full of wonders 2

思えば、子どもの時から承太郎は私の二歩も三歩も先に行く人だった。
お酒や煙草なんて未成年のうちから嗜んでいたし、ピアスを開けたのも、恋人ができたのも、いつも私より先。だけど、まさか結婚まで先を越されるとは。
私も、いつかは結婚するのだろうか。荘厳なチャペルで行われている挙式に参加している今も、いまいちピンと来ない“結婚”というものについて考えてみたけれど、答えは出なかった。
それも当たり前だろう。第一にまず、相手がいないのだから。

素敵なお式でした、と貞夫さん達への挨拶も済ませてから、披露宴会場の出口でゲストを見送る新郎新婦の元へと向かう。拙い英語で新婦へ感謝の気持ちと祝福を述べていると、承太郎が「思い出した」と呟いた。

「何が?」
「この後の二次会に…」
「承太郎〜〜!!!」

突然、私たち家族の後ろに並んでいた承太郎が通う大学の友人の一人がテンション高めにカットインしてきたので、少し驚く。
そしてそのまま流れるようにブライダルスタッフによって出口へと誘導され、承太郎が伝えたかったことが何か分からないまま会場を後にすることになった。
自宅へと戻る両親と別れ、私は友人と連絡を取り合いながら二次会の会場へと向かう。
こういうことにあまり頓着しなさそうな承太郎が二次会まで開催するなんて結構意外だと思ったのだが、数年は帰国しないと言っていたし、知人と友人を一度にまとめて会わせるならこの方が合理的か、と腑に落ちた。
モダンな雰囲気のダイニングバーで、天井が高く、少し薄暗い店内に少し遅れて新郎新婦が到着し、先ほどまでの結婚式とは違いカジュアルな空気が場を包む。
久しぶりに会う共通の知人との会話も弾み、お酒の進みがいつもより早くなる。ちょうどグラスが空になったので、ひと言断りを入れてからバーカウンターへと向かった。

そうして、自分がオーダーしたカクテルが出来上がるのを待っている時だった。


「ウォッカトニックをひとつ、お願いします」


誰かの笑い声も、グラスがかちりと触れ合う音も、BGMであるコンテンポラリージャズも、薄く遠のいていく。
凛としたその声だけが、私の耳に都合良く入り込んできた。顔を上げなくても分かる。見たことないスーツを身に纏っていても分かる。
バーカウンターの前に立つ私の隣に並んだのは、会いたくないような、会いたかった人だ。

「なんで……」
「承太郎から聞いてないのかい?」
「え?」
「二次会から参加するって、伝えてあったんだけど…」

………承太郎ォ!!!!!!
と、叫ぶことはできないので、黙ってカクテルができあがるのをひたすら待つしかない。 くそ…来るって分かってたら、もっとちゃんとメイク直しをしたし、リップも丁寧に塗り直したのに。
この短い時間で私の脳が弾き出したのは、しょうもない乙女心と、幼馴染への恨み言だけだった。

「君にはあまり歓迎されてないみたいだね」
「そん、なことは」
「空港から急いで来たのに。残念だな」

わざとらしく聞こえてしまうその言い方に、ようやく私は観念して顔を上げた。視界いっぱいに映る彼は、最後に見たあの日と変わらない、穏やかな笑顔を私に向けている。
艶のある赤毛も、耳元で揺れるピアスも、何も変わらずそこにある。だけど、あの頃より少しだけ精悍で、さらに良くなった体格と、それから香水の匂いは、彼を知らない人のように感じさせる要素だった。
目を合わせたけれど、言葉までは用意をしていない。自分の爪先やカウンターに並ぶリキュールボトルへと忙しなく視線を動かしながら、この沈黙が早く過ぎ去るよう祈る。
そんなことをしていてもあんまり、というか絶対に意味はない。すぐにそう気付いた私は、ゆっくりと口を動かす。

