Primavera 2

とんとん、と肩を叩かれたような感触に意識が浮上する。ホテルのロビーで会った時のように、彼はスーツをしっかりと着こんでベッド脇に立っていた。彼がいつ寝ていつ起きたのか、昨晩の私は全く気付けないほど爆睡していたらしい。
ぱしぱしと瞬きをして彼を見上げる。ホテルの乾燥した室内のせいか、おはようと呟いた自分の声はいつもより掠れていた。

「悪い。仕事があるから先に出る」
「うん。ごめん、寝てて…」
「ゆっくりしていけ。チェックアウトは十時だ。そのまま出ていい」

私が頷くと、彼はドアの方へと歩いて行く。その背中をベッドの中から見送り、今の時刻を確認する。七時を少し過ぎたばかりだった。私の何倍も働く彼に今回のことを頼んでしまったのを、今更になって申し訳なく思う。
サイドチェストからペットボトルを取ろうと身を起こすと、昨晩までにはそこになかったルームサービスの朝食メニューが置いてある。それから、ベッド脇に落ちたままだった私の服はハンガーに掛けられ、クローゼットに収まっているのが見える。何もかも彼に任せっぱなしで、再度申し訳なく思った。

二度寝をする気分にはなれなくて、ベッドの中でしばらくごろごろしてからシャワーを浴びた。美味しそうなフレンチトーストに心惹かれたけれど、我慢してメイクを直す。
昨晩だけでは終わらなかった。ということは、次があるということでいいのだろうか。それは一体いつなんだろう。あまり考えないようにして、部屋から出た。


「うまくいったのか?」

任務はこれからだというのに、何の話だ? そう思った時間は僅かで、ホルマジオは昨晩のことを聞きたいのだとすぐに理解した。
現場へと車を走らせる彼は、気まずそうな視線を一度だけ助手席に座る私に寄越すと、再び前を向く。
何をどう伝えればいいのかを考えながら、飲んでいたアイスコーヒーのカップをドリンクホルダーへ戻す。そんな私の様子に「悪ぃ。答えたくないよな」と嫌味なく言うので、首を横に振った。

「最後までしてない。私の今日の仕事に支障が出るから、って」
「…先っちょだけ?」
「先っちょっていうか……指しか入って、ない」
「……」
「…え、何か言ってよ」

急に黙り込んだ彼を不審に思い、運転席の方を向く。ホルマジオはぽかん、とした顔で私を見ていたので「前見て!」と顎を掴んで強制的に正面を向かせる。
ハンドルを取り直した彼は「本気かよ…」と呟き、それから現場に到着するまで一言も喋らなかった。

数は多いけれど、今日の任務は比較的簡単な案件。昼間から堂々と廃倉庫で行われている麻薬の横流しに加担している組織の裏切り者と、現場に居合わせた人物全てを見せしめのために殺すだけ。

「かかっても二十分くらいかなあ」
「さっさと終わらせて飯行こーぜ」
「うん。お腹すいた」

これから人を殺すには似つかわしくない会話をしながら、廃倉庫の扉を開ける。この人数なら、二十分もかからない。
任務の後は肉が食べたくなるけど、最近アジトの近くにオープンした日本料理も気になる。ホルマジオは何がいいのかなあ。
今考えなくてもいいことを考えながら、この場から逃げようと方々に散らばる奴らの息の根を確実に止めていく。
そうでもしないと、昨日の夜のことを思い出してしまいそうになる。

全て片付け終わり、ホルマジオの姿を探す。
奥の方でターゲットである裏切り者がホルマジオによって顔面がぐちゃぐちゃになるほど殴られているのが見える。つい先程までうるさかった叫び声が止んだので、死んでくれたようだ。

「もう呼んでもいい?」
「おー、頼むわ」

ポケットから携帯電話を取り出し、着歴から清掃チームを選んで呼び出す。今日は一コールで出たから、多分すぐに来てくれる。この前は全身血だらけのまま、三十分も待たされた。
五分後に到着した清掃チームが現場確認しているのを待ちながら、煙草を吸うホルマジオとランチはどこに行くかを話す。二人ともやっぱり肉の気分で、日本料理は後日となった。
依頼通り、ターゲットの顔は原形をとどめないほど殴り潰してある。清掃チームによってずるずると倉庫内の中央に運ばれていくのをぼんやり見つめていると「お疲れ様でした」と一人の清掃員から声がかかった。

