たまにね、息をするのを忘れるんだ。

アーティさんはいつもの無邪気な笑顔を浮かべておっしゃいました。たまあに苦しいなあって思ったら、息を吸うことも吐くこともしてないことがあるんだ、と。それだけならわたしが心配することなんかないんだけど、アーティさんがそうおっしゃったのがベッドの上で顔色はすこぶる悪く横たわっていたわけだから、そんな光景をみたら笑って終わらせることはいけないことくらいわたしにだってわかります。それにしても。息をするのを忘れるとはどうゆうことなんでしょう。息を止めれば苦しいのに、忘れるなんてあるわけない。だけど現にアーティさんはこうして倒れてしまったのです。いくら考えても思い浮かぶことはありません。アーティさんが顔色がわるくても、とても楽しそうに笑うから、わたしもとりあえず笑うことにしました。







「ねえ、聞いてしゃべり子ちゃん。僕、とてもきれいなクルマユを見たんだ」
「クルマユ、ですか?」
「きらきらでぽかぽかしてたんだあ」


しゃべり子ちゃんに見せたいんだけどね。うまくできなくて。アーティさんの周りには緑いろの海が広がっていました。アーティさんはいつも嬉しかった、悲しかった、驚いたなど、ご自分が感化されたものを絵の中に収め、努めて他者に伝えようとします。もちろん、わたしにも。いつかもすごいペンドラーを見たんだとおっしゃって今とおんなじように紫いろがいっぱいいっぱい広がっていました。そんなに気に入ったのなら捕まえてしまえばいいのでは、と聞けば、彼は捕まえてはいけないよ。きれいなものはね、ぜーんぶここに収めるんだ。ご自分の心臓部を指しながらそうおっしゃるのでした。きっとアーティさんのここはきれいなもので溢れているのでしょう。わたしのここもいつかきれいなものでいっぱいになればいい。その時はそう思ってアーティさんと笑い合いました。

そして今度はクルマユです。きらきらでぽかぽかな緑いろです。アーティさんの手によってどんどん表情を変えていく緑いろは、わたしにはどれも暖かく十分きらきらして見えるのに、アーティさんはどれも違うのだとおっしゃいます。それから数時間、緑いろと格闘しましたが納得できるものができないようで、静かに、本当に静かにポロポロと涙を流されました。わたしはぎょっとします。アーティさんが迷走することは多々あれど、涙を流すなんて初めてでした。


「あああアーティさん…!」
「しゃべり子ちゃん…」
「なっなかないでください」
「ごめんねしゃべり子ちゃん、ごめんね」


アーティさんは謝り続けます。だけどわたしにはアーティさんに謝られる理由なんてこれっぽっちもありません。あのクルマユはもっとぽかぽかしていたんだ、そしてきらきらしていたのに。ごめんね、ごめんね、と謝るのでした。アーティさんの涙が緑いろに落ちるたび、わたしの悲しいは大きく膨張していきます。違うんです、アーティさん。謝らないでください、アーティさん。


「アーティさん、今度は2人で森にいきましょう」
「うん」
「2人でもっともーっときれいなクルマユをみつけましょう」
「うん」
「そして、また描きましょう。わたしも、お邪魔になるかもしれませんが、出来るだけお手伝いします」
「うん」
「だから、アーティさん、笑ってください」


うん。
アーティさんはわたしを抱き締めました。わたしもアーティさんも緑いろになってしまったけれど、そんなことは一切気になりませんでした。アーティさんの顔をちらっと拝見すれば、いつものあの無邪気な笑顔で、さらに抱き寄せます。しゃべり子ちゃん、しゃべり子ちゃん。アーティさんがわたしの名前を呼びます。その声はわたしの大きくなってしまった悲しいを簡単に小さくしぼませる、すごい力がありました。そこでわたしが苦しいことに気がつきました。あ。わたし、いま、忘れて、


「しゃべり子ちゃん、大好き」




呼吸/101129

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