put you on

日傘を、探しておかないと。

もう半袖が必要な季節が迫ってきているのかと、降り注ぐ陽射しと高めの外気温に目を細めながら、自宅のクローゼットのどこにあるのか、もしかしたら去年から玄関に置きっぱなしかもしれない。そんなことを考えていたら曲がる角をひとつ間違えて、まだ数える程しか来たことのない街で迷子になりかけた。
周辺で一際目立つ高層マンションの47階の角部屋から出てこない彼はソファの住人となってしまい、今私の帰りを待っている。正しくは、私が手に持っているビニール袋の中身を待ってる。


「アイス食いたなってきた」

何となく、フットワークが軽く私生活も活動的なイメージがあったけれど、休日の彼は夕方までは家に引きこもる、私と同じ種類の人間だった。違うのは、ちゃんと朝早く起きて身なりも整えてから過ごすところ。私の「あと5分」は通用せず、今朝も彼と同じ時刻に起こされたので、昼過ぎの今はちょっと眠たい。

「いいですね」

珍しく出かける合図なのかと彼を見ても、ソファに座ったままデイゲームの野球中継を見ながら盗塁に失敗した選手に文句を言っているだけで、動き出す気配はない。要は"今ええとこ"なんだろう。

「チョコがいいです、私」
「気ぃつけて行ってこいよ」
「言い出した人が買いに行かないと」
「今ええとこなんやって」

ほら出た、今ええとこ。そうやって言って、先週も買いに行かされた。お互い一緒に買いに行くという選択肢が無く、どちらかに押し付けているのが笑えるけど、今日は私も折れたくない。5月の下旬なのに、今日の最高気温は30度を超えているらしいので。

「嫌ですよ。暑いもん、今」

テレビ画面がCMに切り替わると、ソファから腰を上げた渡瀬さんはダイニングテーブルの上にある財布からクレジットカードを1枚出して、私の前に差し出す。

「だから行きませんって」

そう答えても、ソファでだらける私の前にしゃがみ、見上げて目を合わせてくるだけだった。そういう不意打ちはどきどきするので、やめていただきたい。

「じゃんけんして決めよか」

年上男性の無邪気な笑顔や、自分の前だけで甘える仕草に女性は弱いらしい。うん、わかる気がする。 もれなく私もその一人で、じゃんけんに勝ったはずなのに、抱きついてきた彼にくすぐられ「何味がいいですか」と聞いてしまった。我ながらちょろい。ちょろすぎる。

コンビニのレジで会計の順番を待ちながら、彼に渡されたクレジットカードの裏側を見た。綺麗な字を書く人なんだなと、彼の直筆で書かれた渡瀬勝の文字の上を、1度だけ人差し指でなぞる。筆圧が強く、右肩上がりで、へんとつくりの間隔が多めに空いていて、右のはらいが少し長め。彼についての知識がまたひとつ増えたし眠気も吹き飛んだので、嫌々ながらも外へ出た意味はあったということにしておこう。


「見えん」

コンビニから戻り、何となく邪魔をしてやろうとソファの定位置に座る渡瀬さんからテレビ画面が見えない位置に立つと、左腕を引っ張られて膝の上に座らされた。大人しくしてろってことですか。そうですか。
右腕に引っかかったままのビニール袋からアイスクリームとプラスティックのスプーンを一緒に掴み、一組だけ取り出してからテレビ画面へと目線を移す。阪神は同点に追いついていた。
自分の家ではあまりお目にかかることの無い、幸せの臙脂色の蓋を開けて、ビニールを剥がす。お高いアイスはやっぱりまだ溶けていない。膝の上から落ちないようにローテーブルへと右腕を伸ばし、残りのアイスが入ったビニール袋を手首から抜いた。あとどれくらい待てばアイスは溶けてくれるのだろう。表面をスプーンの背でぺちぺちと叩きながら、同じように待たなければ相手をしてくれない渡瀬さんを見ても、視線は合わない。

「木曜のアレ、どうなったんや」

食べ頃はまだか、CMはまだかとテレビから聞こえる応援歌の鳴り物のリズムに合わせてぺちぺちしていた手を止め顔を上げると、声の調子は不機嫌だけど怒っているわけでは無さそうな表情の彼が、私の手元を見ていた。

「え?」
「メシ行く、言うとったやろ」
「あぁ、あれね……行きましたよ」

仕事の付き合いでしょうがなく、取引先の男性と食事に行くかもしれないと言った先週の私の話を興味無さそうに聞いていたくせに。わざわざ聞いてくるということは意外にも気にしていたのかと、ちょっといい気になった。

「全然楽しくなかったですけど」
「そら残念やったな」
「残念なんて顔、してないじゃないですか」

少しだけ溶けてきた縁を掬って、ひと口。やっぱりお高いアイスは美味しい。もうひと掬いして、今度はスプーンを彼の口元へ持っていくと、ぱくり。漸くこっちを見てくれた。

「自分の食え」
「こっちを食べ終わったら、食べます」

ぱくり。

私が蓋を開けたのはバニラアイスで、チョコはローテーブルの上にあるビニール袋の中だ。私がひと口食べて、彼にふた口あげるを繰り返している間も、阪神の選手はなかなかヒットを打てずにいる。

「なら半分もらう」
「チョコはわたしのです」
「そんなもん、通用すると思うなよ」

おかしな人だな。男の人と食事に行ったことは許してくれたのに、アイスの横取りは駄目だなんて。私だったら逆なのに。渡瀬さんが女の人と会っていたことを知ったら、同じような態度で許すことは出来ないと思う。 かと言ってアイスも譲らないので、私の方がかなりおかしくてタチが悪い気もする。
多めに掬って最後のひと口にしたアイスは、彼に取られた。元々私のアイスじゃないけど。タチが悪いついでに人差し指でとんとん、と彼の肩を叩き、合図。

「ちょーだい」

甘くてひんやりする彼の舌の上で溶けたバニラアイスはもう残っていないのに、シンプルで華やかさのある、高尚な味がした。テレビの向こう側の甲子園球場では歓声が沸き起こっているけど唇は離れていかない。私は今日二回目の、いい気になった。温度が元に戻るまでもう少しだけ堪能していたいと、蕩けていく脳でぼんやりと考える。なんて幸せな時間なんだろう。



「半分って言ったくせに」
「知らん男と会うからや」

阪神は今日も負けて、溶けかけのチョコレートアイスはお返しも仕返しも三倍返しの渡瀬さんが全部食べてしまった。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -