最終電車

「それじゃ間に合わないって」
「たぶん大丈夫だと思います」

あと10分しかないのに随分のんびり歩く彼女に急かすような言葉をかけても、歩くスピードが変わることは無かった。

こっからだとあと5分で改札前まで行かねーと……

少しでも余裕をもって駅構内を歩けるように、階段を登れるようにと思っているのに、毎回俺らは小走りにほぼ近い早歩きで新宿駅へ向かっている。時間を気にしなければならないのは彼女の方なのに。行くよ、と声をかけなければ席を立つことがない。
もしかして帰りたくないのかと考えたことはあるけれど、それは有り得ないことで。その証拠に、彼女は毎回きちんと終電に飛び乗っている。

一度くらい、乗り遅れてくんねーかな。

そうしたら……そうしたらどうするつもりだったんだ? 酔わせた挙句、家へ帰る手段を絶って……いや、駄目だ。軽い男だと思われぬよう、隣を歩く時も横に倒したペットボトル1本分くらいの距離感を保ってきたし、最終電車の20分前になると会計を済ませてそろそろ帰る時間だと伝えているし、彼女が改札の向こう側で見えなくなるまでその背中を見送っていた。この二ヶ月頑張ってきたそれらが、全て無駄になる。それだけは、何が何でも避けたい。

「名前ちゃん、ちょっと走るよ」

理由は分からないが、今夜の彼女はいつもより二杯も多く酒を飲んでいた。そのせいか、潤んだ目はとろんとしているし舌っ足らずに喋るもんだから。いつもの可愛さに拍車がかかっているだけだったし、こっちとしては食事の間ずっと気が気じゃなかった。酔っているからか、今の彼女はちっとも急いではくれないし。こうなっては仕方がないと自分に言い聞かせ、彼女の背中をぽんぽんと二回触れて足を速めるよう促した。

「走れないです、今日は」
「いや、間に合うかもしれねーから頑張ろう」

最終手段で、手を引っ張っていくか。いつ行動に移すかを考えていると漸く歩みを速めた彼女は、驚いて立ち止まった俺を置いて行ってしまう。

「乗り遅れても、良かったのに」

本当は走る余力があったのに、何故彼女はそうしなかったのか。そして、自分の聞き間違いで無い限り。いや、聞き間違えてなどいない。彼女は確かに言った。電車に乗れなくてもいいと。慌てて彼女に追いついても、名前ちゃんは前を向いたままピンヒールをリズム良くかつかつ鳴らしスピードを緩めてくれることは無かった。

「どーすんの。本気で乗りたいなら担いで行くけど」
「いいです、もう」
「何で怒ってんの」
「何でもないです、ほんと」
「んなわけねえだろ。名前ちゃん、ちょっと」
「だって、ずっと匂わせてたのに。城戸さん気付かないんだもん」

『明日休みなんです』

『城戸さんは、この後何か予定あるんですか』

機嫌悪そうに投げかけられた言葉に今日までの会話を思い出すと、また俺の足は止まり彼女は更にスピードを上げていく。名前ちゃん、ちゃんとサイン出してた。帰りたくないって。まじかよ、俺……
喉の奥から出かかった言葉を一度しまい込んで、もう一度追い付き左手を握ると彼女はそこで漸く止まってくれた。

「ごめん、俺。全然気付かなくて」
「いいです、帰ります」
「間に合わねぇって……あー、うん。もういいよな、言っても」
「え?」

引っ込めていた言葉をやっと吐き出せる。随分と長いこと、この時を待っていたような気がする。もういい。この二ヶ月、俺はよく頑張った。誰も褒めてはくれないから、自分で褒めとく。たとえ彼女に嫌われたとしても、言わないまま苦しんでおかしな事になる前にさらけ出した方がいい。

「今日は帰したくない、名前ちゃんのこと」

ほらまた。そうやって可愛い顔するから。

我慢できなくなるから、本当にやめてほしい。


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