Dear Mr.Alfred

「これがやりたい」
「行儀悪いだろ」
「女子の憧れですよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんです」

もう女子って歳じゃねえと思うんだがなぁと呟いた彼にクッションを投げつけても、全く気にしていない様子で笑っている。自分だって、おじさんって言われると怒るくせに。

久しぶりに二人揃った休みの前日。仕事終わりに待ち合わせをして食事をした後、今夜はいつも行くバーに寄らず柏木さんの自宅で飲み直すことになった。彼が切り分けてくれたレーズンバターをひと欠片クラッカーに乗せて咀嚼していると、明日は何をしたいかという話題になり流し見していた映画にふと目が止まる。洋画でよくあるシーンだった。朝食をベッドで食べるという、あれ。
苺が入ったシャンパンや目玉焼きが乗っかっているトースト、スクーターで二人乗り、大雨の中でするキス。映画の中で見たそれを真似てみたいと思うのは誰だって一度はある。なのに年の離れた恋人は、随分と素っ気ない。ワインをひと口飲みながらテレビの画面の中に意識を戻しても、彼らが今なんの話をしているのか分からない。ソファを背もたれにして床に座っていた私は、ソファに座る柏木さんを見上げた。相変わらず、かっこいい。

「なんかこの映画、全然内容が入ってきませんね。別の見ます?」
「あぁ。適当に選んでくれ」

了承を得たのでリモコンを使って画面を切り替え、テレビボードからDVDを一枚取りデッキにセットする。サブスクではなく、気に入った映画はDVDを購入するところがなんとも彼らしい。

「長いぞ、それ」
「知ってますよ。何回もここで見てますから」

それぞれのグラスにワインを継ぎ足し今度はソファに座る彼の隣に腰をおろすと、グラスを持っていない方の手で柏木さんが私の頭を自分の方に引き寄せ、一瞬だけこめかみに唇を落とし、またすぐに姿勢と距離を正しテレビへと向き直った。柏木さんの、こういうところが好き。


「ジョンにしますか」

映画の途中でワインがなくなり、もう1本ボトルを開封しても飲みきれないためどうしようかと考えていた時、劇中に登場するものがこの家にあることに気付いた。

「お前がそう呼ぶには早すぎる」
「柏木さんならいいの?」
「俺だって早ぇよ」
「ジャッキーくらいなら許されるんじゃないですか」
「かもな」

立ち上がった彼はキッチンにジョンと親しく呼ぶには早すぎるという、ジャックダニエルを迎えに行ったに違いない。その後ろについて行き、ロックグラスとタンブラーを用意して氷を入れておく。彼はそれぞれのグラスに注ぐと、私の方のグラスにはソーダを入れて2回ステアした。
柏木さんは決まって、家で飲むウイスキーはジャックダニエル、飲み方はダブルのオンザロックだった。本当は好きなのだ、彼も。映画の真似事が。なのにそうとは認めない、妙なところで頑固な部分がある。私がにやにやしていると何かを察したのか、嫌そうな顔をして「早くソファに戻れ」と背中を押してくる。
あなたのその、不機嫌な表情も好きなので見せてくださいと振り返っても、優しいけど強い力がさらに加わっただけで、もうソファに到着してしまった。

何度も見ている映画なのに、私たちは会話をすることも視線を合わせることも無くテレビ画面を見つめている。自分もそうだけれど、柏木さんもそんなに口数が多い人ではない。例のあの食べ物とか、目の前に写っている映画俳優の事となると別人のように饒舌にはなるけれど。
少しずつアルコールも効いてきて、久しぶりに会ったんだからかまって欲しいという気持ちを抑制できず彼にもたれかかると、当たり前のような仕草で肩に腕をまわされ、さっきよりも距離が近くなる。

「いい匂いがするな」

首を少しだけ横に動かして目線を上げると、彼の視線はまだ画面に向けられたままだった。

「香水、付けてるんです。今日」

彼からの返事は無い。代わりに右手に持っていたグラスを奪われ、ローテーブルの上に静かに置いたついでのような動作で右腕を掴まれた。手首の内側に鼻先を当てて深く静かに息を吸い込んだ彼に見つめられ、どきどきする。さっきまで平然とした顔で映画を見ていた人とは思えない、随分色っぽい目付きだった。

「何の匂いだ?これ」
「当ててみてください、スレード中佐」

ソファの上で向かい合い、左手で柏木さんの両目を覆うと口の端を上げ、次は耳の裏に鼻先を寄せられたので擽ったくて身を捩る。

「ローズと……アンバーか。ちょっと甘すぎるな」
「ふふっ、そこで喋られるとくすぐったい」
「あと、さっき行った焼肉屋の匂いがする」
「それはちょっと、色気無さすぎ」

最後に髪の毛を一束掬い口付けた柏木さんは「美味そうだな」と私の肩を掴み、ゆっくりとソファに押し倒していく。映画はこれから素敵なシーンが始まるのに。こんなことをしていていいのだろうか。

「柏木さん、酔ってるでしょ」
「さぁな。ジョンに聞いてみてくれ」
「さっき呼ぶのは早いって言った」
「もういいから少し黙れ」

塞がれた唇から香る、風邪薬のシロップみたいな苦味とほんのちょっとの甘さは、彼を表しているようだ。初めてこの家に来た日、同じように出されたダブルのオンザロックに私が顔を顰めると、まだ早かったかと笑った彼の柔らかな笑顔を思い出す。心を刺され、憧れが愛に変わって弾けた瞬間だった。
酔いまで移されそうなキスの後、彼はローテーブルへと手を伸ばし、シーリングライトのリモコンで部屋の照明を落とす。

「テレビは」
「届かねぇんだよ」

リモコンが、と言い切る前に下唇に噛み付いてきた柏木さんが酔っ払うのは、年に何度もあることでは無い。
服の隙間から入り込んできた手は少々乱暴に下着をずらし、いつもみたいな優しさはほんの少しだけ。
画面の向こうの彼もおいしそうに飲んでいるジャックダニエルを、ソーダ無しで飲める日は来るのだろうか。
また私が顔を顰めてあの日のように柏木さんが笑ってくれるなら、もう一度飲んでみてもいいかもしれない。でも、私はまだ彼に子どもだと思われていたいし、こうやって甘やかされたいから、ジョンと呼ぶのは当分先で大丈夫です。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -