計算尽くしのアイラブユー

やべー女がいる。
そんな目をした男が私を見ていた。そりゃあそうだろう。平日の昼間から公園で缶ビール(ロング缶、しかも二本目)を人目も気にせずぐびぐび飲んでるOLがいたら、私だってそんな目で見る。こんなことになるなら、つまみも一緒に買えばよかった。コンビニのうずらの燻製とかつぶ貝の缶詰とか、好きなんだよね。アルコールでいい感じにほわあっとする頭でつまみに思いを馳せていると、男がこっちに近づいてきた。何の用だと不快感全開な表情を作っても、怯む様子もない。頭のてっぺんから爪先まで見定めるようにじっくり見てくるので「何ですか」とこちらから声をかけてしまったじゃないか。

「……いいね、君。スケッチさせてくれ」
「は? 遠慮しときます」
「テナガザルみたいな奴を探してたんだよ。君はぴったりだ」
「すごい。初対面でこんな失礼な人初めて見た」
「褒めてるんだよ。手足が長くてスラっとしてるじゃあないか」
「そんな後付けされても手遅れなんですけど」

こいつ。人をやべー女を見るような目で見ていたくせに。あんたの方が充分やべー男だよ。なんでこう、最悪なことばかり続くんだろう。厄年でもないのに。私、前世か何かで極悪人だったわけ? 目の前の男は私の許可も取らず、肩にかけていたスケッチブックらしきものを広げているし。あーもうペンがしゃっしゃ動いてるよ。面倒くさくなってきたので、コンビニのレジ袋から新たな缶を出した。人差し指を使ってプルタブを起こすと、かしゅ、という音がする。私、この音が世界でいちばん好き。聞けば嫌なことは大抵どこかに飛んでいく。だけど今日は時間がかかっているようで、なかなかいい気分にはなれない。

「一応聞くけど、どうして昼間の公園で酒なんか飲んでるんだ」
「あー…あれです。男寝取られてそいつに貯金盗まれておまけに横領擦り付けられて仕事クビになっただけです」
「へええ。すごいな。金なし職なし男なしというわけかい」
「そうです。ところであなた誰ですか」
「岸辺露伴だ」
「え? ごはん?」
「露伴だ。次その間違え方したら頭からビールぶっかけてやるからな」
「嫌だよもったいない。じゃあ岸辺さんね」

岸辺さんはやめろ、と納得いかない様子の彼はスケッチブックを一枚捲ると、再びペンを動かしている。私は先ほど開けたハイボール(またもやロング缶)を飲む。おいしいね。やっぱりお酒は私を裏切らない。裏切るのはいつだって男と同僚の女だ。結婚資金だと言って貯めてたお金、どうして自分の口座にしなかったんだろう。それだけが悔やまれる。社内の横領だって、気付いたのは私の方なのに。貴方がやっていないという証拠がないから、って。フツーそれだけの理由で犯人扱いするか? もうやだ。社内恋愛なんて二度とするか。何だよ、妊娠したから別れてくれって。浮気相手とはナマでヤるのかよ。クソッタレ。

「それは、何を考えている顔だい?」
「…コンビニのうずらの燻製が恋しくて仕方ない顔ですね」
「そうかい。そのままうずらのことを考えていてくれ」

嘘です。本当は自分の貯めた金で、元カレと寝取り女が結婚式挙げるのがムカついてしょうがない顔です。そんなことを彼に言ってもしょうがないので、もうひと口、ふた口とハイボールを飲み進める。うまい。なんかもう色々考えるの疲れちゃった。金はくれてやる。だけどあの二人は地獄に落ちて毎日棍棒で千本ノックされた後に剣山の上でダサいランバダでも踊れ。それで手打ちにしてやろう。

「岸辺さんって何してる人なの。絵描き?」
「漫画家だ」
「へーえ。酔っぱらった女騙して持ち帰ろうとしてる人かと思った」
「騙して持ち帰ろうとしているのは向こうのベンチにいる奴らだ」
「んー?」

見てみろよ、と言われた方へそれとなく視線を向けると、二人組の男がこっちを見ていた。いかにもナンパ慣れしていそうなタイプの。いつからいたのと彼に聞けば「僕が声をかける前からいた」とのことで。この人、意外といい人なのかもしれない。

「君、気を付けろよな。昼間とはいえ、女性一人で無防備すぎる」
「そうだね。いきなりテナガザルとか言って近づいてくる人もいるし」
「あのなあ」
「うそうそ。助けてくれたんですよね。ありがとう」