「元気に、してた?」
「それなりに。あなたは?」
「…まぁ、ぼちぼち」

それ以上続かない会話に、気まずくて逃げたくて仕方ない。そんな私を助けるように、カクテルグラスが二つ、バーカウンターに並べられた。
やっと解放される。そんな私の思いなどまるで無視するように、彼は手に持つグラスをこちらへと向けていた。
視界の端に、新郎新婦の姿が映る。今日は二人にとってとても大切な日だ。私の個人的な感情でぶち壊してはいけない。アルコールに支配され始めている私のちっぽけな脳みそでも、それくらいは分かる。
ゆっくりとグラスを近付け、ぎこちない笑顔を浮かべながら乾杯して飲んだカクテルは、殆ど味なんてしなかった。

「行こうか」
「えっ」

グラスを持っていない方の手が、そっと私の背中に添えられ、彼は歩き出す。さっきから、彼のペース乗せられたままだ。もう帰ろうと思っていたのに、あっという間に承太郎たちのところまで連れてこられてしまった。
私たちが一緒に現れたことに大した驚きも見せない様子の承太郎に「ちょっとこっち来て」と声をかけ、新婦と談笑する彼から距離を取った場所に連れてきた。

「なんで教えてくれなかったの」
「あいつに黙っとけって頼まれてたんでな」

だけど、さすがに当日まで黙っておくのは私に対して悪いと思ったのか、会った時に伝えようとしていたけど結婚式の準備やら論文の提出やらですっかり忘れてしまっていたらしい。それを今教えてくれたけど、過去形では全然意味がない。
こちらの様子を気にしている新婦に承太郎は流暢な英語で何かを言うと、彼女は私を見て柔らかく笑った。一体、何を伝えたのだろう。

「隣にいる昔の男と拗らせてる、って伝えただけだ」
「別に、拗らせてるわけじゃない…」

はぁ、と溜め息が出た。拗らせる…拗らせるって、なんだっけ。彼との再会を心の底から喜べないのは、全て自分がまいた種であることは分かっているけれど。
二人のもとへ向かう承太郎の背中を見つめながら歩き、つい昔の出来事を思い出してしまう。そんな自分が嫌になって、この場に相応しくない溜め息をもう一度だけ零した。


「お前好きだろ。ああいうの」

夕食を食べ終え、玄関で彼を見送った後。居間でたいして面白くもないバラエティー番組を惰性で観ていると、承太郎はそう呟いた。
飲んでいたお茶が気管に入り込んだせいで、げほげほと咽る私の動揺はあっさりと伝わってしまったのが、若干悔しい。
隠したって意味は無いので否定はしなかったけど、一応何のことか分からない様子を装って「なにが」と返す。
承太郎が言う“ああいうの”が何を指しているのか。テレビ画面の中でバカ笑いする芸人ではなく、彼のことだとすぐに気付いたけれど。それでも、あっさりと認めるのは何か違う気がして。
そんな私の心情までもお見通しだと言わんばかりの表情を崩さず、承太郎はこう続けた。

