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「峯さんのいいところって、お金たくさん持ってる以外に何かありましたっけ」

つまらなさそうに脚付きのグラスを揺らした後、彼は鼻先を近付け立ち昇るウイスキーの香りを堪能する仕草を見せた。ウイスキーに同量の天然水を注ぎ、常温で飲むそれはトワイスアップという飲み方らしい。彼ではなく、ここの店員が教えてくれた。

「お前の長所は容姿の良さくらいしかなさそうだな」

私と同じように、人に失礼なことを面と向かって言えてしまうこの人は、峯義孝さん。最近よく会っているけれど、恋人同士とか、そんな甘ったるい関係ではなく、もっと曖昧であやふやな位置付けにあると思う。

「今度、お見合いするそうじゃないですか」

彼の薄い唇がグラスの縁にくっついて、きっかり4秒。こくりと小さく喉が動き、唇は離れ、少しだけ中身の減ったグラスがコースターの上に戻っていく。いつ見ても機械的で面白味のない飲み方に合わせるように、ここで私が飲むお酒は一種類だけになった。こだわりがあるわけじゃない。ギムレットでもマティーニでも、何でもよかった。どうせ彼は気にも留めていないだろうし。

「なに、自分だけ幸せになろうとしてるんですか」

小馬鹿にしたような笑い方をすれば「頼まれたから会うだけだ」と予想通りの言葉が返ってきた。相変わらず、つまらなさそう。この人が笑ったりすることってあるんだろうか。少なくとも、私の前ではなさそうだ。

「俺が幸せになったら、何か不都合なことでもあるのか」
「許さないだけですよ。あなただけ幸せなんて」

ていうか峯さんから『幸せ』なんて言葉を聞くと、ぞっとしますね。そう口に出せば、バーカウンターの下で彼の左足が私の右脚を蹴飛ばした。痛くはないけれど、ストッキングが汚れるからやめてほしい。とは言わずに、蹴り返した。
お互いわざとか、本当に忘れていたのか。終電の時間はもう20分も前に終わっていた。電話一本でお迎えが来るあなたと違って、私は自分でタクシーを探さなきゃいけないんですよ。あーあ、週末だからタクシー捕まえるの大変なんだよなぁ、なんて振りを一応しておく。
彼とこんな時間まで一緒にいて、すんなりと家に帰れたことなんて一度もない。明日がまだ平日で、仕事があってもお構いなし。今から行く場所は彼が週の半分くらいを過ごしているらしいホテル一択しかないし、やることは二つしかない。食事は終わったから、後はセックスと睡眠。以上。

そんなだから、彼の誘いに気分が乗らない日だってある。例えば、上司とクライアントに振り回され、後輩のミスの尻拭いをさせられて、複合機の紙詰まりを直したら手がインクで汚れた日とか。ランチは事務の女の子たちの愚痴に付き合い、午後の会議は2時間コースの二本立てだった日とか。まさにというか、今日がその日だ。
帰宅して、鞄を床に置くより先に冷蔵庫を開けた。迷わず手に取った缶ビールを左手に持ち、右手でプルタブを起こす。少し開けにくいし、最近タイピングがし辛かったのは伸びすぎたネイルの所為だと今の今まで気付かなかった。 サロンを予約しないと。最後に行ったのはいつだっけ。そういえば聞くのを忘れていたけど、後輩は今日のクライアントとの打ち合わせはうまくいったのだろうか。缶の縁に口を付け傾けていくと、あれもこれもと考えていた脳が黄金の海に飛び込んだようにほわんと軽くなり、余計な思考をはるか遠くの沖へと追いやってくれた。
半分程飲み終えたところで漸く肩にかかったままの鞄を床に置いてソファーにだらしなく座る。リモコンでテレビの電源を入れたけど、特に見たい番組があるわけじゃない。自炊をするのも、今からコンビニに行くのも面倒くさい。急に訪れた睡魔に身を委ねてしまおうか。メイクも落としてないし、着替えもしていないけれど瞼はどんどん降りていく。

なのに、そういう日に限って電話がかかってくる。
彼にも会社員時代があったのだから、疲労のピークが押し寄せる木曜日の夜の心地よい微睡を邪魔されたらどれだけ腹が立つかを知っているはずなのに。一度無視した着信は二度、三度続いた。

「なんですか」

痺れを切らして電話に出れば、沈黙が続いている。かけてきたのはそっちなのに無言というのが、今は無性に腹が立ってしょうがない。

「いや、今日は無理です……なんでって、そういう気分じゃないです」

勤め先も、自宅の場所も、今どこにいるかも知ってるはずなのに。明日には忘れるくせに、どうしてこの人はわざわざ「会いたい」なんて言うんだろう。依存されるのは面倒くさいし鬱陶しいから、欲望をぶつけられるだけの方がずっといい。最近まで、そう思っていたはずなのに。

もう一度、黄金の海に飛び込む必要がある。寝るのはやめて、二本目の缶ビールを取りに行くことにした。



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