Primavera 3

「で、入ったのかよ」
「なにが」

リゾットのチンコに決まってんだろ。そう言ったこの男のことを好きだという女が一定数いる事実が、私には信じられない。
ベランダに置いてあるガーデンチェアに座っている私は、柵に寄り掛かりながら煙草を吸うプロシュートを軽蔑の意味をたっぷり込めた目で見上げた。彼はちっとも意に介する様子もなく、その整った形をした唇の隙間から紫煙をくゆらすだけだった。
今は深夜三時を過ぎた頃だろうか。ついさっきまで騒がしかったアジトのリビングは静まり返っており、床やソファには酔い潰れた彼らの姿がある。調子に乗ってグラッパなんか飲むからだ。
正気を保っていたのは私とプロシュートだけで、リーダーは三日前から不在にしている。今は確か、ターゲットを追いかけてブカレストまで行ってるんだっけ。彼から逃げられるわけないのに。馬鹿なターゲットだな。

ガーデンテーブルの上に置いてあるグラスを手に取り、一口飲む。ワインはもうすっかりぬるくなっていた。だけど、少し冷える今日の夜には丁度いい気もする。
立ち上がり、プロシュートの隣に立つ。見下ろした表の通りではカップルが喧嘩をしているようでうるさい。さっさと帰って仲直りのセックスでもすればいい。そうすればすべてが解決することを、処女の私でも知っている。
母と義理の父がそうだったし、ホルマジオがよく言ってた。ケンカした後のセックスはすげー燃える、って。馬鹿じゃないの。気が滅入ることばかりを思い出し、溜息をついた私を見てプロシュートは笑っていた。

「ホルマジオにも似たようなこと聞かれた」
「で? どうだったんだよ」
「同じこと聞いてるし…まだ入れてない」
「しゃぶったのか」
「手でしただけ……ていうか本当に下品なんだけど」
「お前相手に上品でいる必要なんてあるか?」
「…お上品なプロシュートとか鳥肌立ちそう」

柵の上に両肘をついていた私の頭を肘置き代わりにした彼は、そのまま頭頂部にぐっと押し付けてくる。痛いんですけど。
カップルのケンカはまだ続いているようで、女の方が泣き出した。週末の夜はアジトも表の通りも騒がしくて嫌になる。
そういえば今日、私とリーダーのことを茶化す奴は誰もいなかった。ホルマジオとプロシュート以外は、例のことを知らないのだろうか。だとしたら、誰にも喋らないでいてくれる彼のことは、ちょっとだけ見直してあげてもいい。

「あと五分したら向かいのジジイがキレて出てくるぜ」
「どうだろ。今日は三分かも」
「賭けるか」

私は頷き、通りを挟んだ向かいにあるマンションの一室を見る。あそこに住んでいる高齢の男は騒ぐ若者に容赦がない。プロシュートの腕時計を二人でのぞき込む。スタートは三時七分。さて、どうなるだろうか。
腕時計と表通りを交互に見る。泣きながら早口で捲し立てる女はバッグで男を何度も叩いていた。あそこまで感情をさらけ出せるのはみっともないと思う。だけど、少しだけ羨ましいとも思った。私にはあんなふうに誰かに夢中になったことなんてない。この先も、あるとは考えにくい……はず。



「ックソ」
「やった」

正反対の言葉がそれぞれの口から出た。あのジジイが出てきたのは三時十分で、賭けは私の勝ち。こういう時、イルーゾォだと負けを認めたくないから煙に巻いて逃げようとするけど、プロシュートは意外とそういうところはクソ真面目だ。「今度奢ればいいのか」と嫌そうに聞いてきたので、私は首を横に振った。

「キス、してみてほしい」

私の提案に、彼は盛大に顔を歪めている。薄暗いベランダでも、頬に『嫌だ』と書いてあるのが分かるくらいの歪み方だった。まあ、こうなることは想定内だ。だから賭けに勝つという有利な立場に立てた今、こうやって頼んでいる。

「どうしてだ」
「ちょっと確かめたいことがあるから」
「そういうのはリゾットに頼んどけ」
「賭けに勝ったのは私」

しばしの沈黙の後、彼は大きな溜息をついてから持っていた煙草の火を消した。それから雑なやり方で顎を掴まれて、一瞬だけ唇が触れ合う。

「違う。もっとちゃんとしたやつ」

さっきよりも随分凶悪な顔で睨まれたけれど、怖くも何ともない。変わらない私の表情に今度は舌打ちをした彼はガーデンテーブルに置いてあったグラスを手に取って、ワインを飲み干した。いつの間にかジジイが発狂する声も聞こえないし、騒々しいカップルもいなくなっていた。
静まり返ったアジトのベランダで、プロシュートを見上げる。綺麗で、整った顔だと思う。私にも普通の感性とかがあったら、こういう男を好きになっていたのだろうか。いや、ない。下品な男は嫌いだ。
お決まりのように目を閉じると、唇が重なった。さっきは気付かなかったけれど、距離が近い所為かいつもより彼の香水の匂いを濃く感じる。煙草の苦さと口内に残っていたワインの味が、浸食するように入り込んできた。
プロシュートもキスが上手いんだな。冷静にそう考えることができているので、例の任務も問題なさそうだ。
………いや、待て待て待て。別の問題が発生した。

