それはそれということで

「お前さんマヨネーズかけたら美味そうだよな」

あぁ。また変なことを言っているな。助手席のシートにだらりと座り、今日は少し顔色の悪い彼はいつもこうだ。
私の頬を軽く突いてくる彼の人差し指を片手で払い、ナビの指示に従い左にウインカーを出す。いつもと違い、今日は道を間違えたり遅刻したりはできない。これからとても大切な用事がある。

「ほっぺとかまんまるで…ほら、前に中華食べた時に出てきた白くてふかふかのやつ。なんつったっけ、あれに似てる」
「…肉まん?」
「そう、それだ」
「肉まんにマヨネーズかけるの? キモ」

こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけど、肉まんには太古の昔から醤油とカラシという決まりがあると思っている私は、マヨネーズとの組み合わせなんて許せない。食への冒涜だ。

「違うって。マヨネーズはお前さん」
「そうだった」

ジャイロくんはジェノベーゼソースかなあ、と適当に返事をしながら赤信号を確認し、ゆっくりとブレーキペダルを踏む。ナビに表示された到着予定時刻を見ると約束の時間より二十分も早い。今朝、二日酔いで苦しむ彼を叩き起こした甲斐があったと安堵した。
そこで漸く頬が肉まんみたいだと言われたことに気付き、今更だけど腹が立ったので頬を抓ってやるとヘンテコな悲鳴を上げている。ちょっと面白いのでもう少し楽しみたかったけど、信号が青に変わったので頬から指を離した。

「治った? 二日酔い」
「そんなんじゃ治んねー」
「じゃ、次の赤信号でもおみまいするわ」
「いや、いい。治ったからダイジョーブ」

親指と人差し指で摘まむ仕草を見せつけると大人しくなる彼に、思わず笑ってしまう。そんな私とは対照的に、頭痛と吐き気と格闘中のジャイロくんはまた呻き声を上げ始めた。到着までに、もう一杯コーヒーを飲んだ方が良いかもしれない。
時間には余裕がある。コーヒーショップに寄ることを提案すると、少しだけ元気になった声で「grazie」と返事があった。

ドライブスルーレーンを徐行しながら彼にエスプレッソでいいか確認すれば「ダブルで」と、いつもと同じ答えが返ってくるはずなのに、今日はない。メニューボードの前で停止するとスピーカー越しに店員の「ご注文をどうぞ」が聞こえてきたので彼の方を見た。寝てる。こいつ、寝てやがる。

「ジャイロくん! オーダーして!」

彼の分も一緒にオーダーしてあげてもよかったけれど、先程と同様に何となくムカついたので頬を思い切り抓って起こす。千切れる! とか何とか騒いでいたけれど、知るかそんなの。
今日は、これからジョニィのエンゲージメントパーティーに出席するのに。どうして前日の夜に飲み過ぎちゃうのかな。絶対に早く帰ってきてね、って言ったのに。水飲んでから寝なよ、って言ったのに。全然聞いてくれない。
へろへろした声でマイクに向かって「エスプレッソのダブルでェ」とオーダーを告げる彼は今、運転席側へ身を乗り出しているのでお互いの顔が随分近くにある。まだ少し酒くさい。イライラが再熱してきた。
スピーカーから聞こえる「お車前にお進みください」に返事をして、ブレーキペダルに乗せていた右足を浮かせてアクセルを踏む。さすがに怒らせたことに気付いたのだろうか。商品受け取り口へと車を進める無言の私をちらりと横目で見る彼は、さっきまでだらしなく座っていたのに今は姿勢を正してきちんとシートに収まっている。
店員から受け取った紙袋をそのまま彼に渡す。昨日からのイラつきをぶり返している私より、こんな時でもちゃんと笑顔でお礼の言葉を言えるジャイロくんの方が大人なのかもしれない。
自分のエスプレッソよりも先に、私が頼んだアイスコーヒーをドリンクホルダーにセットして、ストローも挿してくれている。二日酔いなのに。今週はずっと夜勤続きで疲れているはずなのに。
もやもやと考えを巡らせる私の隣で、彼はいつもと変わらずカーステレオから流れる音楽に合わせて人差し指でリズムを取り、歌っている。この曲は、なんだっけ。たぶん、ジャイロくんが好きなやつ。