「協力してやらんこともない」

あ、これ絶対何か裏があるやつだ。瞬時にそんな考えが浮かぶ私は、芽生えた恋心に舞い上がる乙女にはまだまだ程遠いのだろう。
立ち上がり居間を出ていく承太郎を横目に、お茶を啜りながら今までの恋愛遍歴を振り返る。
幼馴染という分厚いフィルターがかかっているせいか、承太郎のことを恋愛的な意味で好きになったことはない。だけど、その存在は確実に私の恋愛面において、良くも悪くも影響を及ぼしていた。
人を見た目で判断するのは良くないことだというのは十分承知だけれど、これだけ身近に顔が良い男がいれば何となくそのハードルは上がる。
幼い頃から不良だったわけじゃないけど、負けず嫌いで意外と根に持つし。素行の悪さは筋金入りなのに、正義感は強い。
こんな調子だから、私の好みは承太郎みたいなタイプとは真逆…とまではいかないけれど、上品で、優しくて、顔が綺麗な男になってしまったというわけだ。
まぁそんな男が都合良く自分の前に現れることはない。という現実はしっかりと受け止めているし、期待もしていなかった。
なのに。今日。ついに、現れたのだ。彼は、花京院くんは、まさに私の理想とする人だった。
今まで好きになった男の子はもちろんいるし、片想いだったり、両想いになったことだってある。だけどその先に続く何かがあったことは、一度もない。
まぁ要するに…彼氏ができたことも、キスをしたことも、その先の経験だって私には無い。何にも無い。
圧倒的ブランド力を誇る“女子高生”はまもなく終わりを迎えるというのに、私はその価値を有効活用できぬままだ。
先月にバイト先の先輩からごはんに誘われた時、なんかチャラそう。という理由だけでやんわり断ってしまったけど、あの誘いを受けておけばよかったかなぁ…その部分だけを承太郎に相談したら「そんなもん言いくるめられてヤられるだけだ」と言っていたから、やっぱりごはん行かなくてよかったかな。
花京院くんは、今まで出会ってきた男の子たちとは何もかもが違う。たったの数時間で、私の唯一無二の存在になってしまった。
これはきっと、一目惚れというやつなんだろう。明らかに私の様子がおかしいから、承太郎にはぐバレてしまったけれど。とにかく、こんな気持ちになるのは初めてだった。

どさり。という音に顔を上げると、居間のテーブルに何冊ものテキストが置かれているのが目に入った。やっぱり何か裏があるらしい。

「…私、あんたと高校違うんですけど」
「さすがの俺も留年するのはまずいからな。頼んだぜ」

名前も書いていない、表紙に折り目すらついていない数冊のテキストは、承太郎がエジプトに行っていて受けられなかったテストの代わりらしい。
最悪だ。全教科ある。数学苦手なのに。だけどこいつがいないと私は彼に会うことはほぼ不可能に近いので、本当にやりたくないけど、嫌すぎるけど、黙って頷いた。
私が断っても、承太郎はきっと彼との間を取り持ってくれたと思う。だけど、留年がかかっているとなると笑えないし、私は優しい幼馴染なので、できることがあるなら手伝ってあげたかった。
詳しくは知らないけれど、エジプトに行っていた間に、色々あったみたいだし。その証拠に、帰ってきた承太郎は背中になんか幽霊みたいなものを背負っていた。頭のおかしい奴だと思われたくないので、聞くまでに時間はかかったけど。
あぁ、そうだ。彼との距離が縮まったのも、この幽霊みたいな存在がきっかけだった。幽波紋、って言うんだよね、確か。これも、彼に教えてもらったんだっけ。

先を歩く承太郎の背中の向こうには、彼のスタンドが見える。見えると言っても、どうやら私はしっかり見える時とそうでない時があるようで、今は姿かたちがぼやけていて色とか何となくのシルエットが分かる程度だ。
するり、と触手のようなエメラルドグリーンが一本、こちらに近づいてくる。いたずらに私の頬をひと撫でするので、思わず立ち止まってしまう。彼はというと、何食わぬ顔をして新婦との談笑を続けている。
そして、私と目が合うとぱちり、と片目を閉じてウインクを一つ。
そんな、悪い男がするような仕草、今まで一度だって見たことない。別れてから再会する今日までの空白の数年間で、こうした手練手管を身に付けたのだろうか。
だとしたら…あぁ、クソ。何年も前に別れた恋人の、知らない過去に嫉妬しそうだなんて。絶対に感づかれたくない。
平静を装い三人に合流し、暫し思い出話に花を咲かせ、アルコール度数がキツめのカクテルをもう二杯。

それから、何がどうなって、こうなったのだろう。私はホテルのベッドの淵に座り、彼がバスルームから出てくるのを待っていた。



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