「ふるやくん、ひどい。」

転んで、泣き出した少女の傍らにいた少女が呟いた。

なんで?

意味は、未だに分からない。



物言わぬ



『       』

僕の口から滑り出た言葉に、マウンドの空気がしんっと冷たくなった。
夏が終わりじわじわと風に乗ってにじり寄る秋の匂いが、微かにした気がする。
土埃と、青々しい草の匂い。
僕等の間を駆け抜けたその風が全てを断ち切ってしまったのか、俯きがちにそのままスパイクを鳴らしながらマウンドを下りていった背番号20。
『あれ…あんなに小さかったっけ…?』
遠ざかる泥染みのついたユニフォームは初めてその背中を見た気がするくらい見慣れないもので、意識しなかった彼の弱さを少し垣間見る。
「思いの外小さい」以外なんの感情も、生まれなかった。
「降谷くん…。」
ベンチへ向かう背番号20から自然にマウンドに視線を戻すと、背後から消え入りそうな声が名前を呼ぶ。
多分この声は小湊で、今とてつもなく強張った表情をしているんだろう。
前髪で隠された目からなんともいえないごちゃごちゃした感情が流れ込んできて、正直居心地が悪い。
責めたい訳でもないけどなんだか附に落ちない、納得できない。
そんな感じ。
まだ倉持先輩みたいに怪訝そうな顔をしてくれた方がいいのにな、なんてぼんやり考えながら前を向いたら、橙色をした目と視線が絡んだ。
いや、絡んだなんて言える程優しいものじゃない。
通り過ぎたんだ、多分。
「ほら、お前等戻れ。」
全く何も思っていないバリトンの音が、皆の背中を容赦無く叩く。
それに押されるように駆け足で戻っていくメンバー。
小湊が最後まで渋っていたみたいだけど、最終的に倉持先輩に引っ張られて戻って行った。

戻れ、試合は続くんだ。

その音にそれ以上の意味もそれ以上の内心もなにも含まれていない。
怖い程なにもない音だった。
無駄な感情の一切を切り捨てて試合を見据えた透き通った目が、一瞬タイヤを引く彼とだぶる。
「いくぞ、降谷。」
嗚呼、分かった。
通り過ぎたのは、気のせいじゃない。
この人はマウンドを下りた彼よりも、次の展開を読む方向に目線を向けている。
まるでそれしか見るものがないみたいな真っ直ぐな目。
間違ってないと思う。
今何よりも優先しなければならないのはこのチームで戦って勝つ事。
それに僕は、自分が投げて勝てればこれ以上の事はないと思っている。

勝つ事。

それはこの夏の甲子園という夢のパズルの中では最も大切で、最後に手に入らなかったたった一つのピース。
今僕等が要るのは、勝つ事、強くなる事。
それに沢村が付いてこなくても、何かを思っている暇はきっとない。
今目の前に立つバッターに点を取らせない事。
僕の目の前にはそれしかない。



『ふるやくん、ひどい。』



小さい頃に、幼稚園で遊んでいた女の子が盛大に転けた事があった。
その言葉は、わんわん泣き出すのをただ黙って見ていた僕に別の女の子から投げ掛けられた呟きだ。

ふるやくん、ひどい。

未だに、あの子の言葉の意味が分からない。
あの時どうしていればそう言われなかっただろうか。
『大丈夫?』の一言でも言って、傍にいてあげれば良かったのだろうか。
でも、僕は未だにそれが出来ない。
やらないのとは違う、出来ないんだ。

あの子も沢村も、立ち上がろうとしている。
転んで立ち止まって、それでも泣きながら進みたがる。
それなのに、僕が慰めをかける必要なんかないはずだ。
僕が彼等なら、望まない。
慰めは慰めでしかなく、その言葉を聞いただけで全てが陳腐に感じる。
立ち上がろうとする自分が馬鹿らしく思えてくる。
努力へ向けての慰めは、そういう意味だ。



僕は僕のやるべき事を、やる。ホームに御幸先輩が座ったのを見て、グラブを構える。
指でボールの縫い目をなぞりながら、息を整えた。
背番号20が瞼の裏にちらつく。
あれがもし、自分だったら。
…あの人のあの目線が僕に向けられたらと思うと。

心底恐いと、思った。

それでも彼の為に口を開かない僕は、やっぱりひどいのだろうか。





の君に慰めは侮辱だと思った。
僕の口は閉じられた。




酷い言葉をかけたつもりなんかないはず。
多分、きっと当たり前の事を当たり前に伝えただけ。
けどそれはきっと対等で目線が一緒だからこそ、同情も心配もせず帰ってくるって信じてるんだと。
そう思いたい←



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