ずるいね

桐生さんが久しぶりに東京に来ていた。今夜はあまり長い時間残業できないので、ランチの時間も設けず15時に外回りは終わらせて、今はオフィスで週明け月曜日の営業会議の資料作りに取り掛かっている。
デスクの引き出しに入れていたチョコレートを齧りながら、売上共有ファイルを開く。指定されたセルに数値を入力しながら、今回の会議は全員部長にボコボコにされることが予想されるので今から憂鬱になってしまう。
地獄のような会議室から出ると、開放感と脱力感からため息混じりの欠伸が出る。今週は本当に忙しかったように思う。昨晩は課長に深夜1時まで連れ回されて、今朝は寝不足と若干の二日酔いによる頭痛を引きずったままの出勤だった。
社会人になると理不尽な事にどう立ち向かうかでは無く、落とし所を決めて自分の心の負担にならない解決法を見つけることの方が大事だと学んだ。このイライラは今夜のお酒と、日焼けをして島の男らしくなったあの人と、相変わらず青白く不健康そうな毎日を過ごしている彼にぶつけてみよう。

と、考えたのがいけなかった。
結局合流できたのは20時過ぎで、約束の時間に遅れてしまったことへの申し訳なさと仕事へのイラつきが限界突破した私は、空きっ腹にアルコールを流し込み続け二時間もすれば立派な酔っ払いになっていた。

「飲みすぎました!」
「そうだろうな。見れば分かる。あと冴島の掌に枝豆出すのはもうやめろ」

22時頃に合流した冴島さんは既に出来上がっている私の奇行に文句も言わず、殻から出した枝豆が10粒くらいたまると錠剤の薬を飲むみたいに口に入れてくれる。それがなぜか酔っ払いの私には面白くて、かれこれ三度同じことを繰り返していた。桐生さんは冷静にツッコミを入れ「お前、飲むと面白いな」ともう一杯注ごうとしたその時、視界を派手派手しいジャケットの袖が横切っていく。

「そのへんにしといたってや」

珍しく今日は大人しかった真島さんが、傾けられたワインのボトルを押し戻す。急に静まり返ったようなおかしな空気になる寸前で、隣からやっと解放されるといったニュアンスの冴島さんの独り言が聞こえてきた。正直、今何が起こっているのか酔っ払いの私には分からない。真島さんと桐生さんが無言で見つめ合っているけど、枝豆とお酒を取り上げられてしまいやることが無い私は急にぐらぐらし始める頭を支える何かが欲しくてしょうがない。

「そんな全力で拒否しなくても」
「お前が甘えるんは俺とちゃう」

もう限界だから冴島さんにもたれかかろう。そう思い身体を預けたら、片手で肩をゆっくりと押し返されてしまった。本当に、ガードが鉄のように硬い男である。そのまま鞄と一緒にぽいっ、と預けられた先にいたのは真島さんだった。いつもはおしゃべりのくせに、私の手を引いて新宿駅まで歩く彼は一言も言葉を発しない。
だからどんどん睡魔は加速していくし、瞼が重たくて持ち上げられない。

「歩くんやったら目ェ開け」
「無理です。瞼が2トンくらいあります、今」

ようやく喋ったと思ったら、本当にどうでもいい内容すぎる。おまけに片目ずつか両目かと聞かれたので、そんなこと聞いてどうするんだと思いながら、両目で2トンと答えた。こうして二人だけになるのは随分久しぶりなのに。それに気付いているのも嬉しいのも自分だけのようで、隣にいる彼に、今だけは少しいらついてしまう。

真島さんはいつだって神出鬼没で、突然現れ、ふらっとどこかへ行ってしまう人だった。予定を立てて、どこへ行くかを決めて出かけたことなんて一度もない。いつも振り回されて、放ったらかしにされているのに桐生さんが来ると分かれば待ち合わせ場所に時間ぴったりに現れる。それに…さっきみたいにわたしと桐生さんの間に割り込んだり、帰り道に手を繋いできたり。本当にもう、訳が分からない。

「真島さんのばか」

大した会話もないまま、駅までの10分間はまもなく終わろうとしている。

「名前チャンに言われたないなァ」

真島さんの手は、離れていく。

「ワシがおらんところで桐生チャンと酒飲んだらアカンで」
「なんで」
「アイツ、今晩名前チャン抱いたろー思っとったで」
「ないない。ありえないよ、そんなの」
「分かんねん」
「何が」
「ワシも名前チャンのこと狙っとるからや」
「は?」

ぐい、と腰を引き寄せられ、随分近くに真島さんがいる。

「今、頭ん中いっぱいやろ。ワシの事で」
「今だけじゃ、ないんですけど」

私の言葉に満足そうに目を細めると、彼は行ってしまった。何だったんだ、今のは。全然分からない。私の精一杯の強がりにも頑張りにも、ちっとも動揺してくれない彼は一度も振り返ることなく、雑踏に紛れその姿を消してしまった。

無事に乗車してから7分後。電車の中で見た真島さんからのメッセージはとても短くて『次は水曜日な』とだけ書かれていた。次も何も、約束して会うなんていうのは今まで無かったんだから初めてじゃないのか。だいたい、来週なのか再来週なのか水曜日だけでは何も分からない。


真島さんのばか。


真島さんのばか。


大事なことだから、頭の中で2回呟く。




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