にがいのあまいの、とんでいけ

「それってさ、芸能人でいうと誰に似てんの?」
「りりこに似てた」
「まじかよ!そりゃ勝ち目ねぇわ」
「りりこって誰だ」
「桐生くんはちょっと黙ってて」

あと、錦山くんはもうちょっと私に気をつかってほしい。


昨日の夜。バイトを終えて向かった彼氏の家にいたのは社会人3年目、大手企業の営業課でバリバリ働く爽やかイケメンサラリーマンではなく、自分と歳の変わらない綺麗な女の子だった。眉毛の上で切り揃えられた前髪、細くて長い腕と脚、華奢な肩幅。メイクの仕方もあると思うけれど、彼のベッドで寝転びながら漫画を読んでいる彼女は今人気のファッションモデル、りりこによく似ていた。

「ジュウザ、もうすぐ殺されますよ」

本命と浮気相手の鉢合わせだというのに動じない彼女の様子に、自分の方が浮気相手だったと気付かされ、どうしても一矢報いたかった私は彼女の手の中にある単行本の巻数を確認すると、それだけ告げて部屋を出た。

「お前ばかじゃねぇの」
「でも、結構ダメージは与えられたはず」
「まぁそうかもしんねぇけど……おい、桐生。どうかしたのか?」
「…まだそこまで読んでない」
「え、うそ。ごめんなさい」

思わぬ所でネタバレしてしまい、桐生くんには申し訳ないことをしたのでチャーシューを一皿おまけしてあげたけど、彼はまだ不満そうにしていた。
錦山くんと桐生くんは、私がバイトをしている中華料理屋の常連さん。大学と自宅の中間地点にある神室町の、よりにもよってこんな薄汚れた中華料理屋をバイト先に選んだ理由は色々あるけど、一番の理由は時給の良さと、朝まで営業しているのでたっぷり稼げるところだ。治安が悪く、危ない街として有名な神室町だけど、私はこの店でバイトをしていて今のところ危ない目にあったことは一度もない。店長は寡黙な人であまり自分のことを語ることはないけれど「下っ端のやくざなんかより全然強い」と二人がそう言っていたから、店長のおかげだと思うけど。一体、何者なんだろう。
錦山くんと桐生くんは、いつも週末の夜が終わって朝が始まる少し前の時間帯にやって来る。たらふく飲んで上機嫌の時や、きつい仕事の後なのか二人ともぐったりしている時もあった。錦山くんの方が意外と大食いで、ラーメンとチャーハンは必ず注文している気がする。私はいつしかバックヤードではなく、彼らの席で賄いを食べるようになっていた。

「名前はさ、顔だけは可愛いんだから。もうちょっと男見る目養えよ」
「いや、他にも可愛いところあるでしょうが」

ちょっと天然ボケな桐生くんにツッコミを入れながら、私のしょうもない恋バナもちゃんと聞いてくれる錦山くんは、ちょっとお兄ちゃんっぽい。そういえば、妹がいると桐生くんから聞いたことがある。昨晩の鉢合わせ事件のことを話せば、錦山くんは呆れたような、でも少しだけ楽しそうな顔で溜息をついてからお説教を始めた。

「ねー、桐生くんもそう思うよね?」
「ネタバレするやつは可愛くない」
「ごめんってば。チャーシューあげたじゃん許してよ」

よっぽど根に持っているらしい。さっきから目も合わせてくれない桐生くんはどっちかというと弟っぽいな、年上だけど。なんてことを考えながら賄いの唐揚げを咀嚼していると、突如鳴り出した電子音に二人同時にスーツのジャケットから携帯電話を出す動作がシンクロしすぎていて、吹き出しそうになった。その後の二人の動きは対照的で、桐生くんは項垂れ、錦山くんは私に「紹興酒」とだけ伝えると、再び蓮華を持ちチャーハンを掬い始めた。
“兄さん”とやらに呼ばれたという桐生くんを見送って、ボトルキープ棚の前に立つ。たぶん酔っぱらっている時に書いたのだろう。瓶にぶら下がっているボトルタグには、嘘みたいに下手くそなひらがなで『にしきりゅう』と書かれている。二人のうち、どちらが書いたのかは分からないけれど、見つけやすいのでまあいいか。
ボトルを手に取り、アイスペールとロックグラスと一緒にテーブルの上に置くと、錦山くんは「グラスもう一つ」と言う。桐生くんがすぐ戻ってくるのか、他の誰かが来るのか。あまり深く考えずに新たなロックグラスを用意すると、氷を2、3個入れて紹興酒をなみなみと注いだ状態で差し出された。

