「好きです。」


あぁ、またか。


「胡蝶舞いて桜華咲く、村雨純垂。お客様方、花道をご覧下さいませ!」
高く響く琴の音を筆頭に次々と鮮やかになって行く音の中で、俺はしゃなり、一歩踏み出した。
艶やかな赤い着物をするりするりと撫で鳴らしながら、藍染めの番傘片手にふっと微笑むと、客席が息を飲んだのが分かる。
しゃらん、しゃらん。
頭に刺さった簪が鈴を鳴らし、音がだんだんと小さくなる。
焦らすみたいにしゃなりしゃなり花道を歩いて、舞台に立つ頃には音は小さく小さくなっていた。
パンッ!
番傘を勢い良く開き、くるりと回して空へ投げる。
うとうとしていたおっちゃんが殴られたように跳ね起きた。
りんりん、りりん。
輝く目もなめまわすような目も、全部全部ひっくるめて俺の虜。
にんまり、紅を引いた口が、番傘越しに歪んだ。




「純垂さーん!呉服屋の若旦那が至急お会いしたいそうですが。」
「…分かった。」
しゃらん。
彼が歩く度に鳴るおおぶりの鈴が、裏方の人間たちの意識さえも根こそぎもっていくかのように鳴いた。
華やかな衣装に身を包んだその少年は、なんてことないように乾いた表情のまま舞台上のようにしゃなりしゃなりと優雅に歩く。
幼い頃から教えられていた歩行は今や無意識でもできる程神経の髄まで叩き込まれていて、心底沈んでいる彼の心情を誰も察することはできなかった。
『今度はどんな言葉を押し付けられるのか…。』
村雨純垂、沢村栄純は朱塗りの唇を薄く開くと男ではありえない程の色気を撒きながら緋色のため息を吐いた。
舞台上の村雨純垂は、男達の加護欲を煽るには充分な程に、色気と儚さに充ちた役者だった。
憂いを帯びた目で見つめられたいと何人もの男が純垂に言い寄ったが、儚い女は舞台上だけ。
一歩舞台を下りれば思春期真っ只中の少年であった栄純は、まったくその気がないどころか百八十度ひねくれた態度でのらりくらりと男達をかわしていた。
「好いている…とは、貴方様がご覧になった、赤い着物を纏って舞う村雨純垂でございやしょうか?…それとも、アンタの目の前にいる1人のガキかよ。」
彼は純垂であることを誇りに思うと同時に、どんな時でも付いて回るその影が煩わしくてならなかった。
彼1人、沢村栄純として見てくれた人間はいままで誰もいなかったのだから。

「…好きだ。」

ほら、また馬鹿が引っ掛かった。
目の前で愛を囁いた男は一座で贔屓にしている呉服屋の若旦那。
色素の薄い飴色をした茶髪に黒縁の眼鏡をかけた整った顔の優男は、口元に優しい笑みを称えながら俺を見つめている。
馬鹿な男。
馬鹿な男。
馬鹿な男。
きっとコイツも純垂目的なのだろう。
馬鹿な男。
「俺は…。」
「御幸呉服の若旦那、一也様が、女形なんぞ捕まえていったいなんの御用でございやしょうか?」
「おぉ、良く知ってんな。」
「私の衣装を作ってくださいました、忘れる事はございやせん。」

ふ わ り

舞台用の笑みを浮かべて、唇を引き上げた嫌味。
馬鹿な男。
夢なんか見て、いない純垂を焦がれるなんて。
「はっはっは!そりゃ光栄だな。」
「ご謙遜を。…誠に残念でござりんしょうが、貴方様が焦がれてらっしゃる村雨純垂に思いは伝わりやせん。」
きょとり、若旦那の目がレンズ越しに見開かれた。
馬鹿な男。
純垂なんか好きにならなきゃ良かったのに。
馬鹿な男。
「貴方様が好いているのは、貴方様が下さった着物を纏う村雨純垂でございやしょうか?…それとも俺……。」

「は?なに言ってんの、お前。」

「………は?」
「俺が好きなのは、沢村栄純。お前だけど。」
…今なんと言った?
『は?』と言いたいのは此方だ!
「いま…なん…て…。」
「だーからー、ウチの呉服屋にクリスさんと一緒に嬉しそーな顔して来るガキんちょが、俺は好きなんだよ。」

にまっ。

猫みたいな飄々とした目が細められて、鼈甲の瞳が記憶に引っ掛かる。
この地に来てから贔屓にしていた呉服屋に、一座では兄役的なクリスと一緒に着物を見に行くのが好きだった栄純。
クリスが呉服屋の女将と一座の衣装について延々と話しているその間に、威厳ある老舗の裏側でちゃかちゃかと働く甚平姿の男を見るのが楽しみだったのだ。
生地を染めて、近所の子供用にと浴衣を作っていた彼…いつもタオルを頭に巻いていて目元は藍が散らないようにと橙色のゴーグルをしていたニヒルな笑みを浮かべた男。
「あ…んた…。甚平の……!」
「あー、やっと分かった?まぁ、こんな着なれねぇスーツなんか着てりゃあわかんねぇか。」
カラカラと軽快に笑う男から目が離せない。
何故、どうして、なんで。
「ア…ンタ、純垂じゃなくて…。」
「お前だからまだ言う?」
呆れ返った様子の男は、着物も簪も化粧も見えていなかった。
ただ一つ、身体でも髪でも顔でもなく、なにも飾ることのなかった栄純の深い瞳を見つめて離そうとしない。
「一目惚れってやつ?」馬鹿な男。
「ずっとずっと好きだった。漸く親からの縁談全部断って、疚しいこと無しで伝えたかった。」
馬鹿な男。
「ずっと俺を見て欲しいって思ってた。」
馬鹿な男馬鹿な男馬鹿な男。
「栄純、好きだ。」





その馬鹿な男は、俺を唯一見付けてくれた男だった。





馬鹿な男…





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