ランチの後、別の仕事があるホルマジオと別れ、任務遂行の報告をするためにアジトへ向かう。途中、買い出しに出ていたペッシに会った。
アジトにいたのはソルベとジェラートだけで、今から行く任務の準備をしているようだ。ダイニングテーブルの上には拷問器具が並べられており、二人でどれを持っていくのか話し合っている。
ペッシにリーダーの所在を尋ねると、買い出しに出る前はいた、とのことだった。入れ違いになってしまったのだろうか。
リビングのソファに腰を下ろし、メッセージを送ろうと携帯電話を服のポケットから出す。
誰かがリビングに入ってきた気配がしたけど、顔を上げて誰かを確認するようなことはせず、メッセージを打つ。どうせプロシュートがペッシに頼んだ煙草を取りに来ただけだろう。

「無事に終わったのか」

思っていたのと違う人物の声に顔を上げる。シャワーを使っていたのだろうか。私の前には、バスローブを羽織ったリーダーが立っていた。彼の格好に、思い出さないよう努めていた昨晩のことが脳内を埋めつくし、一瞬のうちに顔が熱くなる。
そんな私のことを気にする様子は全くなく、彼はキッチンへと向かい、冷蔵庫からビールを出していた。

「うん。ちゃんと予定通り」

ペッシが買ってきたタラーリを受け取ると、彼はリビングに戻ってくる。今まで彼がソファのどこに座ろうが特に気にしたことはなかったけど、昨日の今日で隣には座ってほしくないと思ってしまう。
ぎし、と自分の左側のソファ生地が軋み、沈んでいく。彼が隣に座ったのが分かり、無駄に緊張しているのはお前だけだと突き付けられたようだった。

「身体は」
「…何ともないよ」
「来週の木曜、時間あるか」
「急な仕事が入らなければ」
「分かった。また連絡する」

たったそれだけの会話をすると、ビールとタラーリが入った皿を持った彼は立ち上がり、リビングを出た。たぶん、いつも仕事をしている部屋に移動したんだと思う。ダイニングからはソルベとジェラートの揉めている声と、ペッシが戸棚や冷蔵庫を開けたり閉めたりする音が聞こえてくる。
いつもと何も変わらない、当たり前の風景。妙に鼓動が早い私だけが、いつもと違う。

何となくアジトに向かう足が遠のき、次の仕事まで時間があってもバールで過ごすことが増えた。別にリーダーと顔を合わせたくないとか、そういうわけじゃない。暗殺の任務に集中したかったのもあるし、酔っぱらったメローネに絡まれるのが嫌だったからだ。いつも酔っぱらってるわけじゃないけど。
そんな一週間を過ごしていた水曜日の夜、リーダーからメッセージが届いた。待ち合わせの時刻は十九時で、集合場所は書いてない。それから、追加で来たメッセージには『迎えに行く』と書いてある。
……迎えに行く?

翌日の木曜日、十九時の五分前。彼は本当に私を家まで迎えに来た。
それだけでも充分私を混乱させたけれど、着いた先がホテルではなく落ち着いた雰囲気のトラットリアで、ますます彼の考えが理解できない。
アンティパストがサーブされても沈黙している私に対し、彼は「今日は随分大人しいな」と悠長にアペリティーヴォに選んだランブルスコを飲んでいる。

「よく来るの? こういう店」
「そうでもない」

否定も肯定もしない返事に、ちょっとだけ彼の恋愛遍歴が垣間見えた気がした。チームの皆の恋愛事情なんて気にしたこともないし、興味もない。頼んでもないのにベラベラ喋るイルーゾォとか、ちょっとめんどくさいし。
なのに私は、なんで彼にこんなことを聞いてしまったんだろう。これなら、アジトでデリバリーしたピザを齧っている方が、ずっとずっとマシな気がする。
何気なく手を付けたアンティパストのうちの一つであるトマトのファルチアが予想以上に美味しくて、思わず彼の顔を見る。少し得意げで、何か分からないものに負けた気分になってちょっとムカつく。
いつもの自分でいられなくなりそうで、誤魔化すようにグラスに残っていたフリッツァンテを飲み干す。弱い炭酸は喉をこそばゆくさせるだけで、ちっとも役に立ってくれなかった。