「なぁ。愛の先にあるものは何だと思う」

また変なことを…と思ったけれど、声の調子から今の彼はきっと真面目な質問をしていることが分かる。少し、体調も良くなってきたのだろうか。何の脈絡もなく聞かれたそれに、私の怒りはすっかり鎮められてしまった。
愛の先にあるもの…先に、あるもの。そう繰り返し呟きながら真面目に考えてみる。途中、空気を読まないナビが『800メートル先、右折です』と音声案内で割り込んできたのを無視しながら、何も思い浮かばない私は言い出した人の意見が聞きたいと思い「ジャイロくんは何だと思うの」と尋ねることにした。

「食べたい」
「は?」
「かわいくて食べちゃいたい、とかよく聞くだろ」
「うん」
「美味そうなメシ見たら食べたい、って思うだろ」
「うん」
「赤ちゃんとか子犬とか、かわいいと思うだろ」
「うん」
「それぞれ脳の活性化する部分が似てるから、バグってかわいいモンに噛り付きたくなるんだよ」

ちゃんとした論文も出てるんだぜ、と彼は続けるけれど、私はあまり理解できていない。最上級の愛情表現は『愛してる』と伝えることだと思っていたし、更にその上にあるものが『食べたい』になるのも、なぜ脳がバグを起こすのかも。分かったことはとりあえず、ジャイロくんが私を食べる時はマヨネーズをかけるということだけだ。

「さっき俺のこと痛めつけて楽しんでただろ?」
「言い方に語弊ありすぎ」
「まあそれも、ひとつの愛情表現ってことだ」
「好きな子はいじめたくなる、ってこと?」
「かもな」

これではまるで、私だけ脳が男子小学生みたいじゃないか。また頬を抓りたくなった指で、ハンドルをぎゅっと握り直す。体調がすっかり良くなったのか、もうこの話題はおしまいなのか「ジョニィのスピーチ楽しみだな」と悪いことを考えているときによく見せるにやにやした笑顔でジャイロくんはそう言った。
全く。今日の主役であるジョニィも、どうして婚約披露の前日に親友と飲みに行ったりするんだろうか。どうせ、バチェラーパーティーでも羽目を外しすぎるくせに。
スピーチが始まる前にジョニィにも説教してやろうと思ったけれど、もしかしたら彼も今頃、婚約者に𠮟られているかもしれない。彼女も昨晩は泥酔して玄関で寝ようとしてるジョニィをリビングまで引きずって着替えさせたのだとしたら、仲良くなれそうだ。


「…今のとこ右折じゃねえの?」
「あ。やば」

私はこれからも何十回と、酔っぱらって帰ってきたジャイロくんを叱りながら着替えさせて、ベッドへ放り投げるんだろう。
もしかしたら、私の愛の先にあるものは“許すこと”なのかもしれないな。それをいつ、ジャイロくんに教えようか。今すぐ教えたら調子に乗りそうだから、もっとずっと先。一生涯、教えなくてもいいかもしれない。そんなことばかり考えていたので、ナビの音声案内を無視したことなんてすっかり忘れていた。
ルートを再検索したナビの案内を今度は聞き漏らさず、しっかりと頭に叩き込む。二つ先の信号で右折。二つ先。到着予定時刻がどんどん集合時間に近づいていくので少し焦ってしまう。遅刻は絶対にできない。

「マヨネーズとは別で、お前さんにかけたいモンがある」
「なに?」

投げやりに返事をした私の耳元に顔を寄せ、ぽそりと呟かれた彼の言葉に折れそうな勢いでウインカーを下ろしてしまった。ウインカーレバーは無事だけど私の中指は無事じゃない。普通に痛い。

「なんでそんなこと今言うの!バカなの
「あー…右折は次の信号だぜ。また間違えたな」
「ジャイロくんが変なこと言うからだよバカ!」

二回もバカって言うなよ、と笑うジャイロくんはカーオーディオから流れてきたマーヴィン・ゲイのAin't No Mountain High Enoughに合わせて機嫌良くリズムを取り歌っていた。彼のこういう姿を見ていると、怒りで尖っている自分の気持ちの角がほろりと取れて丸くなっていく気がする。
でもやっぱり道を二度も間違えたことへの怒りは消えないので、赤信号になると彼の頬に狙いを定めて親指と人差し指で思い切り摘まんでやった。



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