5%

「ビールってさ……好きなんだけど、全然酔えない」
「アルコール5%しかないからだよ」
「んー…やっぱ、私と馬場さんには足りないかもね」

ローテーブルを挟んだ対面で寝転がる男にブランケットを掛けた彼女を目で追えば、その足でキッチンへと向かって行く。体質なのか遺伝なのか、自分は酒に強い方だった。おかげで酒席では面倒な介抱役に回ることが多いけれど、今日ほど感謝した日は無い。
ペース配分を誤れば、この男のように自分も潰されて醜態を晒すことになってしまう。冷蔵庫を開ける音と、べりべりと缶ビールの6缶パックの紙パッケージをミシン目に沿って破く音を聞きながら、そんなことを思った。

ハツが美味しいと彼女が気に入る一軒目の焼き鳥屋を出た後、既に呂律の回っていない酔っ払いを連れて二軒目に行くことは困難すぎた。置いて帰る訳にもいかないと、彼女の家で飲み直すのは今日が初めてじゃない。
今ではマンションまでの道順も、近所のカフェの人気メニューも覚えてしまったくらいだけれど、それでも「お邪魔します」の後に踏み出す一歩は、何となく毎回緊張するような気がする。

「また飲ませ過ぎちゃったかな」
「いや、城戸が勝手に自爆しただけ」
「じゃあ……いっか」

二つ買った6缶パックの缶ビールは早々に一つ目を消費したところで城戸の活動時間は終わりを迎え、規則正しい寝息が聞こえてきた。新たな缶を二つ持つ彼女がキッチンから戻ると一つを自分に手渡して、えへへと笑いながら斜め左の位置にゆっくりと座り、テーブルの上にあるポテトチップスへと手を伸ばしている。つい2週間ほど前までは痩せる、ダイエットする、と事あるごとに口にしていたのに。

「名前ちゃん、今日はよく飲むね」
「そう、かな?」

とぼけるような口ぶりで、テレビのリモコンを操作してチャンネルをいくつか変えていく様子は確かにいつもと変わらない。お互いにアルコールの作用で顔が赤くなったり、分かりやすく泥酔することも無いので今どれくらい思考がアルコールに支配されているのかは分からないけれど。その目は焼き鳥屋にいる時から、何かを吐き出したいと訴えているようだった。

「あんまりお酒飲める人まわりにいなくて。馬場さんには本当に感謝してます」
「俺の方もこっちに知り合いなんてほとんどいないから、いつも誘ってくれて感謝してます」

姿勢を正して小さくお辞儀をした彼女とは知り合って、もうすぐ2年経つ。茶化す時にしか使わなくなった敬語と空いた缶ビールの数に、何かあったのかなんて聞かなくても分かる。一つしかない。
話しやすい雰囲気を作ることや、相手がどんな言葉をかけてほしいのかを察知することは得意だった。けれど今、それを彼女に与えることができないのは意地悪じゃなく、醜い感情の成れの果てだ。
彼女の瞳が映す先にはいつもあの人がいて、あの人は別の人を見ていた。二人の交わらない視線に、妙な期待をしてしまう自分が嫌でしょうがなかった。

「だから、これからもずっと一緒にいて」

醜い感情に蓋をして閉じ込めれば、口から出たのはなんとも安っぽい言葉だった。言ったそばから恥ずかしくなる。「別に深い意味なんてないよ」と付け足しても帳消しにはならなかったし、もう遅い。彼女は不思議そうな顔で自分を見ているし、ほんのちょっとだけ微妙な空気が流れている。

「当たり前じゃん。急にどうしたの?」
「……ちょっと酔っぱらったかも」

誤魔化すように、テーブルに置いた缶ビールの表面を人差し指でゆっくりとひと撫でしてから持ち上げ左右に振ると、自分の強がりなんて何の意味も無いと言われているような、ぴちゃぴちゃと情けない音がした。

「うそ。5%じゃ酔えないって顔、してるのに」
「うん。5%はちょっと足りない」
「なんか、さっきもこの話した気がする」
「ねぇ、名前ちゃん」
「なあに」
「好きだったんでしょう、冴島さんのこと」

前触れもなく自分が突き付けた言葉によって不安そうに瞳を揺らす彼女の様子に、あぁ、やっぱり美しい人だなと今の状況に相応しくないことを思った。恋愛をすると女性は綺麗になるなんて言われているけれど、今の彼女は彼に恋をしていた時よりもずっと綺麗に見える。

先週、彼女は失恋をした。

彼女から彼へ想いを告げたことは一度もないまま、彼が別の人の手を取ったことにより、強制的に終わりを迎えてしまった。選ばれなかった悔しさや伝え損ねたという後悔を抱えながらも、その感情をひた隠しにしている彼女の姿はなんともいじらしいもので。憎ささえ感じるほどだった。

認めてほしい。
彼が好きだったと。
俺も、この感情に終わりが欲しい。
早く楽になりたい。

見ているのかいないのか、テレビに映る日本の城をドローンで空撮したこの時間帯特有の映像から目を離さない彼女はゆっくりと呟いた。独り言に思えるくらい、小さな声で。

「好きだったよ」

と、確かにそう言った。

明るくなっていくカーテンの向こう側と、始発電車の車輪が線路の繋ぎ目を踏んでいく音が聞こえたら帰宅の合図なのに。そんなことを聞いてしまったせいで、今日は帰るタイミングが見つからない。
きっと昨日の夜からずっと、この一言だけを彼女は誰かに言いたかったはずなのに。自分から聞いておいて今どんな言葉をかけるのが最善なのかさっぱり分からないし、空気は軽くならないどころか重さを増していく。本当に、俺は一体何がしたかったんだろう。
すぅ、すぅ、と聞こえる寝息に、打開策として城戸に起きてもらおうかと右膝を折り曲げ、蹴飛ばす準備をしていると彼女が口を開いた。

「朝ちゃんと起きれたらさ、モーニング行こうよ」
「フレンチトーストのとこ?」
「そう、あそこ。モーニングのね、デニッシュが美味しいの」

こんな時でも美しく笑う彼女は、やっぱり憎らしい。
結局自分は何も言えず。僅かな時間だけ見ることのできた彼女の切ない表情は、笑顔に上書き保存をされて消えてしまった。
城戸さん起きてくれるかなぁ? と投げかけられた質問に、先ほどの会話は無かったことにされているのだと感じ取れた。起こすの面倒くさいから二人で行こうと言えば「馬場さんは悪い男だね」と彼女は笑う。

「ねぇ名前ちゃん」
「なあに」
「すーき」
「5%で酔ってる人の言うことは信じません」
「5%くらい信じてくれてもいいじゃん」

違う。5%じゃ足りない。5%なんて酔っている振りしかできないし、気持ちなんて全然届かない。大きくなっていく俺の気持ちは、破裂する前にいつも彼女が針を刺して萎んでしまう。相手が冴島さんならしょうがないという、諦める理由が欲しかったはずなのに。一口分しか残っていない缶の中身を喉へ流し込むと、炭酸は抜けきっていてただの苦い水に変わっていた。

飲まなくてもいいのに。分かり切っていたことなのに。どうしてそうしたのかは分からない。



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