フン、と鼻を鳴らした彼に描いた絵見せてよと、ベンチから立ち上がりスケッチブックを覗きに行く。めちゃくちゃ上手かった。「絵、上手だね」と言ったら「当たり前だ漫画家だからな」と若干キレられた。そこはありがとうでいいんじゃないの。彼はスケッチブックを閉じると、私を家の近くまで送ると言い出した。しょうがないので送ってもらおう。

「君、名前は」
「また会えたら教えてあげますね」

彼とはそれっきりになると思っていた。だけど、そうでもなかった。なんやかんやあり私は今、ベランダで彼のパンツを干している。


偶然再会したのは駅近くのカフェで、私が不採用通知を四社目から受け取り絶望的な気分でハニーカフェオレを飲んでいた時だった。店内で私の姿を見つけると「今日は公園でベロ酔いじゃあないのか」と声をかけてきた彼に「暑いですから」と答えていたので、あの日はたぶん馬鹿みたいに暑い日だったと思う。横領の疑惑があった女なんてどこの企業も雇ってくれないのは分かっていたけど、こうも不採用が続くとさすがに落ち込む。

「仕事は決まったのかい」
「全然。やばいです。どうしよう」

彼はアイスコーヒーが入ったグラスに刺さるストローをくるりとひと回しすると、何かを考え込むような様子で顎に片手をあてている。そしてグラスをコースターごとテーブルの端に寄せると、ぐっと顔を此方に近付けてきた。

「君、掃除と洗濯はできるかい」
「は、なに。面接ごっこ?」
「いいから。どうなんだ」

人並みにはできますけど、と答えれば「料理は」と次の質問が飛んでくる。自炊はしている方です。私は何を真面目に返答しているのだろう。その後も「人付き合いにおけるプライベートと仕事の線引きは」「SNSで繋がる、繋がらない」「自宅に遊びに来た友人が素足だった時どう思う」「靴下履け死ね二度と来るな死ね」そんなやり取りが続く。もう面接ごっこでも何でもない。漫画のネタにでもされるのだろうかと思っていると、彼は鞄から一枚の紙を出し、私の前に置いた。

「合格だ」
「なにが?」
「見てみろよ」

A4用紙の一番上の行に視線を落とす。まじかよ。雇用契約書って書いてあるんですけど。どういうこと? ハウスキーパーを探しているんだ、距離感諸々の価値観が程よく合う人物で、漫画のネタになりそうな、とか何とかベラベラ喋り出した彼の話を聞き流しながら契約内容を読む。基本的には月〜金、午前十時〜午後六時勤務で、超過の場合は残業手当が出るらしい。業務内容は掃除、洗濯、料理、買い物等。まぁ要は家事代行ってことだよな。次に給与欄を見て、驚いた。前に勤めていた会社より、遥かに多い金額が提示されている。漫画家ってそんなに儲かるの…? かなりおいしい話だとは思うけど、一つだけ気になることがある。

「どうして私なんですか?」

テーブルの端に置いていたグラスを手に取った彼は、再びストローをくるりとひと回しすると漸くアイスコーヒーを飲んだ。からん、と氷がグラスの中で踊る。彼はムッとした表情でペンをテーブルに置き「理由はさっき言っただろう」と腕を組んで私を見た。そういうことが聞きたかったんじゃないんですけどォ。

「君、今どこに住んでるんだ」
「マンスリーマンションですね」
「仕事が決まるまで生活していける蓄えは」
「ない……ですね」
「じゃあ、どうするんだい。別に断ったっていいんだぜ」

確かに、今の私はかなりまずい状況にいる。同棲していたマンションから追い出され、家具家電なんてほとんど持たずにマンスリーマンションに引っ越したけど、壁が薄くて隣の生活音が丸聞こえでちっとも心が休まらない。貯金なんて一円もないに等しいし、転職活動も絶望的。

「……働かせてください」

気付けばそう答えて、雇用契約書にサインをしていた。というわけで、私は彼のハウスキーパーとなり、ベランダで洗濯物を干しているのである。ハウスキーパーなんて雇う必要があるのか疑ってしまうくらい、彼の家は清潔さが保たれていた。正直言って、そんなにやることが無い。彼の衣類は基本的に高価なのでクリーニングに出している。家で洗うのは下着と靴下くらいだ。掃除機もお掃除ロボットがいるので使う頻度は低い。料理も、よく分かんないけど彼が手伝ってくれるし、時々ウーバーイーツを呼んだりもする。うーん……あ。あった、やること。

「バキンちゃーん、お散歩行くよ〜」

リードを手に持ち、玄関から呼ぶと姿を見せた彼の愛犬を散歩に連れていくことだ。なんか、これがメインワークな気がする。散歩が終わったらクリーニング屋に行って、それからドラッグストアで柔軟剤を買う。頭の中で計画を立てていると、いつの間にか仕事部屋から出てきた彼がいた。この時間に出てくるなんて、珍しいな。

「今日は外で食事しようと思う」
「分かりました。あ、靴磨きたいので、出かける前に出しておいてください」
「何を言っているんだ。君も行くんだよ」
「は?」

十八時半までには帰って来いよ、と言って彼は仕事部屋へと戻っていった。普通、ハウスキーパーと雇い主が一緒に外食しに行くことってないと思うんだけど。でもまあ、この人ちょっと変わってるし。いっか。最近、あまり物事を深く考えなくなった。この人と一緒にいると、想定外でイレギュラーなことが多いから。一緒にいると、っていうのは、その、彼の家に同居させてもらっているからだ。
正直、生活はとても快適になった。壁は分厚くてプライベートがちゃんと確保されているし、お風呂はキレイでしかも広い。人生というのは、本当に何が起こるか分からない。つい最近までどこにでもいる量産型のOLだったのに。住み込みで漫画家、しかも売れっ子のハウスキーパーなんかやってるんだから。嬉しそうに尻尾を振りながらぽてぽてと歩くバキンの散歩も、今日は少し長めに時間を取ろう。クリーニング屋もドラッグストアも、明日でいい。いつの間にか私は、この生活が楽しいと思い始めていた。


「もう彼氏は作らないのか?」
「強火で三分炒めて出来上がりならとっくに作ってますけど」

ハウスキーパーとなって三カ月程経っただろうか。私は今日も彼に連れられて、彼が最近気に入っているというスペインバルに来ていた。確かに、このビオワインは美味しい。クロケッタによく合う。お湯を注ぐだけよりはマシか、と笑っている彼に一度だけ恋人の有無を聞いたことがあったっけ。二人に全力剛速球で否定されたけど、私は最初、泉さんのことを恋人だと思っていた。性格に難あり…いや、難がありすぎるけど、テーブルマナーや所作は美しい。ファッションセンスは置いといて、清潔感はある。料理もできるし、意外と一途そうだし。モテそうなんだけどな、この人。

「君、ちょっと僕のこといいなとか思い始めているだろう」
「そういうところが無ければ」

一応、雇用主と被雇用者という立場なので。私だってそのへんはちゃんと弁えてる。だけどこれくらいの距離感の時がいちばん楽しかったりするので、もう少しこのままが良かったりもする。それで、ほろ酔いのまま帰ったのがいけなかったのかな。その夜、私が寝転んだのは自室のベッドじゃなかった。察して。……そうです、家主のベッドに寝転んでいます。でもまだ何も始まってないし終わってもいない。
アルコールの作用でぐわんぐわん揺れる頭を僅かに動かし、サイドテーブルに手を伸ばす。空振りするばかりで、ミネラルウォーターのペットボトルには一向に手は届かない。 勢いに任せてぶん、と腕を振ると掴み損ねたペットボトルがごろごろと床を転がっていく。こうなるなら最初から起き上がって取ればよかったな、と溜息をついてベッドから降りる。
本棚の前にいるペットボトルを手に取ると、ふと一冊のスケッチブックが目に入った。いつもはこんなところには置いていない。後で本人に確認を取ってから元の場所へと戻せばよかったのだけれど、何故か今の私はこのスケッチブックの中身が気になってしょうがないみたいだ。気付けば、その表紙を捲っていた。
杜王駅、オフィスビル、公園。それから、あぁ、これは彼に初めて会った時の私だ。本当に上手く描けているな、と次のページを捲ると、女性の後ろ姿のスケッチが現れた。もしかして、元カノとか? さらにページを捲っていくと、どうしてか見覚えある。でも、おかしい。彼はこの髪の長さの時の私を知らないはずだ。このワンピースも、この家に引っ越してくる前に捨てた。おかしい。絶対に何かがおかしい。だけど何がおかしいのか、分からない。次に捲ったページを見て、スケッチブックを放り投げた。だってそこには、下着姿の自分が描いてある。

「気付くのが随分遅かったじゃあないか」

振り向くと、当たり前だけど家主であってこのベッドの持ち主である彼が立っていた。やばいやばいやばいやばいやばい。

「君はさあ、危機管理能力が死んでるんだよ。だから簡単に男の寝室に上がり込む」
「でもまあいいか。そうなるように仕向けたのは僕だしね」
「おっと逃げるなよ。二年四カ月と十七日もかけて、やっと手に入ったんだ」
「その意味くらい、分かるよな?」



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