『斎藤』
俺を呼ぶ貴方の声には、教師としての大人な声色と僅かな信頼が匂う穏やかな表情。
それでさえ、自分の胸を熱くさせる。
もっと貴方に必要とされたくて。
もっと貴方の近い存在になりたくて。
貴方の『特別』になりたい。
「……ふぅ。よし、これでいいだろ。」
日も暮れかける夕方になる頃、漸く落書き処理の完了を告げる土方の声が、職員駐車場から上がった。
拭き掃除だけでは書き筋が残るからと、結局丸々洗車をするハメになった。
大体でいいと言う土方に対して、隅々まで律儀に手洗いを決めた斎藤の徹底ぶりには頭が上がらない。
「キズにならずに済んで何よりです。お疲れ様でした。」
ブレザーを脱いでシャツを腕まくりして作業にあたった斎藤が、袖を直しながら土方の車を見つめて、仕上がりに満足そうに微笑む。
土方も同様に肘まで捲り上げたシャツの袖を無造作に直した。
「あぁ、ありがとうよ。斎藤、ちょっと待ってろ。今、飲み物買ってきてやる。」
「い、いえ、お気遣いはお気持ちだけで結構です。俺は俺の意志で動いただけですから。」
煙草をくわえてこちらに笑い掛ける土方に恐縮するように、斎藤は何度か首を横に振る。
自分がしたくて志願しただけなのだから、土方の気遣いは逆に申し訳無く思ってしまう。
「俺がそうしてぇんだよ。手伝って貰って助かったから御礼をしてぇんだ。いいだろ?」
どこまでも控え目な斎藤に対して苦笑いを浮かべながら、土方はゆっくりと立ち上がる。
そこまで言って貰えて、それでも尚遠慮するのは失礼に当たる。
「ではお言葉に甘えさせていただきます。」
穏やかに微笑む斎藤を見て、土方も安心したように笑う。
「茶でいいよな?待ってろよ。」
緩めたネクタイを風に靡かせながら土方は自販機がある方角へと消えた。
その背中を見つめてから斎藤は土方の車に視線を向ける。
車内には生活感が無いというか、物を放置しがちな後部座席にも私物的な物も見当たらない。
強いて言うなら運転席の灰皿位だろうか。
不要な物を好まない土方らしいと、斎藤は優しく微笑んだ。
そしてふと、助手席に視線を映した時に斎藤の動きが止まる。
視線の先、助手席のシートに無造作に置いてあるのは斎藤も同じものを持っているからわかる、生徒の体育着。
それに私服らしいTシャツにジーパンが混ざっていた。
斎藤の胸がドクリと鳴る。
どう見ても男の物であり、どう見ても土方の物では無い。
そこに思いつく人物はたった一人。
この車に落書きをして土方に迷惑をかけた人物。
そして、土方との時間を作るきっかけを作ってくれた、自分には有り難い人物。
自分が知る中で唯一、土方に『特別』に扱われている生徒。
沖田総司しか、考えられなかった。
ーーまた、総司か……。
どんな事をしようとも、何をされようとも、土方の中で決して揺るがない沖田の存在。
どんな事をしようとも、何をしようとも、代わり映えしない土方の中での自分の存在。
いつも、負けている。
いつも、敵わない。
『バカ野郎』
そう口にしながら、沖田を決して見限ら無い貴方の心には何が宿っているのか。
『助かる』
そう口にしながら、自分への感情がずっと変わらない貴方の声を知っている。
そこに何か変化は見出だせ無いのだろうか。
何かが変わる瞬間は無いのだろうか。
そう思いながらいつも貴方を追い求めている。
自分には貰えない『特別』を。
得られる瞬間が、欲しい。
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