「ぅ……ぁ」

彼は今日もバスローブの紐を緩めることなく、私を見下ろしている。既に解され、蕩けきった泥濘に彼の指が沈んでいく。頭であれこれ考えていても、やはり身体というのは正直で、快楽に忠実だ。
前回と同じ場所を擦られると、一気に心拍が加速していく。でも前みたいな、全身の神経が過敏になって血液も上り詰めるような感覚は訪れない。
やっぱり私は不感症のマグロで欠陥品なんだと思い始めた頃、今日は一度も触れられていなかった陰核を指が掠め、腰が震える。

「まだ慣れていないだけだ」
「、っ…ん」

そうやって、私の考えを見透かすのはやめてほしい。言い返すこともできず、浅く短い呼吸の合間にみっともない声を漏らしながらぎゅっとシーツを握る。
本当に、器用によく動く指だ。彼も仕事で女を抱くことがあるのだろうか。その時も、こんなに丁寧に触れたりするのだろうか。浮かんでは消えていく疑問を抱えたまま、腰に甘い刺激が走ると、あっという間に達した。なんと浅ましく、みっともないのだろう。

ワインもたくさん飲んで、ホテルに着くまではそこそこに気分も良かった。だけど、部屋に入るとすぐに言われた彼からの「先にバスルーム使え」という一言に、またしても本来の目的を忘れかけていた自分を恥じた。
迎えに来てくれたのも、ちょっとおしゃれなトラットリアに連れて行ってくれたのも、関係ない。どうせ、彼の気まぐれだ。そう思い込まないと、この夜をやり過ごすことができない。

「入れる指を増やす。痛かったらすぐ言え」
「ん。分かった」

一度引き抜かれた指が再び侵入してくる。さっきまでとは違う感覚に、言われた通り彼が指の数を増やしたのだと悟った。ぐじゅ、と淫猥な音を立てるので、羞恥から腰が引けてしまう。すぐに彼からは「集中しろ」と声がかかったけれど、無理だ。今日の自分は、彼に対して余計なことばかり考えてしまう。

「ぅ……ッいぁ、」

一定の場所をとんとん、と優しく叩くように彼の指が刺激を与えてくる。またあの訳が分からなくなる快楽が来るかもしれない。それに備えるようにとシーツへ伸ばした手は、彼の手が絡め捕ってしまった。まるで恋人みたいな繋ぎ方で、知らないうちに指の間に力が入る。
心臓に甘いシロップでもかけられたかのように、全身が蕩けていく。このまま甘さが全身に回ったら、どうなってしまうのだろう。
気持ちいい。逃れたい。もっと欲しい。もう終わってほしい。相反する感情が指の動きと共に、行ったり来たりを繰り返す。

「っあ、ん」
「……ここか」

ぐっと顔を近づけてきた彼に至近距離でそう言われ、自分でも中が締まったのが分かった。大きく零れた喘ぎと乱れ切った自分の僅かな反応の違いも見逃さない彼は、私よりも私の身体のことを知っているようだ。
止められない声を少しでも抑えようと、枕に顔を押し付けるようにして隠す。ふっ、と彼が笑ったような気がしたけれど、勘違いだろうか。

「んー! ぃ、あ…!」

勘違いなんかじゃなかった。キスする時みたいに顔を寄せた彼は耳の窪みに舌を差し込み、ぐるりと動かした。繋いでいた手を解き、彼の肩を押す。分かってたけど、びくともしない。

「ッそれ、やだぁ…!」
「どうして?」

息を吹き込むように囁く彼の声はとびきり甘くて、意地の悪さが込められている。どう頑張ったって勝てそうにない。彼の吐息と、厭らしく蜜壺をかき混ぜるような水音が耳の奥で響く。羞恥と快楽がごちゃ混ぜになって、身体中が満たされていくような心地良い熱に包まれる。

