▼ さくらんぼの秘め事
少々複雑な気持ちで家に帰る。自分がいかに世間に興味が無いのかよく分かった。あんなすごい人達だったなんて知らず…今までの自分のあの酷い態度を改めなければ…と反省していた。
家に着くとリビングは電気が付いていてテレビも付いているようだ。ひとつ深呼吸をしてドアを開ける。謝ろう、そして上手く和解できるように…。意を決して中に入ると誰もいなかった。
「ちょっと、見てないなら電源切ってよ…ん?」
テレビのリモコンを取ろうとしたら一枚のA4サイズの紙が置いてあった。走り書きで、とても綺麗な字とは言えず、箇条書きで書いてあるその内容を見て、私は絶句する。
1、お互いの部屋には入らない
1、洗濯物は各自でやること
1、人の物は勝手に使わない
1、プライベートには口を出さない
1、このことは絶対に世間にバレてはいけない
(以上の事をひとつでも破った方が家を出ること)
「なに、これ…」
「そのまんまだよ。ひとつでも破った方が家を出て行く。いいな?」
「あのね!元はと言えば私が先にこの家に…!」
「聞いたよ。この部屋、お前の親戚んとこから借りてんだろ?初期費用だけ払ってくれれば家賃はいらないって言われてるって。でも俺らは家賃は毎月払う事になってる」
「でっ、でも!光熱費とかは全部私が払ってんのよ?」
「家賃の金額と比べたら大した額じゃないだろ?守れないっていうなら出てってもいいんだぜ」
せっかく反省して、謝ろう。優しくしよう。ちゃんと話し合おうって考えてた私の時間を返して欲しい。やっぱりこいつだけは和解できそうにない!
「絶対に嫌よ。こんな良い条件でこんな広くて素敵な部屋に住めるんだもの。私は絶対に引かない!」
「俺らだって、やっとの事でファンを振り切ってこの部屋を見つけたんだ。こっちこそ譲れない」
むかつく、むかつく…!そっちの事情なんか知らないわよ!もうここまで来たら私が出て行ってやってもいいけど、なんだかそうも開き直れず、絶対こいつらを追い出してやるっていう気持ちになった。
「……分かったわよ。守ればいいんでしょ?守れば!!」
こんな簡単なルール、破るはずない。よく分からない闘争心を抱いてお風呂入ろうと脱衣所に向かう。あいつら専用のシャンプーやら色々置いてあってむかつく。
イライラしながらお風呂に入ったので疲れは全く取れない。このお気に入りのソファーだって、絶対に使わせてやんない!冷蔵庫からビールを出してテレビを見る。
「帰ってたんですね、お疲れ様」
「あぁ、えっと……」
「登坂です、登坂広臣。名前、聞いてもいいですか?」
「諸星かえでです」
「かえでさんね。本当すみません…隆二のこと」
「もういいですよ。あなたが謝ることじゃないですから」
登坂さんは普通に良い人だ。だから、私が持ってきたソファーに座って、さっそくルールを破っていても気にしない。これは私とあいつの戦いだから。
「あの、私も聞いてもいいですか?」
「なんですか?」
「あいつ、やっとの事でファンを振り切ってこの部屋を見つけたって言ってたんですけど…そんなに追っかけ回されてるんですか?」
「まぁ…う〜んと、そうなんですよね。とあるファンの方がずーっと僕たちを追っかけてきていて。すぐ家とかバレちゃうんですよ。困ったものですね」
どうやらプライベートにまで首を突っ込んでくる熱狂的なファンに悩まされているようで、ようやく巻いたらしい。国民的アーティストも大変らしく、お気の毒に…としか思えなかった。
「あんまり気を悪くしないでくださいね。きっと隆二の機嫌も、良くなるはずですから」
「だといいんですけどね」
これ以上面倒なことには巻き込まれたくない。でも少しだけ、はやく居場所がバレて出て行かないかなぁ…とも思うが、セキュリティーが万全なこのマンションだから当分は無理かも。
ビールを一気に飲み干して、私は部屋に戻った。
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