしれない。

「ごめんなさい」
「…どうして謝る」
「リーダーが、怒ってる、から」
「……そうだな」

さっきまでホルマジオが座っていた場所に、リーダーが腰を下ろす。ソファからはぎゅうううう、と悲鳴みたいに合皮が軋む音がする。自分の心臓が握りつぶされているような、そんな音にも聞こえた。

「クソみたいな仕事のあと疲れて帰ってきて…目の前で惚れてる女が他の男とくっついてたら誰だって怒るだろう」

彼を見ることが出来ず、ワインのシミが残るラグに視線を落とす。リーダーを見てしまえば、その言葉を自分の都合のいいように解釈してしまいそうだからだ。

「リーダー、あの、」
「リゾット」
「…え?」
「あの日はそう呼んでた」

彼が言うあの日というのは、まぁあの時のことで。彼の肌のあたたかさや、器用に動く指、それからもう、あれもこれも蘇ってきて途端に顔が熱くなる。

「思い出して照れてんのか」
「いや、別に、その。なんていうか」
「かわいいな」
「っぐ、いぐいきますね、なんか…」

身をかがめ、俯いている私を覗き込んでくる彼から距離を取るために、ソファの背もたれにぴったりと背中をくっつけたのがいけなかった。顎を掴まれ、強制的に視線が合い、逃げ場もない。

「ホルマジオとはもっと近かっただろう」
「それは…別に、何とも思ってない相手だし」
「じゃあ俺のことはどう思ってるんだ」
「どうって……」

なんで。どうして。何も言わずに帰ったくせに。聞きたいのはこっちの方だ。随分前だけどプロシュートに誰かと個人的な関係になるつもりはないとかなんとか言ってたくせに。私の気持ちなんか確かめてどうするつもりだろう。まさか、仕事に支障が出るとか適当な理由をつけてチームから追い出されるのだろうか。

「やだ。私、チーム抜けたくない」
「何の話をしてるんだ」
「だって、問題あるんでしょ。誰かと個人的な関係になるの」
「問題あると思うなら手は出さない」
「でも、何も言わずに帰った」
「俺はちゃんと朝から仕事があるから先に行くと言った」
「…言ってない」
「言った」
「言ってなぅわ!?」

私の顎を掴んだままだった彼の手に力が入り、そのままソファに倒された。起き上がろうとしても、ちっとも手の力を緩めてくれない。もう何もかもおしまいだ。何年も彼を密かに想い続けて、それが最悪のかたちで今終わろうとしている。

「お前、何か勘違いしてるだろう」
「…もう分かんない。やだ。リゾットが何考えてるのか全然分かんない」
「泣くな」
「泣くよ。泣くに決まってる。ずっと好きだったのに、もう一緒にいられなくなる」
「誰が誰を好きなんだ」

漸く顎から手が離れたけど、起き上がる気力はもう無い。寝転がったまま、泣き続けることしかできなかった。「チームを抜ける必要はない」と言う彼はもう怒ってないようだけど、答えない限り私の上から退いてはくれないだろう。無言で見下ろされる時間は実際のところ数秒間だけど、私には一瞬にも永遠にも感じた。彼に見つめられると、呼吸も時間も止まってしまう。そんな力がある瞳の持ち主のリゾットに、私は恋をした。今もこれからも、それだけは変わらない。断言できる。

「……すき。リゾットが、好き」

涙を拭う彼の親指は一旦離れ、ゆっくりと引き起こされる。それから、力いっぱい抱きしめられた。彼の言葉を自分の都合のいいように解釈していいんだ。それが分かっても尚、涙は止まらなくて彼が着ているシャツに染み込んでいく。それも構わないと、抱きしめる力は強まるばかりだった。

「ホルマジオと、プロシュートもそうだが…必要以上にくっつくな」
「でも、別にあの二人のこと何とも思ってないよ?」
「……分からせるか」

そのうち、彼の手が不穏な動きを始める。それに気付き制するも、本人は全く止まろうとしない。分からせるって、何をだろう。そう考えている頃には、もう既に遅かったようで。ソファがまた、ぎゅうううと叫んでいる。

「駄目だ。もう待たない」
「だ、誰か帰ってきたらどうするの」
「ホルマジオが何とかしてくれる」

壊れる寸前のソファに再び全身を沈めながら、シチリアの男は嫉妬深いというのは本当だったと、身をもって知ることになった。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -