とけないよ

『着いた。公園の前』

スマホに届いた簡素なメッセージを確認しながら席を立ち、飲みかけのカフェラテが入ったカップを返却口へ置いてコーヒーショップを出る。歩きながら『2分で着く』と返信して、人混みの隙間を縫うように歩みを進めていく。薄暗い公園の前にいつも待機している一台のタクシーを探すと、そこから少し離れた場所に彼はいた。

「おつかれー」

わたしの声にスマホから顔を上げた城戸くんに会うのは2年か、3年ぶりか。とにかく、長い期間会っていなかった。別にそれはわざとじゃなくて、ただ本当に会う機会が無かっただけだ。彼がおつかいで本部に来たのも、わたしが冴島さんの事務所に遊びに行ったのも、最後がいつか思い出せないくらいには。

「なんでスカート履いてきてんの」
「え?」
「結構さみーけど。平気なん」
「タイツ履いてるから大丈夫だと思う」
「ふーん。無理そうなら言って」

久しぶり、元気してた? なんてやりとりは一切なく、ヘルメットを渡してくる彼のぶっきらぼうな口調が懐かしく感じる。こんな喋り方だったな、そういえば。

『バイクに乗せてほしい』

そう連絡したのはつい3日ほど前。本当に久しぶり連絡したけれど、返信は意外と早く、メッセージを送ってから1時間以内には集合場所と時刻が決まっていた。何故わたしがそんなことを言ったのか。理由は色々あるけれど、とにかく、今会わないと城戸くんにはこの先一生会わない気がしたから。
ヘルメットをかぶったけど、バックルが上手く留められずもたついてしまう。薄暗いので手元もよく見えない。かちゃかちゃといつまでもやっていると、後ろを振り向いた城戸くんの手が自分の顎の下に伸びてくる。

「ん」
「ありがと」
「んで?お客さんどちらまで?」
「てきとーに流してー」
「あいよー」

バックルを留めると前を向き、エンジンをかけた彼は右にウインカーを出して夜の新宿を走り出した。特に何か言葉を交わすわけでもなく、向かう先も知らずに、街を彩る街灯やネオンサインを目で追ったり城戸くんの襟足なんかを見つめてみたりする。少し跳ねてるのが相変わらずだなぁと思わず笑ってしまう。
赤信号で止まると、さっきなんか笑ってなかった、と聞かれた。

「相変わらず襟足はねてるなぁと思って」
「あー……今日1日事務所だったし」
「ソファで寝てた?」
「おー」

わたしがまた肩を揺らして笑っていると、信号が青に変わりバイクはするりと進み出す。 ふと、初めてバイクに乗せてもらったことを思い出した。今日と同じようにヘルメットのバックルを留めてくれて、それから城戸くんの腰に遠慮がちに回してた手をぐいっと引っ張られて。「ちゃんと掴んでて」って言われたの、どきっとしたなぁ。きゅんきゅんしたなぁ。

「今度は何で笑ってんの」

また信号で止まると、同じような質問をされた。横断歩道の前でいちゃつくカップルをぼんやりと眺め、ここの信号が長いことを思い出した。

「バイクにさー、初めて乗せてもらった時、ちょっとどきっとしちゃったんだよねぇ」
「はぁ」
「手、ぐいって引っ張ってさぁ、掴まっててってやつ」
「あー…女の子乗せる時は、まぁ」

あ、そうですか。わたし以外の女の子も乗せてたんですね。それも当たり前か。城戸くんモテるんだよね。この前もソープに書類貰いに行ったら「城戸さんって最近忙しいんですかぁ?」とか「城戸さんに次は指名お願いしますって伝えておいてくださぁい」とか。売上落ちてるキャバクラの様子見に行ったら「城戸ぴっぴによろしくですぅ」とか「武くん、元気にしていますか?」とか、とか、とか。なんだぴっぴって。ばかじゃないの。ていうか武くん呼びしてるあの子、城戸くんのこと絶対好きでしょ。ガチ恋勢じゃん。あぁ、なんか思い出したらムカついてきた。
自分で聞いといて勝手にショックを受けてるだけなんだけど。