「いやいやいや、バイト中だから」
「じゃあ今日はもう上がれ」
「私飲みたいなんて言ってないよね?」
「たいしょー! こいつもう上がりでいいっすよね?」

厨房の奥を覗く錦山くんにつられて振り返る。スポーツ新聞から顔を上げた店長は、ゆっくりと一度だけ頷く。私が言うのもなんだけど、この店の経営状況と店長の勤務時間が謎すぎる。深夜のバイトは私以外にいないのに、そんな簡単に早上がりさせて大丈夫なのか? この人、今日はランチから出勤してた気がするんだけど。

「あっ、ちょっと!」

彼に背を向けていた隙に、エプロンの蝶々結びを解かれてしまった。テーブルに肘をつき、手に持ったグラスをゆらゆらと揺らしながら「早く飲みてーんだけど」と意地悪く笑う錦山くんは、さっきまでのお兄ちゃんらしさは鳴りを潜め、今は寂しがりやの子供みたいなのに妙に色っぽくて少しだけ混乱する。
エプロンを首から外し、簡単に畳んでさっきまで桐生くんが座っていた席に着くと、再びグラスを差し出されたので観念して受け取る。がちゃんと音を立ててぶつけられたグラスから紹興酒が溢れないように確りと持ち直すと、錦山くんに名前を呼ばれたので顔を上げた。

「俺さ、今日いいことあったから聞いてくれる?」
「うん。仕事?」
「んーん。ずっと狙ってた女が、やっとフリーになったんだよ」
「ソーデスカ」

さっき話した私の恋の酷い結末なんてすっかり忘れてしまっている様子の錦山くんに、少しだけ腹が立った。そーだよね。あなたみたいなイケメンでモテる人にはわたしの気持ちなんて分かんないよね。説教までしてくるし。
彼氏だと思っていた男は私のことをただの浮気相手にしか思っていなかったし、本命の女は完膚なきまでの美人で、せいぜい読んでいた漫画のネタバレをするくらいしかできなかった。そんな自分が惨めすぎて、嫌になる。

「そんな男ロクでもねぇから別れろっつってんのに、聞きもしねぇ女でさ」
「あー、いるよね。そういう女の人」
「案の定、ひでぇ振られ方したみてぇ」
「自業自得じゃん」

錦山くんは楽しそうだけれど、私は段々面倒くさくなってきたので、相槌も適当になっていく。だいたい、そんな話は桐生くんに聞いてもらった方がいいのでは? 私は今ものすごく卑屈になっているから、他人の幸せを素直に喜べないし。ノロケなんて完全シカトすると思う。

「な、なに」
「でもまぁ、これで遠慮しないで済む」
「は?」

あー始発までまだかなり時間ある…バイトも上がっちゃったし、ネットカフェでも行こうかな。好き勝手そんなことを考えていたので、急に顔を近づけてきた錦山くんに驚いた。
さっきから彼は何を言っているんだと思っていたけど、手の甲でするりと頬を撫でられ、漸く気付いた。なぜこんなことに。とにかく顔が熱い。急に恥ずかしくなってきてたし、逃げ出したい。ちらりと見た錦山くんは、私があまり見たことない優しい顔をしてこっちを見ていた。

「い…いつから」
「お前がバイトで入ってきた時からに決まってるだろ」
「そんな素振り、全然なかったじゃん」
「いきなりグイグイこられたら嫌だろ?」
「まぁ、そうだけど…」
「それに、大将からのお許しも漸く出たし」
「なにそれ」
「名前のこと好きなんで、デート誘ってもいいですか。って」

さっきまで私の陳腐な恋愛を笑って説教していた気のいいお兄ちゃんはどこにいったんだろう。

「お前、酔っぱらうの早くね?」

顔赤すぎ、と笑う錦山くんは桐生くんが食べきれなかったチャーシューの残りを箸で掴むと、ぱくりと頬張る。赤い理由は色々あるけど、絶対に教えるもんかとわたしもチャーシューに箸を伸ばす。
失恋したばかりなのに、コロッと傾きそうになる気持ちを引き締めるように口にした紹興酒は、甘いのか辛いのか、苦いのかよく分からない味だった。


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