「……どうしよう。何も感じない」
「てめぇ…」

ブチギレ寸前のプロシュートのことなどお構いなしに、私はもう一度「どうしよう」と呟いた。今ちょっとどころではないくらい焦っていて、彼の腕に縋るように両手でシャツの袖を掴む。だけどあっさりと振りほどかれ、どん、と身体を押されてガーデンチェアに座らされた。
ペッシが任務でミスった時だって、そんな怖い顔しないくせに。形容しがたい程の表情で私を見下ろすプロシュートはもしかしたら今、何か勘違いをしているかもしれない。

「違う違う。ちゃんとキス上手かったよ」
「処女が上から目線で言うんじゃあねえ」
「ねえ、そうじゃなくて…やばい、本当にどうしよう」
「うっとおしいな。何がだよ」

私がぽつりと「リーダーの時と違う」と言うと、彼の表情は少し崩れた。それから「もっと具体的に言え」と態度を軟化させ、新しい煙草に火を付けている。この煙草を吸い終わるまでは聞いてやる、そういうことだと思う。
何をどう伝えたらいいのか分からなかったけれど、私の頭の中は今、目の前のプロシュートではなくリーダーのことでいっぱいだった。

「なんかもっと、心臓が壊れそうになった」
「……で?」
「何も考えられなくなる…ねえ、これって変?」

ぴくり、と彼の左瞼が震え、それから笑い出すので私にはわけが分からなかった。とりあえず彼の笑いが収まるまで大人しくしていたけれど、プロシュートはぐしゃぐしゃと雑に私の頭を撫でるだけだ。
それから先日のホルマジオみたいにぼそぼそと独り言を呟いている。私が不信感を露わに見上げれば、ささっと適当に髪を整えられた。

「まあ頑張れよ。あいつのは五年越しだからな」
「何が?」

何度聞いてもプロシュートはそれ以上教えてくれることは無く、短くなった煙草を灰皿に押し付けるとリビングへと戻っていった。ぐぇ、と呻き声が聞こえてきたので、たぶん誰か踏まれたんだろう。声の感じだと、たぶんメローネかな。
乱された髪を手櫛で整えていると、プロシュートが再びベランダの前まで来た。ライターでも忘れたのだろうか。

「一つ教えといてやる。処女を抱きたがる男はな、総じてナニが小さい」
「どうしてそんなこと分かるの」
「処女は比べる対象を知らねえからな。ターゲットのも短ぇグリッシーニみてぇな「やめて。今度からグリッシーニ食べられなくなる」
「そんなタマかよ」
「うるさいおやすみ早く寝て」

ベランダからプロシュートを追い出し、少しだけ彼の気遣いに感謝した。内容は最低だったけど。
任務を遂行できなかったらどうしようという不安は、毎回付きまとう。始まってしまえばそんなことは考えないけれど、例の任務はターゲットに接近する日まで少し時間があるから、考える時間が多くなる。
ターゲットを殺せないというのは、本当に厄介だ。そんな任務、金輪際暗殺チームに回さないでほしい。
時刻は三時半を過ぎており、私もそろそろ眠たい。明日は、リーダーに会う日だ。



「五年越しって、何が?」

ランチタイムを過ぎ、騒がしさが落ち着き始めた店内で私は言ってすぐ、もう少し婉曲的な表現をすればよかったと反省した。
昨日までブカレストにいたお疲れ気味のリーダーに今聞くことではないだろうけど、なんでか、どうしてか、気になってつい口から出てしまった。彼の表情は特に何も変わった様子はないので、私が誰に何を言われたのかは大方予想がついているのだと思う。

「ホルマジオか?」
「ううん。プロシュート」
「そうか……お前、どうして俺が今回の件を引き受けたのか考えたことあるか」
「無いけど……えーっと、私が頼んだ、から? あとは……上司だから、とか?」
「違う」
「え、じゃあ何」

ここで彼が処女を抱きたかったから、なんて言ったら私は今後プロシュートの話は一切信用しない。

「あわよくば自分のものにしたい。そういう下心もあって引き受けていたとしたら、どう思う」


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