「そいえば、ソープの子が城戸さん来るの待ってますって言ってたよ」
「どこの店?」
「え、覚えてない。神室町の、冴島組のシマのどっか」
「お前……そこはちゃんと覚えとけよ」
「自分のシマの女の子食い散らかしてんじゃないですよ、まったく」

信号はまだ変わる様子がない。あのキャバ嬢のことは、教えてやらない。売上も悪いし、あのキャバクラは解体してやる。忘れないうちにスマホのToDoリストに追加しようと右手をコートのポケットへそろりと動かすと、城戸くんが急に腕を引っ張ってきた。
背中に激突してしまったので、ごめんと言ったけど「掴まってろ」と一言返ってきただけだった。わたしは返事をせずに、点滅し始めた歩行者信号をぼんやりと見つめ続けた。ふいに腕を掴まれて、どきっとしてしまったのが、ちょっと悔しかったので。


「なんでお台場?」

てきとーに流して、と頼んだ運転手が連れてきたのはお台場海浜公園だった。飲み物を買うために自販機の前まで来た城戸くんの後ろ姿に問いかける。ちゃりちゃりと硬貨が自販機に吸い込まれていく音、ピッと短く鳴るボタン音。がこん、と缶が落ちてくる音が聞こえるだけで、城戸くんは私の問いには答えてくれない。

「デートの下見っすか」

ちゃりちゃり、ぴっ、がこん。同じ音が繰り返され、上半身を折って取り出し口に手を突っ込んだところで、ようやく後ろを振り向いてくれた。

「そんな相手いねぇよ」
「……そっすか」

缶を二つ持った城戸くんから、そのうちのひとつを手渡される。あれ。おかしいな。何飲む? とかそういうやりとりしてない。なのに、渡されたのはわたしの好みにばっちり合っている飲み物だった。

「これこれ! ここのメーカーのココアがいちばん美味しいんだよねぇ。ていうか城戸くん、わたしがこれ好きなのよく覚えてたね」
「あんだけアホみたいに毎回言われれば」
「なんかさっきから棘あるよ? どこのソープか覚えてないこと根に持ってるの?」
「……」
「…え、まじ? ちょっと待って、頑張って思い出すから。」

嬉しかった。自分が好きなココアの銘柄を城戸くんが覚えていてくれたことが、デートの相手がいないことが、本当はすごく嬉しかった。でも、それを前面に押し出すのはなんか違うと思って、結局ふざけてしまう。

「えびすやの裏か……あ、待って。冴島組のシマじゃなかったかも。バッセンの向かいのような気もする」
「……なぁ」
「おっぱい大きくてネイルが派手な、めっちゃキレイな子だったよ。心当たりない?」
「なぁって」

語気を強めた城戸くんに、肩が跳ねる。自販機の青白い光に照らされた彼の顔は、不機嫌そうだった。ココアの缶を両手で握りしめてから、なんてことない態度を装って「なぁに」と聞いた。

「いつ行くの、大阪」
「……2週間後、かな」

東城会が解散することが決まり、わたしは会長について行くことを選択した。というか、あの男共が2年も雲隠れしている間、わたしめっちゃ頑張ってたし。そのツケをまだ会長が払い終えていないのでついて行かざるをえない。マノロもルブタンもセルジオロッシもシューズボックスに収まりきらない程に買える金額の賞与が出ないと割に合わない。それくらい、この2年間はキツかった。あと1か月もすれば渡瀬さんが出所するから、東京で仕事をするのはあと10日くらい。
新たに立ち上げることになった警備会社の社員登用リストの中に、城戸くんの名前が無いことは知っていた。

「城戸くんは、これからどうするの?」
「俺はまぁ、こっちで適当にやってく」
「会長が城戸くん来ないの寂しがってたよ。冴島さんも、あと真島さんも」
「……お前は」
「うん?」
「名前は寂しくねーの、俺いなくて」