「っきもちい、からぁ」
「じゃあいいだろ」
「ッいぁ、あっ、〜〜〜!」

喘ぎ声を部屋中にまき散らし、だらしなく乱れる自分を彼はどう思っているのだろう。そんなことを考える暇もなく、あっけなく昇りつめてしまった。
膣内から指が引き抜かれ、耳穴に差し込まれていた舌が去った今も、快感が収まらない。少しだけ怖くなって、彼の首の後ろに腕をまわす。時間にすると多分一秒にも満たない間だけ見つめ合ってから、彼を引き寄せる。
自分からキスをしたのは、初めてかもしれない。私の舌の拙い動きに、彼は合わせてくれた。
余計な感情を持たずに優しく丁寧に抱いてくれそうだから、という理由で彼を選んだのに。今はその優しさの裏に隠された意味を知りたいと思っている。本当に私は、どうしようもなく駄目な女だ。

最後に額にキスを落とすと、彼はベッドを降りていく。前回と同じように冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して、私に手渡した。告げられてはいないけれど、きっとこれは今日の行為の終わりを意味している。
彼はこの後、私を寝かしつけてまたどこかへ行ってしまうのだろうか。何となく、今日はそれが嫌に感じて、ペットボトルを開封することなくサイドチェストに置く。そんな私を、彼は「どうした」という目をして見下ろしていた。

「…私も何かした方がいいのかなあと、思って」
「そんな風に思わなくていい。気にするな」
「でも、手とか口だったら、その…教えてもらう必要が、あるけど……」

黙り込んでしまった彼に、余計なことを言ってしまったと後悔した。そりゃあ、こんなド下手な女にしてもらうなら自分でした方がマシだろう。そもそも、私の痴態なんかに彼が反応するわけないか。
無かったことにしようと、言い訳を考えているとベッドが沈み、彼が隣に座ったのが分かった。それから、小さな溜息が聞こえてくる。呆れからなのか諦めからなのか、その内容までは分からないけど。

「……手だけ、貸してくれるか」

静かにそう呟いた彼に向かって頷き、そっと右手を差し出す。手首を掴まれ、誘導していく彼はもう片方の手でバスローブの紐を緩めた。
露わになった彼の下半身と、その中心にあるモノの大きさにぴしりと固まってしまう。くそ。こんな時にプロシュートの下品な言葉を思い出してしまうなんて。これが本当に、私の身体に入る日が来るのだろうか? 思わず不安になってしまうサイズだった。
意を決して、反り立つそこへと手を伸ばす。弱い力で根元と先端の間あたりを握ってみた。その先はどうしたらいいのか分からないので、彼を見上げて伺いを立ててみる。彼は被せるように自分の手で私の手を覆うと、ゆっくりと上下に動かし始めた。

「もう少し、強く握ってくれ」
「ん…こう?」

返事の代わりに聞こえたのは、少し熱を帯びた吐息だった。初めて触れた男性を象徴する部位は、思っていたよりもあたたかい。それから、人間の身体の一部とは思えない固さだ。
私が相手でもちゃんと反応してくれたというその事実に、ひどく安心した。まぁ、今彼が頭の中に思い浮かべているのは、私じゃない可能性もあるけど。
次第に手は先端の方へと移動していく。掌がぬるつき、時々ぬちゃ、と音を立てる。視線の置き場に困り彷徨わせていると、後頭部に回った彼の手で顔を上げさせられた。
一瞬だけ見えたのは悩まし気で、苦しそうに眉を寄せ、そこに色気が追加されていて。普段見るものとは異なる表情だった。
奪うように口付けられ、少し乱暴に舌が絡められる。私の手を覆う彼の手の力が強まり、動きは早まっていく。唇の隙間からは甘い吐息が漏れ、ぴくりと彼の下半身が震えた。
掌には粘度のある液体が付き、彼が達してくれた証拠であるそれは、掌には収まりきらずに手首の方へと伝い零れていく。
唇が離れると、彼は一度だけ大きく息を吐いてベッドを降りる。乱雑なやり方でティッシュを何枚か取ると、私の掌を拭った。そのてきぱきとした行動に、この人にハニートラップなんて絶対に通用しないんだろうな。なんて、どうでもいいことを思った。


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