「なん、だよ。」

見下ろした君が、睨む。



君は梓弓の女などではなく



「オイ降谷!」
「別に。」
「じゃあ退けろ。」

深い夜の空気を含んだリビングに、君の声が響く。
怒ってる?と首を傾げてみせれば、それは無視でただ退けろと短く吐き捨てられた。
「嫌。」
「うるせぇ嫌じゃねぇよ!どーけーろぉぉおお!」
「嫌。」
「なんでだよ!」
君を跨いだ僕の下で、仰向けにソファーに身体を預けた君は眉間に目一杯の皺を寄せた。
「なんだよ、見んなよ。」
「沢村、綺麗だなって思った。」

深い、瞳。

吸い込まれそうなんて余りにもベタだけど、それが1番しっくりくる。
吸い込まれて、溺れてしまう。
それを望んでるのは僕なんだけど。
「なにがだよ、意味わかんねぇ。」
ぷいっと口を尖らせた顔を背けた君に、なにがとは言わなかった。
言ってしまえばきっともう目を合わせてくれなくなるから。
これを知ってるのは僕だけでいいのに。
「とりあえず退けろよ重い!ったくなんだよいきなりよー!」


「いつまで待つの。」


「は?」


大きな瞳が零れそうな程ぱっちりと見開かれる。
ビー玉みたいな黒い眼球が本当に零れ落ちてしまうのではないかと少し心配になって君の目尻に指を這わせた。


「君は、いつまであの人を待つの。」


びくりと震えた身体の振動が目尻に添えた指から伝わってきて止めどない愛しさから掻き抱きたい衝動が溢れてくる。

「なん、の事…だよ。」
「君は分かってる。」

分からないフリをしてるだけ。
だって知ってる。
いつだって君の視線はあらぬ方向をさ迷うのだから。

「…お前には関係ない。」
「どうして?」
「俺の勝手だろ!」
「帰ってくるかどうかも、分からないのに。」
ぐっと言葉につまった君にいつもの僕はどこへやら。
まくし立てるように言葉を重ねる。

「帰ってこないかもしれない。」
「わかんねぇだろ。」
「他に大切な人ができてるかも。」
「できてねぇ。」
「帰って来る気がないとか。」
「なんでんな事言えんだよ。」
「君の事を忘れてたら?」
「……………。」

ほら、ね。

君は限界なんだ。
こんな小さな言葉たちに簡単に声を奪われてしまうくらい。
もう不安で仕方ないんだよ。
「唇、噛んだらダメだよ。」
漏れてしまいそうになる弱音を唇に血が滲むまで噛み締めておかないと止められないのも。
「うるせぇ触んな!」
血が滲む唇をなぞる僕の指を言葉で撥ね付けただけで完璧に拒絶できないのも。
「傷が付くよ。」
僕が傍にいる事で日々あの人の記憶が薄れていってしまう事すら受け止めてしまいそうになるのも。
「うるせぇよ…。」
君の中のあの人への愛しさが、寂しさに変化してる証拠でしょ。
「なんで、君が待たなきゃいけないの。」
だから、僕は優しさを吐く。
「君ばっかり辛い想いをしなくてもいい。」
「ふる…や…?」
「君は傷付かなくていい。」
「降谷…。」
「だって不公平じゃない。」

待って待って。
ずっと想って寂しそうに笑う君。
もう楽になったっていいんじゃないかと、何度消えたあの人を恨んだろう。

「僕は、いなくならない。」
「ふる…。」
「僕なら、離れたりしない。」
倒れた君を覆い被さるように抱き締める。
子供体温が心地よくて、離したくない、なんて。



「だから、僕に想われて。」



君はもう充分想った。



「ごめ…ん。」



耳元で零れた小さな声が、床に転がって静寂を切った。
「降谷…ごめん…。」
ごめん、ごめんと何度も転がる君の言葉。
不思議と涙は出なかった。
何故かそれよりも、愛しい想いが溢れ過ぎてその行き先に困るくらい。
「そう…。」
「…ありがとう。」
肩口に感じた暖かい水に、今だけは君の中に僕しかいないのだと思えて少し嬉しかったから。




ピンポーンッ。




今の状況に不釣り合いな高い音に、ピリオドを打たれた気がした。
嗚呼、そういえばあの人はそんな人だった。
ギリギリまで引っ張って、美味しい所だけ持っていく。
高校時代の記憶がフラッシュバックして、皮肉にも浮かんだのはツーアウト満塁でヒットを打ったあの人の姿。
「誰……。」

ドンドンッ!

「なんだよこんな夜中に!」
キッと扉を睨んだ君は僕を押し退けて立ち上がる。
「はいはいなんだっつー…。」

「沢村。」

一瞬だけ、許して下さい。

立ち上がった君の腕を引いて身体を閉じ込める。
そのままなにも言う隙を与えず額に唇を落とした。
「おま…?!」


「君が、好きだよ。」


偽りは無い。


それを分かってると言うみたいに、黒い瞳が受け止めた。
「…おぅ。」
「だから、幸せにならないと許さない。」
「おぅ…。」
君は、幸せになれる権利を充分持っているから。
「いってらっしゃい。」
「…ありがとう。」
敢えて僕は背中を押すよ。
君はきっとあの人しか見えていないのだから。
よそ見なんてしたらきっと死んでしまうんだろうね。

ガチャッ…。

「沢村!」
「御幸っ?!」
扉の開く音名前を呼ぶ声愛しい君。
そろそろあの人が部屋に入ってくるだろうから、なんでもないようなフリをして出ていこう。
そう頭で整理をつけて、電気を着けていない部屋に僕のため息という足跡を残した。


『梓弓は…。』


高校時代に受けた古典の授業。
珍しく眠くなくて起きていた時の、梓弓という話。
3年前に都に行った夫を待つ女が、寂しさから優しく言い寄ってきた別の男と再婚する事を決めてしまった夜。
不意に夫が帰ってきたと戸を叩いた。
しかし女は別の男と再婚する事を言い渡し戸を開けようとしない。
すると夫はあっさりと身を引き行ってしまう。
女は引き留めようと必死に走るが追い付けず、岩に身を打ち伏して死んでしまった。
『貴方に私と同じくらい、私を愛して欲しかっただけなのに。』
ただそれだけの願いだった。
聞いたその時はなんて身勝手なんだろうと呆れたものだ。
好きなら、いついつまでも待っていればいい。
言い寄ってきた男なんかに目もくれず、ただ想い続けていれば幸せになれたのに。
頬杖をついてぼんやりと、そう想ったのを覚えている。
今になると言うことは簡単だと実感している自分がいるのだ。
待つという行為はとてつもなく体力を使い精神を削る。
僕なら、できると言い切れない。
けど君は、それをずっと続けてた。
まるで部活後当たり前のようにタイヤを引いて走っていた時と同じ様に、当たり前に。



『いっそ、君も梓弓の女の人と同じ様に寂しがってくれたら。』



きっと僕は君を閉じ込めて離さなかったのに。

けど梓弓の女と君は違うから、君をあんなにも愛しく思えたんだろう。

零れた涙に君の幸せを祈って、僕はただ息を吐いた。
待ち続けた君のキモチが










古典の授業で不意に思い付いたネタがめちゃくちゃ広がった。
沢村と降谷は大学生で御幸はプロの選手。




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