この男は本当に心臓に悪い。こうやって、どきっとさせることを時々言ってくる。付き合ってる時ならときめいていたけれど、今は変に勘違いをしそうで、都合よく解釈してしまうのが嫌で、出かかった言葉を飲み込んだ。
まわりは城戸くんのベタ惚れだと思っているけど、実際は違う。わたしが城戸くんに一目惚れして、ベタ惚れだった。だから冴島組へのおつかいは率先して行ってたし、城戸くんが本部に来る日が楽しみで仕方が無かった。真島さんが揶揄ってくるし、会長に色々聞かれるのが面倒だったので、最初は内緒で付き合ってたけど城戸くんが隠すの下手ですぐバレたんだよね、そういえば。
東城会を解散させるのなんて、何年も前から決まっていた。知っているのはごくわずかで、その中に会長秘書のわたしも含まれていて。それをずっと城戸くんに隠し通すのが、つらかった。だから会長たちを雲隠れさせる1年前、彼に別れを切り出した。それが、あぁ、ここだ。

「ていうかここだったね。城戸くん振ったの」
「ちげーよ。そーだけど……そうじゃねぇ」
「は? なに……いたッ!」

全然優しくない力加減で引っ叩かれた頭頂部をさする。いやいや合ってるよ。あの日もわたしここでココア飲んだもん。一歩下がって城戸くんを睨みつけても、彼は睨み返してくるだけだった。いったい何が違うというのだろう。さっぱり分からない。

「さっきの。俺いなくてどーなの」
「そういうのは、」
「俺は寂しいけど。つーか今までも寂しかったんだけど」

城戸くんが大きく一歩進んで、距離を詰めてくる。彼のこういうちょっと強引なところが女の子たちにモテる要因なんだろうなぁと今考えなくていいことを考える。わたしもそういうところが好きだった。ただ、あくまでも過去形。なので今は彼の押しの強さはただの迷惑でしかない。
ぐっと縮まった距離にまた一歩退くと、更に踏み込んだ城戸くんに腕を掴まれた。

「逃げんな」

よく見ると、城戸くんの目が少しだけ泳いでいた。この癖は、彼が緊張している時に見たことがあるので、今のこの状況で彼が平常心でいないことが何故か嬉しくなり、同時にいい年した大人の男女の甘酸っぱい展開に恥ずかしさが込み上げてきた。
なんとなく、城戸くんが喜びそうな言葉を用意することはできる。ただ、彼と過ごした時間は短くはないのでわたしが適当なことを言えばすぐにバレてしまう。どうしようかな。今度はわたしの目が泳ぐ。

「寂しくはなる、けど……好きな人ができたら、城戸くんのことは忘れると思う」

揺れていた城戸くんの瞳がまっすぐにわたしを射抜く。ここまで馬鹿正直に言わなくてよかったかもしれないけど、嘘はつきたくなかった。あぁ、好きだったなぁ。この目も、肌も、髪も。できればずっと近くで永遠に触れていたかった。
あの頃より少し年をとったけど、城戸くんのかっこよさは変わらない。結婚したらいい夫になりそうだし、いいパパになっていそう。当たり前のようにその隣には自分がいると思っていたけど、それはもう何年も前から叶いそうにない。そのことが、今はほんの少しだけ寂しかった。
城戸くんも好きな子ができたら、わたしのことは忘れてしまうだろう。というか、今いるのかもしれないけど。それでも、わたしと会えなくて寂しいと思ってくれていたのなら。それを知ることができた今日、やっぱり城戸くんに会っておいてよかった。


「急にバイク乗せろとか言うから、結婚の報告でもされんのかと思った」
「あはは。ないない。そんな予定も相手もございません」
「あっそ」
「もうちょっと興味持ってよ」
「へーへー」

その後も、本部の片づけが終わらなくてやばい話や、コンビニに売っているバターサンドが美味しくて最近は毎日食べているなど、わたしのどうでもいい話に城戸くんはへぇ、とかあっそ、とか塩対応を繰り返すだけだった。あの頃のやさしさどこにいった? そんなしょっぱい態度の城戸くんの背中にくっついて帰るのはこれが最後だから、これくらいはいいだろう。背中にとけない魔法をかけてやる。

「お前背中になんか文字書いた?」
「書いてないよ」
「ふーん。まぁいいけど」



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